(横恋慕) 頸をもたげると、今まで我慢していた涙が全て流れて来て私の頬を伝った。 昔、母に泣くなと言われた記憶が蘇る。蘇った記憶ごと涙を流せば、凛とした声が私の名を呼んだ。 「狡いひとだ」 なんて言い種だ。思わず顔をキッと上げて睨み付けてやろうかと思った。思っただけで、私はしおらしく涙を流すばかりなのだが。 「そうやって人の気を惹く」 「あなただって」 「うん」 「罪な人、」 顔を手で覆う。久方ぶりに涙を流すと止めるための方法が分からないのだ。ただただ、肩を震わせて下を向く。昔、泣いてばかりいた私は果たしてどうやって涙を止めていたのだろうか。 「私、わたし」 寸で言葉を止めた。奥歯を噛めば、いつもとは違う本当に優しげな声がした。 「僕では貴女の願いは叶えられない」 顔を上げる。 「ズルイひと」 「うん」 「罪な人」 「うん」 「…狡い方、」 頬を涙が伝う。まばたきをすれば眼前が霞んで見えた。 浅ましいのは私なのだ。ゆっくり世界が霞む中でまた私は頸をもたげて涙を流した。 夜の闇にひたひたと浸かっていられたら素敵なのに、いっそそうでありたいと願いながら。 [prev|next] |