月の雫 | ナノ

聖魔の森8



『――‥天上に響くは女神の歌声。かのはかなき旋律に、あまたの慈愛の心を以って不浄たる刻印を癒し給え……聖光(シエル)……』

金色の光が浮かびあがり白獣の額の角を虹色に染めた。
ポゥと現れたそれは空中で弾け、砂金のようにサラサラとユリシスの体に舞い落ちて消えて行った。


「……これは?」

目の前で展開された神秘的な光景をぽやんと眺めていたあゆは、月光を浴びせたように輝くニナの小さな肢体をその両手で受け止めながら、不思議そうに首を傾げてその魔法の効果を尋ねた。


「浄化の光だよ。邪気をはらって体を清めてくれる……さぁ、戻ろうか。ここは私には辛い場所だ」

ユリシスはそう言って傍らに控えていたルーカスの肩を借りゆっくりと立ち上がる。
おぼつかない足取りで一歩を踏み出そうとするが、ふらりとよろめいてその体を支えていたルーカスにしがみつく形になっていた。


「……浄化の光など気休めにしかならんでしょうに。俺達をはめるためだけに無茶をした訳じゃないでしょう?」

半ば呆れた様子で軽く肩を竦め、ルーカスは話し掛ける。

「……」

「説明してもらいましょうか? 誤魔化しは通用しませんよ、ユリシス殿下」

少しだけ怒ったように、ルーカスはほうけた表情(かお)をして自分を見上げるユリシスの碧色の瞳を見据え、そう言った。







「――‥お嬢さんの話を聞いて、アティがここに迷い込んだことを確信した」

少しの間を置いてユリシスはゆっくりと話し始める。

「……もし、無事にこの森を抜けているとしたら……デュークへ居るのではないかと、思ったんだ……」

それは僅かな希望でしかないのだけれど、と言い足して、彼は微苦笑を浮かべた。



「国境を越えてしまったら探索魔法では探せない。セオールが神殿の水晶で試していたけれど、わだつみの湖までしか映せなかったようだしね……」

そう独り言のように呟きながら、スッと手を添えて自分の体を支えていたルーカスの腕から離れると、ユリシスは一人歩きはじめる。
先を行く彼の後をルーカスも足早に追い、二人から少し距離を置くようにニナを抱いたあゆがその後ろをとぼとぼと歩いていた。
俯いて足元に視線を落とし、未だ申し訳なさそうに瞳を曇らせている。


『……きゅぅん……』

小さく、腕の中でニナが鳴いていた。








「あゆ……」

ふいに先を歩いていたユリシスが後ろを振り返り、少女の名前を呼んだ。

「……っ、」

その声にびくりと体を震わせて、顔を上げないままニナをきゅっと抱きしめたあゆはつい歩く足を止めてしまう。
ユリシスはそんな少女の様子に軽く肩を竦めて困ったように小さく笑った後、彼女の側までゆっくりと歩み寄って行った。
未だに顔を上げようとしない少女の癖のある栗色の髪にそっと触れる。


「危ない目にあわせるようなことをして、すまなかったね。君は何も悪くないんだから、気に病むことはないんだよ?」

そう言ってやんわりと微笑んでみせた。

ぽふぽふと優しく頭を撫でるユリシスの手が、あたたかみを増してゆく。あゆはゆっくりと顔を上げて目の前に立つ青年の穏やかで優しい碧色の瞳を見つめた。





「ふふ。やっと顔を上げてくれたね?」

闇色の瞳を揺らす少女を穏やかな眼差しのままで見つめながらユリシスはまた小さく笑っていた。
その笑顔はやはり美しく、沈んでいた少女の心をほわんと暖かくさせて次第に優しく癒されていくような気持ちにさせる。





「……ユリシス、様」

「あゆ、私のことはユーリでいいよ」

ぽつりと少女の口から漏らされた呼び方に、彼女の僅かに紅潮した頬に手をあてユリシスは諭すようにそう言った。
そうしてまたぽふぽふと少女の栗色の髪を撫でると、にこやかに微笑んだまま踵を返して先に立つルーカスの方へと歩いて行った。


あゆの腕に抱かれていたニナは、それと同時にばさりと純白の羽をはためかせて飛び立った。
宙を旋回して彼女は本来の主の元へと戻り、その肩の上が定位置だと言わんばかりに落ち着いた。

それが合図であるかのように、先に立つ二人の青年は森の入口方面へと並んで歩き出した。
その後を慌てて少女は追い、三人は魔族の森を後にする。





薄暗い闇の森にひとひらの純白の羽根が舞い上がり、冷たい風が木々の間を吹き抜けて行った。



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