(現代)
海底二万マイルの旅へようこそ、海底二万マイルの旅へようこそ、……
船内アナウンスはそんな言葉を繰り返している。あまりに機械的である、きわめて無機物的に感じるが私の他にそれを意識しているものはいないのか、皆等しく丸窓の外へ視線を向けている。
(地底人っているのかしら)
皆に倣い海中を見ていると、昔名前が言っていたことを思い出した。
地底人なんて居るわけなかろう、そうかしら居たらロマンティックじゃないかしら。それにほら、海底は宇宙のように謎が多いと言いますし、海の底にならいても不思議じゃないわ……。
そんなことを言っていた名前は一昨年の夏病で死んだ。じわじわと病魔に身体を侵されながら死んだ。
元々今回の海底旅行は彼女が企画したものだった。きっと深い海の底には私たちの知らないものがたくさん眠っているのよ、などと瞳を輝かせながらパンフレットを取り寄せ、旅行会社に電話し……、彼女の病気が発覚したのはそのすぐ後だ。なくなくキャンセルし、彼女へは「良くなったら行こう」と言った。結局、叶わなかったが。
「パパ、見て、魚よ。あれは何というのかしら」
「竜宮の使いだろうね」
窓の外を覗き込んでいた親子が話している。
深海へ行くほど、外はどんどんと暗くなり、また恐ろしい外観のものが増えてゆく。名前ならなんと言ったろうか。地底の人々もあんなグロテスクな姿をしているのかしらと笑ったろうか。
なぜ、今になって一昨年の夏の旅行先へ赴いているのか、自分でもわからなかった。もしかしたら海底に巨大遺跡発見などというニュースを見かけたからかも知れない。きっと名前なら行きたがると思ったためかも知れない。
海底二万マイルの旅へようこそ、海底二万マイルの旅へようこそ、……そんな船内アナウンスから急に、皆さま外を御覧下さい、あれに見えますのが先日発見された海底遺跡でございます。というアナウンスに変わった。
皆どよめきたつ。私もそっと窓の外を見る、が真っ暗で分からない。
「パパ、あれはなにかしら」
と先ほどの娘が父親に訊ねている。何だろうか、私もつられて外を見た。
「あれは遺跡だよ。さっきアナウンスしてたろう」
「いいえ、違うの、ほら見てあすこだけ光っているでしょう。」
娘が指差す。私もそちらを見やるが何も光っていない。
父親も私と同じだったらしく、眉を八の字にして、なんにもないよと首を傾げる。
「なぜ見えないのかしら。あれよ、あの光っているのよ。ああ、パパ、ゆっくり近づいてくるわ。」
娘の必死の訴えだが、父親には見えぬようで頻りに首を傾げている。
私にも外はただの闇である。
「はっきり見えてよ。あ、パパ、女の人だわ、あれは女の人よ。」
その言葉に周りの者がどよめく。こんな深海に人がいるなどあるものかと。
「ほら御覧になって、美しい人よ、笑ってる。あら、お静かになさって、何か仰ってるわ」
娘の言葉に船内はシンと静まった。いつの間にかアナウンスも聞こえない。
「なあに、」
娘が窓へピッタリと耳をつける。
一瞬、娘へ口寄せる女の横顔が浮かび上がったような気がした。
「ね、ごらんなさい、地底人はいましたでしょう」
title 花畑心中
prev / next