福袋を開けるとそこには雨が入っていた。

雨は福袋の上から下に向かってしとしとと降っていた。時折ピチャッピチャと水が跳ねる音がするだけで、母親が寝入り端の乳飲み子に与える子守歌のように静かな雨だった。それは一定のリズムで福袋全体をまあるく包み込み、あくび涙が幼子の頬を伝うように徐々に濡らしていた。

僕は思わず窓の外を見た。快晴である。二〇一四年の一月二日の朝はすがすがしく晴れ渡っていた。次いで福袋の中を覗く。霧雨である。

僕はクローゼットの扉を開け、机の引き出しを開け、財布を開け、リュックのチャックを開け、小物入れを開け、年賀状ボックスを開け、お気に入りの本を開き、こたつ布団を持ち上げて中を覗き込んだ。自室からキッチンへ移動し、食器棚のガラス戸を開け、炊飯器の蓋を開け、急須の蓋を開け、トースターの扉を開け、米びつを開け、冷蔵庫の扉を開き、コーヒーポットの蓋の中と全ての鍋の中を確認した。しかしどこにも雨は入っていなかった。

僕は自室に戻ってもう一度福袋を開けた。勘違いでも気のせいでも錯覚でもなく、雨は先程と変わらずしとしと降っていた。暗喩や引用や脱構築やサンプリングではない無数の水滴が放つ湿気がそこには漂っていた。僕は雨の入った福袋を買ったらしい。


                ◆◇◆


昨日、二〇一四年一月一日、元旦。ガールフレンドに荷物持ちとして街に連れ出された。ショッピングモール、百貨店に並ぶ服屋、靴屋、雑貨屋、帽子屋、鞄屋、時計屋、下着屋、アクセサリーショップ…ごったがえす人の波に揉まれながら、僕らは商品を見て回った。主に彼女が見て、僕はその熟練した技能を持つ忍者のように、スッスと人を避けてさっさと歩く彼女の後ろ姿を、見失わないように気を付けて歩いた。

彼女は時折立ち止まっては「この子に運命を感じた」と鞄なり服なりネックレスなりを僕にチラッと見せて迷わず会計をする。

「この色とこっちの色ならどっちが似合うと思う?」「左かな」「うーん、やっぱり買うのはやめておくわ」などという女性との買い物でありがちな時間の浪費は全くない。彼女の買い物は見ていて気持ちが良い。買いたい物は即座にレジに持って行き、好みの物がなければ素早くその場を立ち去る。実に場数を踏んだ侍の太刀筋の如く無駄のない動きだ(金銭的には無駄と言えるが)。

しかし、彼女の決断がいくら早いとは言っても、一つのデパートの婦人向けフロアを一軒一軒総なめしてゆくので、とりたて買いたい物もない僕は、重く大きい紙袋を持ちながらすぐに脚が棒になる。加えて、獲物を狙う肉食獣のように鋭い物欲をむき出しにする女性達のエネルギーに当てられて、大変に疲弊していた。

「お疲れ様、ありがとう」と彼女は言って僕に缶コーヒーを渡す。休憩用のベンチも人でいっぱいなので、僕らは立ったままホットコーヒーを飲んだ。ほっとした。

「あなたもせっかくだから何か買い物をしたら。福袋なんてどう? 買ったことないでしょう? おみくじみたいなものだと思って一つ買ってみなさいよ」


                ◆◇◆


雨が入っているこの場合は吉なのか凶なのか判断しかねるところだ。しかし五千二百五十円の雨と考えると金銭的には高い気がする。僕は今特に雨を必要としていないし、そもそも僕が買ったのは服の福袋なのだ。福袋である前に服袋であると信じて購入したわけだから、文句の一つも言いたくなる。

僕は福袋雨を神様か雷様にでもなったかのように真上から覗き込んでいる。正確な視点としては雨雲が視界を邪魔していないところから雨雲より低空に位置するのだろう。福袋の取り出し口のジッパー部分が上空だとするなら、袋の底のマチ部分は地だった。眼下にはとても小さな、家やビルや公園や神社や電車の線路や川や雑木林が広がっていた。その平凡な下町は天から見下ろしている僕を全く意に介さず、まるで親の三世代前からここに住んでいますという顔で、福袋の底に鎮座していた。ここからではその小さな街に、人影や動物の動く様子は視認できないが、静かな意識の気配が漂っていた。それが街のものなのか、雨のものなのかはわからないが。

雨水が外に(僕の部屋に)跳ねることはないが、ひんやりと冷たい空気と雨の湿った匂いが袋からじんわり漏れている。僕はチラシの裏紙を長めのピンセットで摘んで中に入れてみた。ぽつぽつ、と雨が当たる軽い音がしてチラシは濡れる。チラシをキッチンに持ってきて、ライターの火に近付けるもチラシは燃えなかった。アルコール、石油等の類ではないらしい。次に計量カップで雨を掬い取り、温度を測りながら鍋で沸騰させる。沸点は九十八度だった。余った料理を詰めるタッパーと、鼻うがい用の(花粉症により耳鼻科で購入した)チューブをつなぎ合わせて即席の蒸留装置を作り、雨を煮沸する。不純物としてごくごく少量の花粉(これは僕の過敏な鼻が証明してくれた)が残った。

「以上のことからこれは恐らく雨水で、危険は低い液体と推測されるんだけど、どうだろう」
『どうだろうって言われても』
彼女に電話で説明するも全然信じてもらえていないらしい。この無意義な電話を一刻も早く終わらせたいという気配が受話器越しに遠慮がちに漂っていた。

『あのね、元旦からバーゲンに付き合わせたのは悪かったわ。でもこんな訳の分からないことを言って、私を困らせる意趣返しをするのは、ちょっと意地悪が過ぎるんじゃない。悪いけど、これから母方の実家に家族で帰省するのよ。親戚が集まる新年会だから食事作りやなんやかんやと忙しくて、しばらくは連絡ができないの。次に会った時、きちんと埋め合わせをするから今日は勘弁して頂戴』

そして彼女は電話を切った。


                ◆◇◆


電話を終えて三度福袋を見ると、雨は雪に変わっていた。心なしか先程より室内の温度が下がったような気がする。ささめ雪で町がほんのりと白く染まっていく様をぼーと眺めながら、そう言えばここ最近雪を見ていなかったなあと考えていると、ふと気になることを思い出した。昨日彼女の買い物の合間に立ち寄った本屋で買った本を手に取る。『二十四節気と七十二候の季節手帖』というタイトルで元旦の欄にこんな季語が載っていた。

【富(とみ)正月(しょうがつ)】元旦、または、正月三が日の間に降る雨や雪のことを「御降り(おさがり)」とか「富正月」といいます。御降りは天から離れてさがってきたものという意味。また「富正月」は正月三が日の雨や雪が、豊作の印とされていることからきています。正月に限らず、雪の多い年は豊作とされ、『雪は五穀の精』といわれました。妖精達が舞い降りてくる正月……。そんなふうに思うと、素敵なことがたくさん降り積もる一年になりそうですね。


                ◆◇◆


僕はコートを着込み、外に出てみた。ぴりっと寒くはあるけれど雲ひとつない気持ちのよい正月だった。新しい年の始まりを感じ、どこか新鮮で軽やかな気分になり、最寄りの参拝客で溢れる神社に初詣をすることにする。

鳥居の手前の通りにイカ焼き、ベビーカステラ、フランクフルト、りんご飴、射的、ミルクせんべい、からあげ…等々の屋台がところ狭しと立ち並び、子どものはしゃぎ声が雑踏の合間を縫って私の耳に届く。昨日は辟易した人の賑わいも今は気持ちを高揚させるよいスパイスだ。景気よく賽銭に樋口一葉のお札を入れて今年一年の健康を祈願した後、今度こそ運試しと意気込んでおみくじを引いた。

「よいお参りでした」
巫女さんに手渡されたその紙をそおっと開くと「大凶」と書かれていた。




















(引用『二十四節気と七十二候の季節手帖』
山下景子 著  成美堂出版)

















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