窓越しに見えた人影。
窓を叩く指先。

何もかもが夢の続きに見えた。

そして、その無音の口が呼び掛けていた。



…―――キラ、と。







「アス…、ラン…?」
「ああ」

内側から震える手で開けた窓は容易く開いた。

太く四方に広がる木の幹に、新緑にも負けない深い緑色がこちらを見止めて微笑んだ。

「お前を、迎えに来た」

支えとして幾日も夢に見た面影は変わらずに、そこにある。でも。
その容姿は子供のあどけなさをとうに卒業し、数年の時間を経た彼の姿は力強かった。
その眼が、切なそうに歪んだ。

「遅くなってごめん。やっと、キラを連れ出す機会を手に入れたんだ」
「連れ…出す…?」
「ああ」

約束しただろ?
お前に、沢山の花を見せてやるって。だから。
アスランは、手を差し出した。


「…―――一緒に、行こう」


いつかの景色が。夢が。
緑の綾の中に、重なった。

優しい色だった。
優しい幻だった。

愛しい―――夢だった。


「今日はキラの誕生日だろう?…お前の望みを叶えることも、今ならできる」

あの時とは違うのだと。頼もしい眼が告げる。

「欲しいものがあるなら、言ってくれないか」
「…―――」
「キラ?」
「………、…花が」
「ああ」
「ずっと、見たいと思った花があったんだ」

ここでは、花が咲く姿を見たことがないから。大地に根を張る花びらも、それを守るように囲う緑もこちら側には存在しなかった。
美しいの定義も、綺麗と思える色も違う。
心から見たかった景色は、ここにはない。

…君が持ってきてくれた、あの花達以外は。

キラは微笑う。
やっと。
やっと、約束の花を見ることが出来た。


…―――ああ、これでもう、


「願いは叶ったよ。アスラン」


ありがとう。
ただ一人、夢の続きをくれた君。
最初から願いごとは叶っていたんだ。

「だからもう、欲しいものは何もない」

僕は、笑えているだろうか。
…いいや。きっと笑顔の筈だ。
だって、今以上の幸せはないのだから。
最後にもう一度会えた幸福に、今日という日の恩恵に、僕は感謝する。

だから、そんな顔をしないでよ。アスラン。

「何を…言ってるんだ…」
「…ごめん」

僕はいつも、君の望む答えを返せない。迎えを誓ってくれた言葉に「待ってる」とも言えず、指切りに「僕も約束する」と笑うことも出来なかった。

「ここを出れば、お前の見たいものもしたいことも、全部自由になるんだぞ!」
「ここを出たって、僕には何もできない」

外の世界に、自分のよすがは何もない。
生まれからこの時まで、箱庭にしか生きられなかった子供と繋がる糸は、最初から存在しないのだ。

…僕が、この窓の外に焦がれたのは。

去っていくその背と離れたくは無かったから。
君を消していく景色が羨ましかったから。
その向こう側で、君はどんな世界に生きているのかと思いを馳せた。
でも今。こうして君にもう一度会えたのなら。

「僕が生きられる場所は、ここしかないんだ」

君のように生きることは、僕には出来ない。
最初から全部分かっているのだと、微かな笑みを貼り付けながら返したら。

睨むような眼をしたアスランと、視線が交わった。
彼のその表情は、…静かな怒りを表していた。

「…外を知らないお前が、何を言ってるんだ」

キラは一瞬、息を詰め。
苛立ちにも似た表情で冷ややかに…淡々と語るアスランを、瞠目したまま真っ直ぐ見返した。

「何もできないなんて、それこそ勝手な思い込みだろう?…無知の被害者意識なんて、ただの世間知らずと呼ばれるだけだ」
「…厳しいね」

優しさのイメージしかなかった彼が、こんなにもはっきりと言葉をぶつけてくるなんて。
俯いて唇を震わせる。笑ってしまいそうだった。…あまりにも泣きたくなって。

「このくらい言わないと、頑固なキラは動かせない」

彼の成長という名の変化が嬉しかった。同時に変われない自分を自覚して情けなくなった。
僕には、何の時間も流れていない。

「キラがここにいるしかなかった理由はキラのせいじゃない。でも、ここを離れるチャンスを自分の選択で逃すなら、それはキラの責任じゃないのか?」

生まれから選択肢のなかった自分。
迷いが無かったのは、最初から道などないと理解していたから。それしか知らなかった子供。


でも。今なら。…―――今なら…?


「手を伸ばせ。キラ」

再び差し出された手のひらを、ぼんやりと見詰めながら。キラは、断ち切ってしまっていた意思という名の思考を、呑み込んでしまわずに口内で噛み締める。


今なら、選択することが、出来るのだろうか?


「怖くて外が見られないなら、目をつぶっていればいい。俺が支えて歩くから」

本当に。…本当に…?

「背負って歩いて行ったっていいんだ。…だから―――だから、手だけでいいから、こちらに向かって伸ばすんだ」

その、緑の景色の中に。

そこに、僕を迎えてくれる世界はあるのかな。


「頼むから…っ」


この、頼りない己の指先の向こうに。



「手を、伸ばしてくれ…!」



僕を、愛してくれる世界が―――――。















柔らかい草を、初めて踏んだ。

大地、というものを足の裏に初めて感じて、キラはその香りが何処から来ていたのかを知る。

「行こう」
「…あ…、え…っと…」

どこへ、という言葉すら戸惑う。
アスランに頼るしかない自分には、それを聞いたところで何が変わるわけでもないのに。

「キラはまず、それを直さなきゃ駄目だな」
「…それ?」
「言葉を呑み込むクセ」

穏やかに笑うアスランに髪を緩く掻き回され、照れてしまった。慣れないのだ。その仕草も。優しさに満ちたその眼差しにも。

「今日は、ある国では言葉の日なんだそうだ」
「…?」
「言葉にしてくれなきゃ、分からないってことだよ」
「わ…っ」

また頭を撫で回して、アスランは満足そうに笑った。

「俺達にとって今日はキラの誕生日っていう特別な日だが、他の人間や国では別の特別がある日なんだ」

また一つ、新しい知識を景色と共に教えてくれた君。生まれ変わっていくその場所で、今度はどんな世界を見せてくれるのかな。

「知らないことは、これから何でも誰かに聞いて知っていけばいい。…皆、お前を待ってる」
「みんな…?」
「ああ」

行こうか、と差し出された手のひらに、おずおずと…けれど確かに、自分の手を重ねて。
微笑みになりきれない笑顔を返しながら。


キラは、繋いだ手に力を込めた。

引かれた先へ、裸足の一歩を踏み出した。



不意に振り返った先に見えた、新緑に包まれ始めた木々。走り出すキラ達の姿を隠すよう、重なり合いながらその身を揺らした枝葉。


…―――ありがとう。


ずっと、僕を支えてくれた色。
いつも、手を差し伸べるようにそこにあった、優しい梢。
花のように沢山の色は無かったけれど、たった一つの夢を薄れさせることなく守ってくれた。

またいつか。また来年。
美しい緑の季節。
ずっとずっと、覚えてる。
夢の中で思い出すから。
眼と胸に抱き締めて、前を向く。


今度こそ、もう二度と後ろは振り返らなかった。

若葉のアーチを、二人で走り出す。


足の裏を優しく守る大地の草葉を踏みしめる。
薫風の名残が立ち上り。
眩しい新緑は今、確かな風景として僕らの世界を包む。

単色の壁を越えて、木漏れ陽の射す庭へ。


光の、先へ―――。


眩しくて、眼に辛過ぎて。
いつものように目を閉じてしまうけれど。
閉じられた目蓋の裏は、何も見えないのに。
道があることだけは、確かに分かる。

例え目を開けたとしても、決して途切れない幸福が横たわっていることを知っている。

だから。


眼をつぶってももう、何も怖くはなかった。







... closed eyes




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