カーテンが閉め切られた薄暗い室内。換気扇がゆっくりと生温い空気をかき混ぜている。ファンの回る微かな音は衣擦れの音にかき消される。

「お前って、年の割にホント良い体してるよなぁ」

あっという間に身につけていた物を剥ぎ取られ、男の舌が自分の肌を這いずり回る。それは吸ったり噛んだりを繰り返す。やがて飽きてくると男の顔は上に移動し、自分の耳元に口を寄せ、低いねっとりとした声で「この淫乱め」と罵った。そのままがぶりと首筋に噛み付く。血と唾が混じり合って糸をひく。

痛さと気持ち悪さと羞恥心と恐怖で背筋が凍った。

「その顔いい、もっと見せて」

男は自分の体に顔をうずめて思う存分楽しんでいる。自分の頬を気付かぬうちに涙が伝った。

何故こんなことになってしまったのか?自分は何も悪くないのに、何故?

…わからない。もう何もわからなくなってしまった。早くこの時間が終わって欲しい。虚ろな目で回る換気扇を眺めながら、ただただそれだけを願っていた。




・・



静かにしとしとと降る雨模様の空の下、湿気の多い学び舎の小さな室内に籠もる二人の男女生徒の姿があった。

「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

呆けた顔で固い木造の椅子を並べたお手製ベンチに寝転んで、つまらなそうに漫画本を読む少年。その口から溜め息とも歌声ともとれない覇気のない声が発せられる。座席について、熱心に携帯電話を弄る少女が「うるさいです、先輩」とボタンをプッシュする指を止めずにたしなめた。

「暇だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。雨でジメジメしてるし〜、これだから梅雨は嫌いなんだよ〜」

少年は誰に言うでもなく、漫画本を閉じ、言葉を漏らす。少女はそれには応えず、ピチャピチャと雨水を跳ねる音だけが部室に響く。

「そういえば、」

少女が思い出したように、携帯電話の画面から顔を上げた。少年はゴロンと少女が座る机の方向に体を転換させ、興味を示す。

「盗難事件があったらしいですよ」
「え?マジで。財布とか?」

人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、それらは話題性と関連深い。

「綿」
「は?」
「綿、です」

なんでも、テディベア部からのクマの中に詰める綿が盗まれたらしい。「っていうか、テディベア部なんてうちの学校にあったのかよ」と話の感想を言いながら、我らが漫画研究部もきっと知名度が低いのだろうなあと、自嘲気味に呟いた。漫画研究部こと漫研は、部長の芦名と部員の三科の二人で成り立っている。何故部員が少ないかってそりゃあ勿論活動が活発でないからである。

少年の盗難事件に対する興味の風船は途端に萎んだようだ。仕方ないという動作で再び漫画本をとる少年は、ふと顔を戻し、忙しそうに指を動かす少女に問うた。

「そういえばさ、さっきから誰とメールしてるんだ?」
「トップシークレットです」

電池が切れたのか、少女は、自前の携帯充電器をコンセントに差し込み、充電しながら三度携帯を弄る。電気泥棒め〜と毒づきながら、少年は深い溜め息をついた。

外ではまだ雨が降り続いている。




・・



瞬間、獰猛な肉食獣の低い唸り声を真似たような警報が校内に鳴り響く。危険を知らせるその機械音がイタズラなのか本物なのか、生徒達は判断に迷っている様子である。そうこうしている間に落ち着いた機械音か肉声が決めづらい女性の声が校内に放送される。

『校内で火災が発生しました。場所は南館一階体育教官室。生徒は速やかに避難して下さい。繰り返しますー…』

放課後に部活動中だった生徒達は慌てふためいて避難経路を辿る。そんな中で流れに逆らい皆とは違う方向に進む部があった。漫研部である。

「先輩!何してるんですか?早く避難しないと…」
「ちょっとだけ見に行こうぜ、三科。面白そうだし」
「何言ってるんですか?危ないですよ!」
「ちょっとだけだから。大丈夫だって」
「ちょっ…芦名先輩!」

三科の忠告に聞く耳を持たず、火災現場に向かう芦名。三科はそれに対して「ホント無鉄砲さは学校一…」と溜め息混じりに呟くと、気乗りしないながらも後を追いかけた。

体育教官室に向かう中で、二人は異変に気付く。普通、火の元に近づくにつれて煙が伴うものだが、それが全くないのだ。視覚での存在確認は勿論、煙を吸い込むことによる自身の体の異変も、気配さえ感じられない。これはどういうことなのか。二人は顔を見合わせ、現場に急いだ。

「煙以前に火が出てないときたか…」

半ば予想した通りそこには、火の海が広がっているどころか、何の変哲もなく、校舎が佇んでいるだけであった。

「一体どういうことなんですかね?やっぱりただのイタズラ…?」
「…いや、イタズラにしては何か引っ掛かる…」

やがて消化活動をしようと教師達が集まってきた。ここに彼らが居ては叱られることは必至である。考え込む芦名の肩を三科が焦った様子で叩く。

「先輩!先生達来ましたよ!」
「よしっ、ズラかるぞ!」
「先輩、それ悪役のセリフです!」




・・



「なんっか、違和感があるんだよなあ〜」
「何の話です?」
「こないだのデマ火事事件」
「…ああ、あれのことですか」

嘘の情報で校内が一瞬混乱に陥ったあの事件から一週間後、勇敢にも(?)戦地へ赴いた漫研部長とその部員は、今日も憩いの教室で暇を持て余していた。例のごとく芦名は漫画本、三科は携帯電話を片手にくつろいでいる。

「あれのことって…随分興味なさ気だな」
「だって、ただのイタズラでしょう」

結局のところ火災などどこにも起きておらず、またパニックによる怪我人も出なかったため、事件は軽視され、全校集会での注意の呼びかけと再発防止のために警報装置の上に注意書きが貼られ、念の為に被害に遭った体育教官室に宿直の教師が注意を配るという話に留まった。

「そうなんだけど〜、何かおかし」
「あっ、すみません。電話来ました」

芦名の話をよそに、電話をとり会話をする三科。芦名は物言いたげに、机にいじいじと指を押し付ける。

『……で、……そうなの。……うん……』

何やら深刻そうな話である。三科は神妙な顔で相手の話に相槌を打っている。途切れ途切れに微かに聞こえる三科の電話の相手の声に芦名は首を傾げた。どこかで聞き覚えのあるような?どこで聞いたか記憶の糸を辿っている間に、彼女たちの会話は終わったらしく、三科は携帯電話を閉じ小さく溜め息をついた。

「友達?」
「はい、柏原っていうんですけど、ここ最近彼氏と上手くいってないみたいで…」

三科は部活動中ずっとメールしていた相手は彼女なのだ、と添えた。

「その柏原さん?聞いたことのある声の気がしたんだけど…」
「あの子放送部だから、それでだと思います」
「なる程」

会話が終わった気まずさからか、三科は窓の外に目をやり「雨、止まないですね」と呟いた。芦名は腕組みをしながらそれに無言で頷いた。




・・



ジリリリリリリリリリリリリリ
サイレンが大音量で響き渡る。校内に居る人間全員が眉をひそめて真偽を計るように怪訝な顔をする中、記憶に新しい放送がかかった。

『校内で火災が発生しました。場所は南館一階体育教官室。生徒は速やかに避難して下さい。繰り返しますー…』

一時一句違わぬその言葉に、皆疑いの表情で互いを見合わせた。先週のように慌てふためく者は誰もいない。三科は溜め息をついた。

「またイタズラですか、しつこいですね。犯人はみんなを騒がせるのが好きなんですかね?二回目なら誰も信用しないでしょうに…」

考え事をしていた芦名は三科の言葉を聞くなり、血相を変えて立ち上がり一目散に部室を走り出て行く。

「え!?ちょ、先輩!どこ行くんですか!」

三科は芦名の様子に面食らいながら慌てて後を追いかけた。


続く