短編 | ナノ



水音で目を覚ました。
冴えてきた視界を埋め尽くすのは輝く星空で、一体ここはどこなのか、そう疑問に思いながら体を起こすと、足先に座っていた三成さんが私を見て「起きたか」とぶっきらぼうに言った。

「ここは何処なのです」
「私にも分からん」
「はあ、」
「気が付いたらこの舟の上に居た」

ふね?三成さんの言葉で、初めて自分が舟の上に居たのに気付いた。

「どうして」
「だから知らんと言っている。」
「だって、おかしいですよ。私、さっきまで」

さっきまで、どうしていたのだろうか。
はっとして三成さんを見れば、彼はゆるゆると首を振った。

「まったく思い出せん。果たして私は今まで何をして何処に居たのか。どうしてこんな所に来たのか。」
「あの、」
「どうした」
「この舟は何処へゆくのです」
「知らん」
「帰られますか」
「……分からん」
「あの、」
「どうした」


尋ねたいのに言葉が浮かばない。なんだか、どんどん意識が胡乱になって行くようだ。恐ろしい、そう思うと不思議と涙が出た。


「……星が」
「えっ」
「まるで落ちて来そうだ。名前、お前の名は名前だったな」
「はい。三成さん、」
「うん」
「なんだか空恐ろしいのです。」
「杞憂だ」
「本当?」
「本当だ。見ろ、名前、星が綺麗だ。美しいばかりではないか。瞬く星に目が潰れてしまいそうだ。きっと、彼奴ならば」


彼奴ならば、もう一度そう繰り返すとふっと淋し気な顔をして、うつむいてしまった。
どうしたのです、声をかければ、悲しそうに首を振った。


「思い出せないのだ。誰だったろうか、よく空を見ていた。」


誰なのです、誰だったろう。三成さんは顔に手を遣ると、終にさめざめと泣き出してしまった。

「思い出せないとは辛いことだな。誰だったろうか。名前、今の私にはお前の名しか分からないのだ。帰る場所は何処だったろうか。戻る場所が分からないとは辛いことだ、悲しいことだ。」
「三成さん、三成さんもう良いのです。もうあなたは何にも思い出さなくて良いのです。」
「良いものか。悲しくって、辛くって仕方がない。過去を失うことは自分を喪うことなのだ。私は、私は何と言う名だった」
「あなたは、」


ゆっくり瞬きをした。

何と言う名だったか。


「お前の名は何だった」
「私の名は、」
「思い出せないのだ。何にも、何にも。果たして私は誰だったろうか。この舟は果たして何処へいく。私は何処から来たのか」
「分からない、何にも知らないのです」


何だか涙が出た。何故だかは分からない、ただ酷く悲しい。

水音がした。頭上には落ちて来そうなほどに目映い星が輝いている。
夜の闇を進む舟は、私たちを何処へと運ぶのだろうか、そんなことを考えているとつい、空恐ろしくなってしまった。

 
title 花畑心中



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