親しくはない、と思う。かと言って嫌い、というわけでもない。
殆ど初対面であるにも関わらず彼に対する警戒心や自己偽装が他に比べて薄いということは自分でもわかっていた。理由は解らないのだが。
「音感はまあまあか。厳原(いずはら)は音楽未経験者って言ってたよな?うん、初心者にしてはなかなかだ。次は実際にこの一章節まで歌ってみて」
入部する意思がないことを伝えているのだから(伝わっているか不安だが)放課後まで付き合う義理はないのだが、彼と居るときは私の他人の反応を異常に気にする癖が発動しないので、その分に使う神経を休ませることができる。ようするに気が楽だったので、こうしてわざわざ足を運んでいるというわけだ。
彼には人を欺こうとか裏を掻こうとかする卑劣な心がない。そういうものはどんなに隠して言動から自然と浮かび上がってくるものだ。私は人一倍その心を感じ取る能力に長けているので、人と素直に接することができないが、彼だけは例外だと出会って二日目にして感じていた。
「上手いじゃないか!やはり君には歌の才能がある」
この邪気の無い天真爛漫な笑顔が彼の本質を象徴しているのだと思う。私は彼のこと全くと言っていい程知らないが(そういえば名前さえ知らない)彼と接する短い時間でその憶測が徐々に確信に近付いていった。
不思議だ。何故こんなにも見知らぬ相手を信頼しているかのような素振りを見せるのか?素振りではなくこれが本当の姿なのか?今までにこんなタイプの人間に出会ったことがないから解らない。
しかし、彼の接し方に戸惑いを感じるわけではなかった。彼の前では他の人たちのように自分を偽ることが馬鹿馬鹿しくなってくる。彼の何が私をここまで変化させるのか。知りたい。私はどうやら彼に興味を持ったらしい。
「良かったよ、厳原(いずはら)が歌える人で。歌えないボーカルなんて話にならない」
「私に歌唱力があると知らなかったのに、勧誘したんですか」
口から出任せであのように部員達に大切りを切ったのか。もし私が音痴だったらどうするつもりだったんだ。
「あまりに綺麗な声だったから」
彼は照れたように、はにかんで後頭部を軽く掻いた。続けて、本来なら本人の承諾や実力の確認無しに入部させるなど有り得ない、と言った。
「僕が君の歌声を聴きたかったんだ。理由はそれだけで充分じゃないか?」
私を勧誘したのはボーカル不足の軽音部の為だと思っていたが全てそういうわけでもないらしい。成る程、個人的な我が儘を出すところもあるのかと意外な面に思わず笑みがこぼれた。同時に理由が自分の歌声だということが素直に嬉しかった。







「恋だね」
「鯉?どこに」
「恋だよ。ラブ、アンド」
ピースと言いながら私達は(私は絵里子に誘導されるように)人差し指と中指を立てたチョキのポーズでお互いの指先を合わせた。一瞬の沈黙の後、我に返る。
「もしかして私の話?」
「そう」
「私が吉田先生に?」
「そう」
ふーん、と適当に相槌を打つ。一瞬の沈黙の後、我に返る。私は昨日の放課後の話をしただけなのに何故そのような結論に行き着くのか理解出来なかった。彼女に疑問を投げかける。
「だって、いーちゃん、話してる時笑ってた」
絵里子の物言いに、まるで私が普段は全く笑顔にならない人だと決め付けられているように感じ、不服の意思を込めてその言葉を否定した。すると、彼女は心底驚いたように目をパチクリさせる。
「いーちゃんが笑ってるとこ、私、初めて見たよ?」
きっと吉田先生はいーちゃんにとって特別な人なんだよ、そう言って笑う彼女の表情はとても温かく、少し淋しいものだった。







自我を持ち始めた辺りから自分と人との間には壁があるように感じていた。自分と他人とのズレに違和感を抱いていた。
だからこそ、恋する乙女な感情なんてとっくの昔に欠落しているものだと信じて疑っていなかったが、もしかしたらそれは杞憂に過ぎなかったのかもしれない。もしか私が彼に恋をしているとしたら、の話だが。
「おーい、厳原?」
恋、ねぇ…。確かに彼といる時は神経を研ぎ澄ます必要がないから気楽に接することができるが、それが恋かと言われれば本当にそうなのだろうか…。
でも絵里子、"笑ってた"って言ってたし。っていうか、私って全く笑わないんだな。意識してないから知らなかった。
「どうした、ぼんやりして」
心配そうに私の顔を覗き込む彼に大丈夫ですと答えると、彼は曇っていた顔を晴れやかにして良かったと呟いた。ああ、この人の笑顔が移ってきているのかも。
「何か悩み事があるなら僕に相談しろよ?」
純粋に私のことを考えて言ってくれていることが伝わる。この人にはいつだって"嘘"がない。私は三十秒程考えて言う。
「実は恋に悩んでいます」
彼は途端に眉をひそめて難しい顔になる。あれ、言っちゃマズかったかな。もしかして恋愛系統の話は受け付けないタイプだったとか…?彼は暫く(しばらく)黙っておもむろに懐から携帯電話を取り出して言う。
「実は僕も彼女のことで悩んでる」
待ち受け画像の仲睦まじく寄り添う男女。携帯の中の彼は照れくさそうに身をよじって幸せいっぱいに笑っている。自分と彼女さんの写真を待ち受けにしてることや彼女さんの見た感じが私とは正反対の誰からも愛される社交的な美人だったことなんてどうでも良かった。だって、写真の中の彼はいつも以上に魅力的だったから。ああ、これは、この胸のざわめきは、

姓は厳原、名は依澄(いずみ)。齢17にして生まれて初めての恋をした。

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