there, with closing eyes ...



それは、芽吹くことのない若木が見る夢。





『花が咲く頃に、君を迎えに来るから』


深い藍色の容姿と新緑の瞳をした少年だった。

真っ白いだけの世界の中で、誰もが背を向けて去っていく世界の中で、彼だけがそう言ってくれた。その言葉だけが色付いたまま、今も唯一となって胸の中に眠り続ける。

目を開けたくはなかった。夢の中だけで許されるその景色を、失いたくはなかった。

永遠に目覚めなんか来なければいいと…それだけを祈りながら、今日も僕は眼を開ける。





この研究施設に四季はない。

常に快適な気温が設定され、暑くも寒くもなく景色も変わらない。病棟にも似た消毒薬の匂いと、血管のように建物中に張り巡らされたケーブル菅、その機械音。

辛いという感情も生まない代わりに、喜びも感じない場所で、キラは育った。
生まれもここだと聞いているから、ここから外に出たことは無いのだろう。

与えられた部屋の窓に映る色だけが、唯一の。

花が咲き、緑が芽吹き、雨が降り、葉が落ちて、やがてまた白い雪が積もる。
それだけが、時の円を描く時計代わり。


かたかたと窓に当たる小枝を映して、キラは眩しく目を細める。

…そこに映る幻を見る。


淡い綿のような柔らかさが溶け、やがては瑞々しい眩しさを称える季節に進んでいくだろう。
それを人は、春と呼ぶ。

冬から春への目覚め。
それは隣り合い、次の四季として繋がっている。知識として知っている。
あらゆる叡智を詰め込まれたキラの脳には、多様な画像を描くことができる。

でもそれは、画面越しの二次元映像に過ぎず。色を知っている…ただ識っているだけの。
優秀であるべきと存在価値を定められた脳内には、温度も、匂いも、明るさも、何も宿らない無機質な世界だけがある。

春の次には夏が来て、夏が終われば秋が来る。
秋が過ぎれば冬が来て、再び春が訪れる。
無邪気な幼子だって、身体全体で当たり前のようにそれを知っているだろうに。

自分は。…自分には。

眠る冬から目覚めの春へ。やがて生命の夏へ。
冬から夏へは、たった一つの季節を挟むだけ。
そんな当然の四季の順番すら遠く、自分には決して届かない距離が横たわっている。

白く閉ざされた世界から、その緑の美しい世界まで、あと幾つ季節を過ぎれば僕は辿り着くのだろう。

壁の向こうに手を伸ばす勇気さえ持てない自分には、こうして外を眺めているだけが相応なのだ。想像でしか補えない彩りを、ただ頭に描きながら。


透かし見る世界は、いつだって美しい。


そんな美しい外の世界を言葉で伝えてくれた、たった一人の人を窓の向こうの緑に重ねた。


「…―――アスラン」


狭い額縁の中でしか見ることの出来なかった四季を、幼くもつたない言葉で…キラにとっては宝石のような輝きで飾って聞かせてくれた彼。

出入りが制限されているこの施設に、何故彼がいたのかは、詳しく知らない。
歳の近い話し相手は初めてで、まるで世界が開けたような出会いだった。互いに仲良くなるのは必然だった。

『これは、もみじ、だよ』
『赤いはっぱ?緑じゃないの?』
『緑のは、春が終わる時にもってきてあげる』

あとこれも。そう言って、花と呼ばれるものを持ってきてくれた。
キラが眼を輝かせれば、次も。そのまた次も。

花なんて繊細なもの、そのままポケットに入れたらどうなるかなんてこと、幼かった頃には思い至る筈もない。
掌から見せてくれた野の花は案の定、萎れてしまっていて、それでもそこにある色が嬉しくていつもキラは笑った。

この場所では滅多に口にすることのない、ありがとう、の言葉を、彼にだけは言えた。

そして、キラを外の世界へと誘った唯一の人間だった。


『いつか―――』


彼がここを離れねばならなくなった時、また会いに来ると指切りを交わした。指切りの意味なんて知らない僕は、眼を瞬くだけだった。

キラに沢山の花を見せたいから。
そう言って次の約束を口にした彼は、僕に迎えの言葉だけを残してあの緑の向こう側に消えて行った。その背を、見送った。

彼がくれた約束―――その時何と答えたかは、よく覚えていない。
きっと何も言わなかった。…言えなかった筈。

待ってるから、なんて言葉。
言ったら、耐えられなくなる気がしたから。
さびしいって思ってしまったら、もう駄目だ。
もう、前を向けなくなる。
だから、封印した。沈めて。飲み込んだ。


『花が咲く頃に、君を迎えに―――』


その言葉を思い出す度に、泣きたくなる。
それは、叶わぬ約束を嘆いたからじゃない。無力を感じたからでもない。諦めにも似たそれは、期待が裏返った為の失望なんかじゃなく…。


…僕にはもう、時間がなかった。


胸を押さえて、謝罪するように眼を閉じる。
待つことが出来ない現実。
心が、じゃない。

身体が、…もう。

現実的な肉体の劣化と、細っていく中身の限界。苦痛は日々身体を苛み、蝕む。
酷使される身体の寿命なんて、もう考えたくもない。

果たされることのない約束は、彼のせいではなくて、僕自身のせいだ。
それが悲しくて、いつも心で謝罪を繰り返す。

指切りの意味がやっと理解できた時には、同時にもうそれが叶わない現実を知って指先が冷えた。温かかった小指の体温は、幻になった。

「…ごめん…」

待ち続けることはもう、出来ないみたいだ…。

ぎゅっと手繰り寄せた胸の鼓動は、日に日に弱くなっていく気がした。
かなしい。さびしい。つらい。…あいたい。
どんな感情だって、自分を生かす原動力になるなら幾らだって願うのに。


叶うなら、いつまでも待ち続けたかったよ。



…風が、窓を揺らした。



叶うなら、もう一度だけ―――…、





緑の枝が、何かの来訪を告げるように窓を叩いた。











「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -