(六月の花嫁企画) (トリップヒロイン) 針仕事をしながら執務中の吉継さんの背中を見詰めていると、時折ふと手を止めて顔を半ばこちらに向け、また手を動かす。それを彼は半刻の間にもう五回も繰り返していた。 何か伝えたいことでもあるのか、と声をかけようとはするのだがもしかしなくとも邪魔になるだろうと考えると声をかけられずにいた。仕方なく、手元の着物に針を通す作業を繰り返す。 「……」 「…、」 「えっ」 何か言われた気がして問い直した。 「いや、なに。独り言」 「はあ」 気になりつつもまた手元へ目を戻す。 なんとなく、言葉を交わしたい気持ちが生まれて来て下を見つつ話しかける。 「私の」 「ふむ」 「世では、この時期に婚姻を結ぶ、と幸になれるというんですよ」 「…幸に?」 「ええ。もっとも、この国ではそうはなれないのですがね、」 「……」 「諸説あるらしいのですが、」 「ぬしは、われの腹の底を読んでおるのか」 「欧米で、えっ?腹がなにか」 ほとんど独り言だった言葉に、まったく予期していなかった言葉が返ってきて驚きに目をまあるくした。顔を上げれば、吉継さんは背中を丸めていたのでまた驚いた。 「お腹痛いのですか」 にじりよって吉継さんの背中に手を遣る。 「違う、チガウ。いやなに、ぬしに腹の内を読まれたかと思おて隠している」 「はあ、私なんぞが」 読めませんよ。そう言ってから先ほどの会話を思い出した。 「吉継さん、どなたかと、ご結婚なされるのですか」 「……いや、われのみそう考えておる」 「吉継さんだけ?」 「伝えられなんだ。」 「はあ、奥手でいらっしゃる」 背中から手を離す。離した時、吉継さんの顔が少しこちらを向いた。 「奥手か」 「言わなきゃ、伝わりませんよ」 「さようか。…名前」 「はい?」 「ぬしの世は知らぬが、こちらでは晴れた日に婚姻を結ぶのが良いと言われておる。分かるか」 「ええ。それは私の世でも同じですよ」 「さよか。われは考え倦ねておったのよ。雨の時期にわざわざ言えまいと。ましてわれの奥になる、これ以上の不幸はなかろ。」 そんなこと、と否定の言葉を述べようとしたとき、頬に吉継さんの手があてがわれた。 「しかし、さよか。ぬしの世では幸となるのか」 「ええ、」 一体、この人を悩ませているのは誰なのだろうか。私には恨めしくて恨めしくて仕方がない。 「ならば言うても善いやも知れぬ」 その言葉に寸で返しそうになった。待ってくださいと。しかし私に何の権限もない。 頬を撫でる手の方に少し首を傾げて、目をすっと細めた。 「その方は」 「うん」 「めごい方でしょうか」 「……うむ、われにはそう感じるが」 目を上げる。 「しかし、自ら聞くことではあるまい」 「はあ」 「分かっておらぬか」 「さっぱり」 「ならばヨイ…。いや、やはり」 「吉継さん?」 手を離し何事か考えだした吉継さんを前に、私は胸の内から沸々と沸き上がる何事かの笑みに堪えていた。 「ここで引いては奥手と言われるか」 「はい、そりゃあもう」 「さよか」 「ええ」 吉継さんの小袖を握れば、うんうんと頷いたあと、そっぽを向いて仰られた。 「名前の輿入れの準備を、早にせねばな」 相も変わらずに焦れったいなあと思いながら、はいと頷いておいた。 [prev|next] |