生徒が登校し始めた頃の早朝、校舎は人気が少なくしんと静まり返っている。私は人が沢山集まって口々に好き勝手なことを話している喧騒に複雑に入り乱れた人間の感情を感じて嫌悪感を抱かずにはいられないタチだったので、視界も聴覚もクリアなこの時間帯に必ず登校するようにしていた。
職員室の前を通って教室に向かう為、階段に足をかけたとき、背後に視線を感じた。振り返ってみると、一人の教師がこちらを見ている。
生徒指導の先生か?私は別に校則違反などしていないが…。
黙っているのもおかしいので朝の挨拶と軽く会釈をして、通り過ぎようとした。彼は私に挨拶を返すでもなく、一言「綺麗な声だね」と子どものような無邪気な笑顔で言った。生徒にこんな笑顔を向ける人なんて珍しい。私は少し面食らったが、気持ちのない声で適当に礼を言って再び教室に向かう。







「軽音部に入る気はないか?」
あれ、この人。
今朝の風変わりな教師に実にフレンドリーに話し掛けられた。この人、軽音部の顧問なのか。
「ありません」
私は早く帰って録画した金曜ロードショー(魔女の宅急便)を観る為に素っ気なく返事をして、足を速める。あの後、果たしてキキは無事に荷物を届けられたのかが気になってしょうがなかった。
教師に無礼な態度をとることには気が引けたが今は放課後だ。やっと学校という檻の中から開放されるというのに部活の勧誘に引き止められる義理はないと思う。
「君の声は素晴らしいよ、是非軽音部に見学に来てみてくれないか」
結構です、遠慮させていただきますと言葉を発する前に手を引っ張られ、気付けば『視聴覚室』と書かれたプレートがぶら下がっている部屋の前まで連れて来られていた。
見た目ふわふわしているクセになんて人の話を聞かない人なんだ。
半分呆れながら、それでも私は帰りますと言ってその場を離れる。否、離れようとした瞬間背中を強く押されて否応無しに部屋の中に入る形になり、いきなり飛び込んできた外部者にミーティング中の軽音部員達の視線が自然と向けられる。
なんだ、この状況。どうしたらいいんだ。
「遅くなってすまないな」
私の後ろから当たり前のように笑顔で部屋に入る勧誘教師に対して私が激しい怒りを抱いたことは必然だと言えるだろう。鋭い目つきで睨む私を見事に無視して部員達に新しいボーカルを見つけてきたと意気揚々と話す彼は私の肩を掴んで「二年生の厳原(いずはら)さんだ」と紹介する。
…新しいボーカル?私のことか?
「いやいや、おかしいでしょう。私、入部しないって言ってるじゃないですか」
「彼女の歌声は正に我が部の救世主だよ」
無視か。あんたの前で歌ったことなんてないぞ。彼に対しての部員達の反応はというと、喜び勇んだ弾んだ声でお互いに囁き合っている。ちらちらと向けられる期待に満ちた視線が眩しい。
…あれ、なんだこの状況。
そのうち部員の中から部長らしき人が進み出てきて握手を求めてきた。
「よろしく」
笑顔の教師に肩を叩かれたポンッという音が拍子抜けするくらい軽く感じた。
果たしてジジは無事に救出されたのか、心のどこかでボンヤリとまだそんなことを考えていた。







「へえ、軽音部に入ったんだ」
「いや、入ってないよ。昨日そんなことがあって驚いたっていう話」
「でも、いーちゃん、歌上手いじゃん。部活無所属だし、ホントに入っちゃいなよ」
絵里子は私が気を許す数少ない友人の一人だ(寧ろ唯一と言った方が適切かもしれない)。自然と人と壁を作ってしまう私にとって過度の人見知りや無口や自虐的思考を気にせずに一緒にいてくれる彼女には言葉には出さないが感謝している。彼女も多分だが、それを感じてくれていると思う。
「私は帰宅部でバリバリ活動してるから忙しいの」
正直なところ、歌を唄うことは好きだが、部活に入るなんてとんでもないことだった。他人の言動や行動に異常に反応してしまう自分の悪い癖を治さない限り、新しい人間関係を築くことは到底出来そうにない。
「でも、ヨッシー、来てるよ」
ヨッシーって誰だ。緑色の恐竜か?
絵里子の言葉に疑問を感じながら彼女が指差す私の後方を振り返ると、昨日の強引勧誘教師が教室のドア付近に立っていた。視線の先は恐らく私なのだろう。私と目が合ったことに気付いた彼は相変わらない純真無垢な笑顔で私に手招きをした。ヨッシーってあの教師のことか、と内心溜め息をついて私は廊下に出る。
「昨日言い忘れてたんだが、練習は月木の週2だからな」
「昨日も言いましたが、私は入部しません」「仕方ないな、初心者で不安だって言うなら僕が個人特訓をしてあげよう。こう見えて昔、歌手を目指してたんだ」
話が通じない。誰か通訳して下さい。今日の放課後に音楽準備室に来いと言い残して彼は去って行った。改めて、びっくりする程に人の話を聞かない人だな。
何の用だった?と、少し興味あり気な様子で茶化すように訊ねる絵里子に経緯を話す。
「それにしても、極度の人見知りのいーちゃんがあんなに親しく話すなんて珍しいね」
別に親しくはない、という私の言葉は午後の授業の始まりを告げるチャイムにかき消された。


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