聖魔の森3
「そこまで驚くことかい? 数年ぶりに戻ってきた幼なじみを歓迎してもくれないんだね。まぁ、苦労をかけてしまった事については私が悪いのだけれど……」
軽く肩を竦めてユリシスは皮肉まじりにそうぼやいた。
ルーカスはあんぐりと口を開いた間抜け顔のままでそんなユリシスを見ていたのだが。
「ユリシス様、いつ戻られたんです!? この5年の間、どれだけ皆が心配していたと……」
「やれやれ。本当にお前は相変わらずだね……こんな時まで……何年経っても変わらない。お前も、セオールも――」
真面目な顔つきになって意見するルーカスに対し、大きなため息をついてユリシスは軽く頭を振っていた。
その表情が、どことなく寂しそうに見えたのは気のせいか。
あゆはそんな二人のやり取りを側で見ながら訝しげに顔をしかめていた。
「……あぁ、失礼。ルーのことは置いておくとして……私はお嬢さんに用があるのだけれど、少し時間をもらえるかい?」
ふいにユリシスがあゆの方に向き直り、やんわりと微笑みながら穏やかな口調でそう話し掛けてきた。
「えっ? あ、あたし!? あの……何のご用でしょうか、ユリシス様?」
思わず警戒してしまい、丁寧な受け答えをしてしまう。あゆはちらりとルーカスを見遣ったが、何故か彼はうなだれて頭を抱えていた。
「アティの行方だけど、シーナの話によると君は――夢でそれを見たとか。詳しく話を聞かせてもらえないかい? もしかしたら、それであの子の足取りを追えるかもしれない……」
「えぇっ!? でも、それも曖昧なビジョンで……役に立つかどうか……」
「なら、夢をもとに想像できるかい? 君からは何か魔力とは違う力が感じられる。リンク出来れば探査魔法との合成で詳細を探ることが出来るかと思うのだけど」
(……力って、何? 確かに普通の人よりは霊感が強いとか、想像力もとい妄想力が人一倍強いとか言われたことはあるけど……)
にこにこと微笑みながらさらっと無茶なことを言い出すユリシスにあゆは戸惑いを隠せなかった。
「……魔族の森……」
「え?」
しばしの沈黙の後、あゆはおもむろに口を開いた。
「シーナが言ってました。あたしが夢で見た風景は、魔族の森だって……わだつみの湖の反対側にあるあの暗い森だって……」
「……魔族の……?」
「あたしは入ったことがないし、わからないけど……その暗い森を奥の方へと歩いて行く、あたしによく似た髪の長い女の子がいて――“お兄様、助けて”って……叫んでた……」
曖昧なビジョンを無理矢理思い出し、夢で見た景色と人物の記憶を手繰り寄せて不足ながらも一生懸命説明する。
そんな少女の説明を聞きながらユリシスの穏やかだった表情が蒼白に変化していった。
(……なんてことだ……それが本当に“星見の夢”だとしたら、アティは……!?)
ふらりと足元がよろつく。
たった一人の大切な妹がよりにもよって魔族の森に迷い込んでしまったことに、絶望すら覚えた。
ユリシスでさえ踏み込んだことのない禁忌の森――。
その存在は一般にも知られてはいるが、城下の裏ギルドですら魔族の森についての詳しい情報を持ってはいなかった。
踵を返し、ユリシスはその場を退室しようとする。
「殿下! どちらへ!?」
去って行くユリシスの背中にそう尋ねかけたのは、これまで黙してただ話を聞いていたルーカスだった。
だがユリシスは、こちらを振り返ることなくそのまま走り去って行ってしまった。
「くそっ! また俺は――殿下を止めることすら……」
ガンッと壁を叩きつけてルーカスは頭を抱えてその場でうなだれる。
「ルーくんっ! しょげてる場合じゃないでしょ!? 追い掛けなきゃ……!!」
あゆはそう叫んで壁際でうなだれていたルーカスのマントをぐいっと引っ張った。
「魔族の森って、すごく危ないところだってシーナが言ってたよ。王子様を一人で行かせるの!?」
「……俺は‥――」
曖昧に言葉を紡ぎ出そうとするルーカスの態度にあゆは怪訝な表情をしていた。
待っていてもその場を動こうとしない彼の様子に、我慢がしきれず掴んでいたマントを離す。
「……ルーくんの馬鹿っ! もういいよっ!!」
ユリシスの後を追うことを躊躇うルーカスに対しあゆは全力で怒声を浴びせた。
そうして彼女は急いで隣室に駆け込み、服を着替えて寝室を飛び出して行く。その手にはいつ手に入れたのか――木製の弓と、数十本はあろうかと思われる矢を入れた矢筒が握られていた。
あゆが出て行った後の寝室に、ルーカスは一人残っていた。未だにそこを動けず俯いて握りしめた手に力がこもっていくばかり。
(――‥何をやっているんだ、俺は……これじゃあ、あの時と何も変わらないじゃないか……)
ギリッと唇を噛みしめて頭をふる。
それは5年前、ユリシスが宮廷から姿を消した時に遡る。あの時もこうして立ち止まり探しに行く事すら出来ずにいた。
いざという時に何も出来ない自分自身に嫌悪感すら抱いてしまう。
(……また、失うのか? 殿下がいなくなった時……俺は何をしていた? あの時まだ幼かったセオールですら気丈に振る舞って、これまで姫や宮廷の人間を支えてきていたと言うのに……)
「くそっ!!」
誰もいない王女の寝室に、悲痛な青年の声が響き渡った。
ざっと背中に翻された深い緑色のマントが宙を舞う。
ルーカスは踵を返して寝室を飛び出して行った。