短編 | ナノ


冬がくれば夏が恋しくなるし、夏がくれば冬が恋しくなるし。遠いものにほど、奇妙な切ない気持ちが働いて、美しい思い出だけが甦るのだろうか。

「冬は嫌いだ」

と彼が夏に呟いた。私はその言葉に耳を傾けながら、美しい冬の情景を思い浮かべ、存外冬も悪くはないのに、と思った。

「夏は嫌いだ」

と彼が冬に呟いた。私はその言葉に耳を傾けながら、美しい夏の情景を思い浮かべ、存外夏も悪くはないのに、と思った。

でも、きっと、それは遠いからなのだろう、とも思った。
遠いものは美しくなる。何であっても美しい情景となる。私は遠い季節を振り返って、ああ美しい、と感嘆しているだけなのだ。
そうと知っていたからこそ、私は彼の言葉にただただ頷いて、そうね、と一言添えていた。
そうすると、彼は鋭い目を一瞬和らげ、私を見詰めるのだ。あの瞳には、どんな感情が籠められていたのだろうか。愛情だろうか、同情だろうか。……


「名前」

と私を呼ぶ声の柔らかさには、果たしてどんな感情が籠められていたのだろうか。
私を抱きしめた腕には、あの唇には、


「美しい人だった」

今にして思い返されるのは、そうした彼の優しさだけで、叱咤も、怒号も、嘆きも、何も思い出すことができない。
彼はもう随分と遠くなってしまった。今になって思うのは、優しい人であった、ということのみなのだ。


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