聖魔の森1
薄暗い神殿内――。
中央に位置する祭壇の前に、魔道士風の黒いローブを羽織った一人の少年が立っていた。
蝋燭の明かりが少年を照らし、大理石の床に映る影と共に怪しく揺れる。
ふぁさと落とされたフードの間から少年の風色の髪があらわになった。伏せていた瞳をゆっくりと開きそっと祭壇に置かれている水晶球に両手をかざす。
『――‥月の光の精霊よ、俺の望む人物の姿を水晶に映し出せ。この光の螺旋の奥にお前の聖力(ちから)を注ぎ、足取りを追ってくれ……』
小さく力無く、少年は呟いた。
「……光の水鏡(クリスタル・ミラージュ)」
水晶に翳された両の手の平から淡い金色の光が浮かび上がる。
それはゆっくりと光の螺旋を描いて闇色のくすんだ水晶球を包みそこにある人物の姿を映し出した。
ライトブラウンのやわらかそうな長い髪と、いつも少年を真っ直ぐに見つめてくる深い青色の大きな瞳――沢山のリボンをあしらった薄いピンク色のシルクのドレスを身に纏った、ひだまりのような笑顔を湛えた少女。
「……姫。一体、何処に行ってしまったんだ? わだつみの湖に行ったところまではつかめたが、その後の足取りが全くわからないとは……」
ぎりっと唇を噛み締めて足元に視線を落とし、少年はまた祭壇の前で力無くうなだれた。
カタン。
ふいに背後から小さな音が聞こえて、少年は振り返った。
暗がりでよくわからなかったが、大きな満月を背後に開け放たれた扉の前に立つ人物に気付いて少年は目を見張った。
薄暗い闇の中でも映える見事な金色の髪、穏やかな優しさを湛えた碧色の瞳の――軽装の旅装束を身に纏った青年。
例え何年も会っていなくともその姿を忘れるはずはなかった。
「……ユリシス……殿下!?」
少年は思わずその人物の名前を口にした。
「久しぶりだね、セオール。元気そうで安心したよ」
ユリシスと呼ばれた金髪碧眼の青年は、穏やかな微笑みを浮かべながら祭壇の前に硬直して立ち尽くすセオールの側へゆっくりと歩み寄った。
ふわりと、暖かな風が舞う。
ユリシスは優しい眼差しでセオールを見つめて、そっとその風色の髪に触れた。
「ただいま。すまなかったね? 私の我が儘のせいで、お前には沢山苦労をかけてしまった……許しておくれ」
「……っ……!」
張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたかのように、言葉を失いセオールはぎゅっとユリシスの衣服を握りしめ俯いて肩を震わせていた。
ぱたぱたと、大理石の床に大粒の雫が滴り落ちる。
ユリシスは微苦笑を浮かべ、声を殺して泣くセオールの華奢な体を抱き寄せて、ぽふぽふと頭を撫でてやった。
「……殿下。俺は、貴方に謝らなければならない……約束を守ることができなかった」
しばしの沈黙の後、ようやっと落ち着いたセオールはおもむろに口を開いた。
「アティのことかい?」
「っ!?」
「シーナから聞いたよ。だけどそれは、お前のせいではないよ」
くすりと微笑んで、困惑して自分を見上げるセオールの頬に手を触れてユリシスは諭すようにそう言った。
「……でも、俺の監督不行き届きのせいで姫が迷子に……!」
「ふふ。責任感が強いのは、相変わらずのようだね」
「茶化さないで下さい! こんな時に……もしかしたら、命を狙われている可能性だってあるかも知れないのに――!!」
荒げたセオールの声が、静かな神殿内に響き渡る。
「……そうだね。私が知っている限りでも、裏で何かが暗躍しているようだし……
現に城下街に入る前に暗殺者(アサシン)とおぼしき輩に襲われたな、私も」
「なっ!?」
真面目な話をしているにも関わらずのほほんととんでもない体験話を言ってみせるユリシスに、セオールは思わず返す言葉を失っていた。
「それについては今シーナに調べさせているところだよ。まだ曖昧な状況で、ハッキリとした確信は持てないからね……」
「……」
「ともかく詳しい話は後日にしようか。明日には私も城へ戻るから……セオール、今日はもうお休み」
やんわりと微笑んでそう言い、ユリシスは不安そうに瞳を揺らすセオールの頭をまたぽふぽふと撫でると、そのまま踵を返してドアの方へと歩いて行った。
かける言葉が思いつかず、セオールはただそんなユリシスの背中を見送ることしか出来なかった。