(現代)
リンゴを剥く手が止まる。
「今、何て?」
思わず右手に持った包丁を落としてしまいそうになった。彼はというと、さっきから妙に赤い夕陽を見ている。
「いま、なんて」
もう一度呟けば、彼はゆっくりと振り返った。
「この関係を終いにせぬか」
「お、お嫌いになったの?」
「誰を」
「私を」
「いや」
「嫌?」
彼はまた夕陽を見る。私は、視界全部を涙に埋めて、下を向く。
この、一方的な別離を初めて経験したような、そんな初心な女ではないけれど、この唐突に訪れる別れに、私はいつまでたっても慣れそうにない。
今だって、この人に泣き縋りたい、いっそ死ぬと嘯いてでも、この関係を留めていたい……。そう思うものの、私は従順に下を向く。
「しいて言えば、ごく自然な心境の変化であろう。」
「そう」
「そう。」
彼がこちらを見る。私は可愛げもなく、ついと顔を背けてしまう。
「泣いて居るのか」
「だって、それは。いいえ、そんな」
「素直に申せ」
「だってあまりに唐突で、はあ、私……、いいえ別に」
「言いたいことがあらば申せ、と言っている」
リンゴに涙が落ちる。
視線を上げれば、彼の均整のとれた顔があった。
「好きなのに、」
口に出せば、ぼろぼろと涙が零れだした。
「わたし、元就さんのこと、好きなのに。いいえごめんなさい、だって、でも、なんで」
「名前」
「そんな、名前呼ばないで」
「名前、勘違いしてはおるまいか。いや、我の言い方に誤りがあった故か」
「か、勘違い?」
勘違い、ともう一度ゆっくり元就さんは呟くと、なぜか急に両手で顔を覆ってしまった。
急なことに涙も引っ込む。
「言葉にするにはなんとも恥ずべき、そういうことを名前は何と伝える」
「は、はあ?」
「いや、待て違う。そうではない。ああ、なんと言えばよい。……名前!」
「はい」
元就さんはいまだ顔を覆ったままである。私はこの奇妙な画に、なんだかどんどん笑みすらもれそうになっている。
「恋人という関係から、脱却したい。」
「……はあ」
「解せぬか。ええいまどろっこしい」
やっと手をのけた元就さんは、なぜか顔が真っ赤だった。
「先ほどから申しているのはだ」
「はい」
「妻になれといっている」
「はい。……はい?」
元就さんの言いたいことが分かったと同時に、私の顔も真っ赤になってしまった。
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