「あ…もう深夜の風が吹き始めたんだ」

開け放したままの窓の向こうを視線に留めて、少年は呟いた。
そして呆気なく、

「じゃあ、僕はこれで」

背を向け、てくてくと入って来た窓に歩み寄った。ここにやって来た時と同様、気紛れに姿を現し、そして飽きたように気紛れに去って行こうとする。彼の目的は、よく分からないが果たされたらしい。満足そうだった。

夜も更けた冬の風が入り込み、捲られたままの彼の白いシャツの裾を揺らした。

彼にその白さは似合っていたが、見た目は随分と寒々しい。元々の肌色が薄いせいもある。

「帰りは、窓辺から飛び立つ、かな?」

ラウの一言に、少年はぴた、と止まり、

「それ嫌味?…そんなことしないから。ちゃんと普通にここから飛び降りるから」

階の高いここから飛び降りることが、果たして『普通』なのかどうかは指摘しないことにした。やはりこの天使は、少々ズレている。

階下を窺い見る首元で、襟が揺れる。
ラウは少年に近寄って、はためくレースカーテンを押さえてやった。

「随分と季節感無視の格好だな。誰かに見付かれば、それだけで怪しまれそうだ」
「さっきまではちゃんとした服だったけど、あれを着てると周りがうるさいって分かったんでね。元に戻したらこうなった。寒くはないよ」
「目立ちたくないなら、そもそも窓から浸入しない方が利口だがね」

私達のような変わり者になら、別だが。
そう、くつくつと笑うラウに、幾分不満そうな表情をして少年は鼻を鳴らした。

「確かに貴方たちみたいな変人には、もう会わない方が賢明みたいだね」

よいしょ、と。現れた時と全く同じ掛け声、天使らしくない庶民的な動きで窓枠に足を乗せ、ひょいと飛び乗る。
片膝を付いたまま、不審者さながらに外を覗き込み、

「あ、そうそう」

いざ飛び降りよう、とした瞬間、少年は不意に思い付いたように顔を上げた。
一応言っとこうかな、と前置きし、

「かみさまってのはさ、人間たちが思うほど暇ではないんだよ」

首だけをこちらに捻り、薄く笑う。

「人の世の祈りや幸せに手を貸すことも、人を不幸にするなんて質面倒臭い真似も、いちいち手を回してなんかいられないから」

安心していいよ?…全ては平等だから。
やって来る時間も、訪れる季節も、皆同じ。

始めに与えられる『光』の量も大きさも、正しく均等。それをどう輝かせるかは、その生命の持ち主次第。

冬の夜風が入り込む窓の近くで、天使の少年と危うい金色の髪を持つ男が視線を交わし合う。
ラウは表情を消して、少年の紫に光る眼を見上げた。

「…何故それを、私達に伝える?」
「一応、天使なんで。最後くらいはそれらしい『希望』とやらを残していかないとね」

珍しい光を見せてくれたお礼?みたいな?

「貴方たちには何を言っても捻くれてしか受け取って貰えなさそうだけど。ま、天使サマからのささやかなアドバイスってヤツだよ」

天使は語る。
世界は平等。生命あるものの宿命も、また。
与えられた未来への道も、それを選ぶ権利も。

「だから、まずは自分の思うままに動いてみればいいんじゃない?」

それによって輝く光もあるんだから。

「それで世界が変わっても、か?」

ラウの一言に、少年は「さぁ?」と呟き、

「それで人間の世界がどう変わろうが、僕には関係ないし。人がいなくなるならそれまでってこと」

背を向けて、ひらひらと手を降った。

「もしそうなれば、僕たちはまた新しい…人間に代わる種族にターゲットを移すだけだよ」

叶うなら、これからも人間という種が、光を生み出し続ける存在であることを願うよ。

それだけを言い残し、叡知の眼を持つ少年天使は静かに、冬の空に姿を消した。







はたはたと、光を孕んだ白いレースカーテンが揺れていた。

その向こう側には変わらず枯れた木の梢だけがあり、誰かの気配などとうにない。


「…まるで幻のような少年だったな」

ギルバートの呟きに、ラウは素顔のまま薄く笑った。

室内には、彼がいた証など何もなく、真夜中の白昼夢を見たと思っても不思議ではない静けさだけが残されている。

「神様も暇ではない…、か」
「ラウ?」
「酷く現実的な言葉だが、何かを突き付けられた気分になるものだな」

人間の都合に合わせて千差万別に姿を変える神という存在は、世界の影の真実を知る者からすれば哀れな程に空しく脆い虚像だった。

英雄が、本当は世界を乱す先導者…あるいはただ踊るだけの道化師でしかないのだと、自分達は知っているから。…そのことが、あの少年曰くの、人間の大人である、という意味になるのだろうか。

どう世界が変わろうが知ったことではない。
けれど人間の営みには興味がある。
それは、あの天使が見せた僅かばかりの、未来への緩やかな期待だったのではないかと思う。


そう…―――たとえ、『神様』に見放されたとしても。


「あの天使にだけは見放されたくないものだ」
「…そうだな」

ラウの言葉に、ギルバートは静かに笑い、目を閉じた。


冬の夜風がふわりと二人を包む。
人の描く天使が飛ぶには相応しい夜空だ。
そう…こんな夜ぐらいは、穏やかな奇跡が起こっても不思議ではない。

ギルバートとラウが出会ったのは、好奇心に溢れた一人の少年だった。

世界を渡る翼を持たない天使は、人間に興味を持ち、誰よりも生き生きと地上を駆け回り続けるのだろう。


冬…―――天使が訪れるに相応しい季節。


その一夜、自分達のような者にも稀な光が手の中に降りてきても良いのかもしれない。

そう思ってしまうこと自体が、聖夜の奇跡に違いないことだと…二人は穏やかに冬の夜空を見詰めた。

それもまた、自身の心のままに従った結果の、ぽつりと湧いた優しい感情。


その笑みは、久しぶりに浮かべる…自嘲でも冷めた眼差しでもない、温かな微笑みだった。









Above all, be true to yourself.


何よりもまず、自身に忠実であれ








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