全ての事象には起点と終着、過程がある。僕は過程について流れが変わって終着点が実際とは異なる道を憶測し、過去に仮説を立てることが癖だ。

例えば、今現在僕はエレベーターの中に居るが、少し億劫でも健康のことを考えて、たったの三階くらい階段を利用すれば、二時間も密室化した箱の中に閉じ込められることなどなかっただろうとか、非常用ボタンが有効であることをこのような非常事態を想定して確認しておけば、今ごろは部屋でテレビでも見ながらビールを飲んでいただろうとか、残業手当てが出ることを理由にゆとりを持って会社で仕事をしていなかったならば、いつもより帰宅時間が遅れることもなく、ついては裸の女性と居合わせることもなかっただろう、とか、そんな風なことを考える。

つまり、僕は激しく後悔していた。今までの自分の行動を。そして、激しく同情していた。今置かれている自分の状況を。

しかし、弁解させて欲しい。一体誰が初めて一人暮らしする自分の引っ越し先マンションの露出狂であるお隣りさんと偶々エレベーター内で一夜を共にするなんて考えるというのだ。そんなことは宇宙人が地球を攻めてくる確率より遥かに低い。







「寒いですわね」

別に寒くはない、僕は。彼女が身に付けているものは赤いブラジャーと赤いパンティーだけだ。今は四月上旬だが、常識的に考えて寒さを感じるのは当たり前だろう。というよりも、下着姿で外出する人を前に常識的なんて言葉は意味をなさない。もし、彼女が"常識的"ならばアメリカ軍が平気な顔で日本を核兵器爆撃したって全く不思議ではない。

彼女はもう一度エレベーター会社に連絡してみると言って(豊満な胸の谷間から取り出した)携帯電話でパネルに記載されている番号をプッシュした。数回コールする。コールする。コールする。彼女は溜め息をついて、電話を切った。腹立たし気に赤いハイヒールでドンドンとエレベーターの底を踏み鳴らす。両足首に巻かれ、踝(くるぶし)辺りで結ばれた赤いリボンがひらひらと動く姿がひどく扇情的だった。

「こんな夜中にだって事故は起こるものでしょうに…対応がまるでないなんて!法律上問題があると思いません?」

法律のことは詳しくないけれど、彼女が法にひっかかっていることは確かだと思った。

僕は彼女に警察官に職務質問されたことはないかと質問した。彼女は笑って否定した。よし、このごだごだが落ち着いたらここよりも治安が良い所に引っ越そう。

就職氷河期と言われている昨今、試験を受けた数十の会社の一つからようやく内定をもらい、思い切って生まれ育った家を出て、新生活を始めた矢先にお隣りさん(露出狂)と真夜中に狭いエレベーター内で二人きり、外には連絡もつかないなんて、僕は相当に運が悪い。

これが同じ会社帰りの中年男性だったらどれほど良かったことか。いや、中年女性でも同年代男性でも老人でも子どもでもいい。兎に角、若い女性というだけで充分辛いのに、彼女は恐ろしいことに下着姿なのだ。それこそ核兵器並の破壊力を持っている。

僕は架空請求の有り得ない多額を知らされたときよりも、初めて出来た彼女の浮気現場を目撃したときよりも、今までの人生で最高に神経を尖られせていた。

「わたくし、とても疲れていますの。申し訳ないのですけど、少しだけ眠らせてくださらない?」

彼女はそう言うと、エレベーターの壁に体を預けて足を投げ出して横になった。震度4程でペシャンコになりそうな頼りなさ気なボロアパートでもオートロックや大型駐車場付きの高級マンションでもない、至極普通の七階建てのこのマンションのエレベーターのことだから当然のごとく成人男性と成人女性が寝転ぶだけのスペースなどあるはずもない。僕はできるだけ小さく体を折り畳み、正座するような形になる。

彼女はどこでもいつでも寝れる体質なのか、横になってすぐに寝息を立て始める。小さく上下する彼女の滑らかな背中を見ていると急に時間が気になった。時計を見ると僕らはちょうど日付の境界線の上に立っている。彼女が眠ったことで緊張がある程度緩んだのか、初めての職場ストレスと残業付きの激務の疲れが勢い良く僕を襲い、同時にゆっくりと微睡んだ。下着姿の女性と折り重なるようにエレベーターという公共の場で眠ることに常識的な僕が歯止めをかけたが、巨大な睡眠欲とほんの少しの好奇心には勝てなかった。

きっともう、こんな(下着姿の)美女と一緒に寝ることなんてないだろうな、僕は自分の不運さを嘆いていたが、ひょっとするとものすごく幸運の持ち主なのではないか、明日後藤(会社の同僚)に会ったら自慢しよう、…信じてくれるだろうか、そんなことを思いながら僕は意識を手放した。



















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