『真紅の傷跡』
街の喧騒の中、たいした目的も持たず、青年はただ歩いていた。
薄い青色の長髪を後ろで一つに束ね、シャツにジーンズといったラフな装い。行き交う人々の中でも特別目立つ容姿。ネオンに照らされた瞳の色は、淡い紫色をしていた。
久しぶりに降り立った人間たちの住む世界―。
天上(うえ)ではこの世界の事を“人間界”または“下界”と呼んでいた。ゲートを開き、彼らは目的を持って降りてくる。
天上にはここと異なる世界があり、青年の住んでいる世界は俗に言う“魔界”と呼ばれていた。
見た目は人間(ひと)と変わらぬ容姿―けれど、その背中には黒い大きな蝙蝠のような羽根を持ち、膨大な魔力容量とそれぞれに得意とする武器で戦う。
“略奪者(プランダー)”とは、下界において特異気質の人間を探しだし、その体と血を以って魔王に献上する理不尽な種族の象徴だった。
しばらくぼんやりと考え事をしながら青年は歩き続けていた。
つい先日、この繁華街で不思議な雰囲気を持つ一人の少年と出会った。簡単に人を近づけさせぬような高潔なオーラを纏った十代半ばほどの少年。初めて見たとき、少女かと見間違うばかりの華奢で端麗なその容姿に釘付けになってしまった。
夜の闇に溶けそうな濃い紫の髪と、血のような赤い瞳。可愛らしい顔に似合わず、他人を頑なに拒否するように…けれど、どことなく寂しそうな眼差しが印象的で。
(――‥うーん。やみくもに歩いていてもそうそう偶然に会えるわけもないか……)
名前くらい聞いておけばよかったと内心で思いながら、青年は足元に視線を落として短いため息をついた。懐から煙草を取り出して、最後の一本を口にくわえ空になったつつみをくしゃっと握り潰す。ポケットからライターを取り出して火をつけようとしたが、ふと、オイルがきれてしまっていたことに気づいた。
「………」
チッと軽く舌打ちをして、青年はくわえた煙草を取ろうとけだるげに腕を動かした。
そんな時。
ふいに、横に誰かの気配を感じてその方向を見遣ると、そこには、今さっきまで“会えたらいいな”と思っていた少年が、表情もなくスッと右手にライターを持って立っていた。
「――‥っ、君……!?」
唐突な事に青年は狼狽えて上手く言葉を紡ぐことができなかった。少年はただ、そこに立って赤い瞳で青年を見上げ、ライターに火を燈す。
シュボッ
ジジッ…
取ろうとしていた煙草をくわえ直し、無言で差し出されたライターから火をもらった。
「……君、未成年だろ。何でライターなんか持ってるんだ?」
「吸っているからだが、何か?」
煙草を吸いながらおもむろに尋ねた青年の問いに、少年はあっさりさらりとそんな答えを返す。
そして少年は、自らも懐から煙草を取り出しそれをくわえて慣れた手つきで火をつけた。
ふっと、煙草の煙が空を舞う。
「未成年が煙草を吸うのは犯罪だよ? 警察に補導されたら今は俺が責任を問われる。だからそれはやめなさい」
そう言って、青年は少年から煙草を取り上げた。
「………」
少年はむっとした表情をして青年を睨み上げる。
「――‥こらこら、そんなカオしないの。可愛い顔には似合わないよ、お嬢ちゃん」
「誰がお嬢ちゃんだ!!」
「……じゃ、名前」
「は!?」
「――‥君の名前、教えなさい。そしたらコレも返してあげるよ」
先ほど少年から箱ごと取り上げた煙草をちらちらとゆすりながら、青年は軽薄そうに微笑んで少年の赤い瞳を覗き込んでいた。
「………」
「俺は、アル。君の名前は?」
「……」
「……」
「…………ラッシュ」
しばしの間を置き、少年はぼそりと小さく名乗った。
「――‥ラッシュ、ね。それは愛称? 日本人じゃないとは思っていたけど……まぁ、俺も人の事は言えないか」
軽く肩を竦めてそう呟きながら、アルは苦笑していた。そうして取り上げた煙草をラッシュと名乗った少年に渡す。ラッシュはさし返されたそれを乱暴に受け取ると、また煙草をくわえてそれに火をつけた。
「――‥なぁ、これから俺とデートしない?」
「
断る」
「即答!? しかも思い切り!? ………冷たいなぁ」
吸っていた最後の一本の煙草を携帯していた灰皿に入れながら、アルは即答拒否なラッシュの言葉にがくっとうなだれていた。
「何故この俺が、貴様とデートなんぞしなければならない。誘う相手を間違ってないか? それとも、そういう趣向の持ち主か?」
半ば呆れたような表情をして、煙草をふかしながらそう言ってラッシュは再びアルを見上げる。
「……いや。男に声を掛けたのは君が初めてだよ」
ふっと真面目な表情をしてアルは答えた。そして、煙草をふかしていたラッシュの手を掴むと、強引に口元から手をよけさせて、無防備になった少年の唇を塞いだ。
「……っ!?」
「……」
「――‥な、せっ!!」
ドンッと力を込めて青年の体を押し退ける。直後、ラッシュは懐から素早く拳銃を取り出してアルの方へとそれを向けた。
ばさり、と、これまで隠されていた純白の羽根が、少年の背中にあらわになっていた。
「貴様、一体何のつもりだ!?」
拳銃を突き付けながら少年は怒声を放つ。
「――‥まさか、君が守護者(ガーディアン)だったとはね」
皮肉めいた苦笑を漏らしながら、アルはそう呟いた。
「そう言う貴様は、略奪者(プランダー)だろうが。人ではない魔力反応……貴様の背中に黒い羽根も見えるぞ。胡麻かすなら、もっと上手く立ち回ることだな」
「……最初から気づいていたってことか?」
「………」
「成る程ね。俺がどうでるか、試されていたってわけだ」
容赦なく拳銃を向けるラッシュに、アルはまた自嘲するように小さく笑い、自らも隠し持っていた銃剣を取り出す。それと同時に背中の黒い羽根を大きくはためかせ、ふわりと夜空に舞い上がって行った。その後をラッシュも追う。
ネオンに照らされた繁華街に、白と黒の羽根がひらひらといくつも舞い落ちていった。
追記
2014/06/12 04:12
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