やがて、夜が押し寄せて来た。昼の王、太陽はとっくの昔に世界の裏側へ追いやられ、代わりに神聖な月が天と地、人までもの支配権を得る。夜の王はいつもと変わらず、どこまでも冷徹で残酷で、全ての理(ことわり)に平等に哀しみを与える。

ひっそりと存在する美しい世界で神々しい王者の光に魅いせられた人々は、今日も神を自らの手に入れようと望み不可能を嘆き、自分に狂うのだ。誰もが例外なくその一員だった。

ああ、神よ。新世界への到達点は入り口は、境界線は、まるで何処(いずこ)にあるというのか。いつだって月は美しく冷たい笑みを浮かべるばかりで応えてはくれない。そうでないのは夜に成って間もない宵の僅かな時のみだった。宵を逃してはいけない。神の応えを聴き逃してはいけない。宵の短い刻には人々は必ず新天地を求めて助言に耳を澄ませるのだ。





















気持ち悪い。淫らに媚びながら狂ったように踊り闘う女たちも、それに喜び勇んで狂ったように叫びながら酔いしれる男たちも。みんなみんな気持ち悪い。みんなみんな狂ってる。何で、私はここに居るの?ここで何をしているの?何がしたいの?何で、何でこんな下等生物の集まりに私が存在しているの?

『最後は今日の目玉!新人の猫娘ミーコ対女王様チトセです』

わあっと歓声が起きる。私は舞台に上がった。私は誰にでも顔向け出来る人生を歩んできた。その為に必死に努力した。いつでも自分を律して堕落しないように自分を支えてた。それなのにどうして、どうしてこの私が…。私はこんなところに来るはずではなかったのだ。此処は私の居場所じゃない!

見知らぬ男たちの舐めるような視線、視線。視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線。一気に浴びせられた沢山の視線を全身で感じてしまったその瞬間に私の中の全てが変化した。私、私はこんな人間じゃない、これは本当の私じゃない、こんな私を私は知らない!そんな考えが頭の片隅を掠めた時、私が誰より気持ち悪いと、そう思ってしまったのだ。

「お疲れ様、猫娘」

敵意と悪意を剥き出しにして、髪を引っ張り、爪で引っ掻き、拳で殴ったというのに女王様は傷だらけの体で実に友好的な態度で話し掛けてきた。それには親しみすら感じられる程だった。初対面が(相当な)悪印象だっただけに私は女王様の変化に面食らってしまった。

「アンタ、この後暇?だったら付き合いなさいよ。新人歓迎会やってあげるから」

私は戸惑いを含みながらぎこちなく頷いた。彼女はそんな私の反応に満足したのか、ミーティング室でもあり更衣室でもある教室へ歩いて行った。その後ろ姿を呆然と見る。なんなのだろう、アレか、過去に戦った敵が仲間になる的な少年漫画のお約束か?そういうところなのか、ここは?違和感と疑問に首を傾げながらも、今は独りきりで未知の自分を見てしまったことによる自己嫌悪に陥っていたかったので、彼女に不満を抱かずにはいけなかった。

「アンタ随分良い動きするじゃない。格闘技か何かやってたわけ?」

新人歓迎会なんて言うから、複数の人でご飯でも食べに行くと思い込んでいた私は女王様が彼女の自宅に私だけを招いたことに驚き戸惑った。知り合ってたかだか数時間の得体の知れない人間のテリトリーに踏み込むことに不快感や警戒心を抱いたのもその理由の一つだし、何より彼女の行為自体が常識から逸脱しているように思えたのだ。

「…学生時代に柔道をしていたことがありました」

「ふぅん、なる程。それでねぇ」

しかし、女王様の強引な勧誘と新人と大先輩(雰囲気的に。他の人達も彼女に従っているように見えた)という立場からはっきりと断ることが出来ず、半ば引きずられる形で私は今現在高級感は微塵も感じられないが清潔感のある綺麗な彼女の家のリビングで食事をご馳走になっているというわけだ。

正直言って、疲れた体を休める為と他人の家が落ち着かない為と独りで今日の自分について考えたかった為(これが一番大きい)に早く帰りたかったので私は常時ふてくされた態度をとっていたが、彼女の料理は私が思っていた以上に美味しかった。私が賞賛すると彼女は「余り物よ」と言って少し照れたようにはにかんだ。その微笑からは舞台上での獰猛な獣のような激しい気性がどこにも感じられなかった。しかしその笑顔が美しかったかどうかというと、どう見ても舞台上の彼女の方が美しかった。あの時の彼女はひどく妖艶で女の私を魅了する程官能的だったのだ。私はその淫らな美しさに恐怖さえ抱いたことが記憶に新しい。ともあれ、私の彼女に対する警戒心が少しだけ薄れたことは事実であった。

私はチトセさんと(先輩と呼んだら彼女からたしなめられた。年の差を感じるので嫌いらしい)しばらくお喋りをして、お暇(いとま)した。去り際に「特殊な仕事だけど、ま、気負わないでやりなさい」と初めて会った時の会話とはまるで正反対の言葉を私に言った。彼女も私と同じように今でも仕事を嫌悪しているのではないか、彼女の悲しい笑顔を見てそんなことを思った。

チトセさんにズタズタにされたことと慣れない運動による筋肉痛に体の節々が悲鳴をあげている。私は歩くだけでも感じる痛みに顔をしかめながらそれでも休むことなく足を動かし、全速力で帰宅した。家に帰ると、すぐベッドに横になった。

疲れた頭で今日のことについて考える。舞台上で客を目の前にした瞬間に豹変した自分を受け入れることができなかった。あれは本当に私なのか、だとすると私は一体誰なのだ?

闘う前に彼女が私に言い放った言葉の意味がなんとなく解ったように感じた。きっと彼女はこうなることがわかっていて私に警告していたのだ。

ああ、私は月の奴隷の一人になってしまったのか。

宵の短い刻には人々は必ず新天地を求めて月の助言に耳を澄ませる。答えは自分で捜し見つけるが吉と、わかっていながらも、そうせずには居られない。それが悲しきかな、人間の性(さが)というものなのだから。

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