open eyes ...
目の前に広がったのは、宇宙。
硝子越しの深い闇。
星よりも、残骸となった人工物が窓の向こう側に流れていくのを、キラはぼうっと見詰めた。
…静かな時間だった。
朝も夜も定かではない艦の中。いつ厳戒態勢の緊急アラームが鳴るか分からず、常に気を張っていなければならない現実に、キラの精神は擦りきれそうだった。
いつの間にか、眠る場所も決まっていた。そこしかなかったと思えるぐらいに。
生まれが違うと、異質なものを見るような人の目に晒され、いっそ誰もいない世界に閉じ籠もりたかった。
この性急な現実に巻き込まれた原因。
一番安らぐのが、外界と遮断されたそのMSのコックピットの中になってしまったなんて、どんな皮肉だろう。
物音に肩を揺らし、関係のない艦内放送にまで跳ね起きてしまう。自然、眠りも浅くなる。
仮眠を取っても良いと言われてベッドに入ったが、結局落ち着かず、ものの数分と経たずに抜け出て来てしまった。
でもそのおかげか、このひとときの時間を得られた。こんなに静かで穏やかな時間は、久しぶりな気がした。
照明を落とした艦内の、長い長い廊下。
右を見ても、左を見ても、先には闇しかない。
「…はぁ…」
こつん、と窓に額を寄せる。ひんやりとした。
…いつか。
いつか終わりは来るのだろうか。
いつになったら終わりは来るのだろうか。
いつまで闘えば…―――あとどれだけ闘えば、終わりに出来るのかな。
キラは願う。
…いつか、帰れるだろうか。
青空と風と、笑顔が絶えなかった、あの優しい日溜まりの時間に。
当たり前にあった日常は、まるで遠い絵空事。
戻ることなんて出来ないと、片隅でもう一人の自分が囁く。願うことすら罪な気がした。
「いた!キラ!」
呼び掛けに、はっと顔を上げた。
暗い通路の先から見慣れた人影がやって来た。
トールとミリアリアだった。キラの姿を見て、ほっとしたような溜め息を付く。
「あ〜良かった。またどっかに行っちまったのかと思った」
「…ごめん」
友人の目すら避けたくて、いつの間にかそっと場を抜け出してしまう最近の自分を自覚している。
しゅんとするキラに、ミリアリアは笑った。
「いいのよ。もし眠ってるなら、わざわざ起こすのもあれだなって思ったし」
「何か用があった?」
キラの一言に、トールの目がきらんと光った。
イタズラっぽく得意気に笑い、
「あったあった。すごーく大事な用事。キラがいなきゃ始まらない最重要事項!」
言葉の割には楽しそうなテンションを隠そうともしないトールに、キラは首を傾げた。
そして何の説明もなくキラの腕を引き、「とにかく行こう!行きゃ分かる!」とだけ告げて、歩き出した。
『誕生日おめでとう!キラ!』
弾んだ四人の声が、叫んだ。
「……え…」
ただ目を丸くして、瞬きを繰り返すしか出来なかった。皆の笑顔が信じられない。
「ほらほら!主役は奥だぜ奥!!」
ぐいぐいとトールに押され、こじんまりとした部屋の奥の椅子に押し込まれた。
すかさず出てきたのは、
「…ケーキ…?」
なんでこんなものが、と呟いたキラに、ミリアリアが満足そうに笑った。
「すごいでしょ?みんなで作ったのよ!」
スポンジ生地に生クリームとドライフルーツを挟んで、少しだけ絞り出されたクリームの上に飾り付け程度のジェリービーンズが乗っている。
物資に頭を悩ませている航行中にあっては、ケーキというものの材料ですら貴重だった筈。
大人たちは了承してくれたのか。凄いと感動するよりも、不安に思ってしまう。
「ナタルさんも手伝ってくれたのよ」
「え…」
「見てられないって言って。あの人、なんでもできるのね」
うらやましーなんてミリアリアが呟き、
「でも性格まんまだったぜ。材料は1グラムの狂いもなく量って、形も妙にこだわるしさぁ」
きびきび動かないと怒鳴るし、細かく指示出してくるし、もー軍隊かっての!とトールは呆れたように首を振る。
「後半は完全に仕切ってたよね…」
苦笑うように、カズイが付け足した。
「まぁ、そのおかげで上手く作れたんだから、結果オーライじゃないか?」
宥め役に回って、サイは笑った。
「あとこれもかぶってな!」
ムードメーカーのトールが、うきうきとキラの頭に何かを乗せる。小さくて落ちてきそうなそれを慌てて押さえれば、カサリと紙の感触。
「主役の王冠だぜ!紙で折ってみた!」
「なんでトールが得意気なの?…あったらいいねって言った発案者はカズイで、作ったのはサイでしょうが」
ちなみにトールの出番は、ケーキを作った後の片付け皿洗いだけだったから。ぶーと子供のようにふくれるトールに、ミリアリアは更に追い討ちをかけて撃沈させた。
じゃま、とキラの隣を開けさせてそこに座り、ミリアリアは改めてキラに向き直った。
「ささやかだけど、お祝いね」
「でも…」
「ちゃんと大人組には許可は取ってあるから平気よ?…こんな時だからこそ、明るいことをしないと」
「この船いつも暗いしな。気分まで暗くなる」
仕方ないけど、とサイが呟く。
「蝋燭でもあれば、パーティーっぽい気分になれるのにね」と残念そうにするカズイ。彼ですら、ここが戦艦の中であること、戦時下であるを受け入れているのだ。
重くなるような気持ちになりかけたキラへと、しかし、言葉は続いた。
「いつもありがとう、キラ。私たちはこんなことしかできないけど、いつもキラの側にいるからね」
すぐ隣でミリアリアが笑う。
それにつられるように、三人も笑う。
「…―――」
いつかを、思い出す。
カレッジの庭で、研究室で、馬鹿みたいな賑やかさに包まれながら笑っていた頃を。
自然に笑えていた、皆とのあの時間を。
「……うん」
何かが詰まって、頷くことしか出来なかった。
キラらしい控えめな喜び方に、四人も満足したんだろう、トールが「早く食べようぜ!」と声を上げ、三人が続くように話し出す。
綺麗にカットして自分の前に置いてくれたケーキの一片を見詰めながら、キラは膝の上で握っていた手を、なお一層強く握り締めた。
震えそうになる口元は、俯いて隠した。
こんな世界でも、自分を見ていてくれる友達がいる。
…―――おめでとう。
それが、この世界ではどんなに貴重で、奇跡のような言葉か。
心地好い賑やかさの中で、ただ一つの言葉が鮮やかに輝く。忘れられない一瞬を、残す。
だからキラも、大切な大切な言葉を、告げた。
「…ありがとう、皆」
目の奥がじんわりと熱くなってきて、落ちそうになるその固まりを耐えるために、