「……あれ。シンは寝ちゃったか」

ふと、キラが振り返った視線の先。
ソファの背凭れにうずくまり、いつの間にかシンは寝息をたてていた。

キラはそっとベッドの上のタオルを手にして、シンに掛けてやっていた。

そのまま明かりも弱く落とし、液晶画面の電源もオフにする。


…―――――途端、静かになった室内。


キラは、窓近くの椅子に座ったままのレイに近付き、テーブルを挟んだ反対側の椅子に腰を落ち着けた。


「…シン、楽しんでくれたかな」

ぽつ、とその寝顔を見ながらキラが呟いた。

「今までになく、はしゃいでいましたよ」

本人に代わり、客観的な意見をレイは述べた。
ここ数日のぼんやり具合が嘘のように、本来のシンらしく騒いでいたと思う。遊び疲れて眠るなんて、どれだけぶりだったのか。

「…レイは?」
「…?」
「楽しかった?」

酷く穏やかな、年長者の眼と微笑を浮かべていた。

「…賑やかな時間だとは、感じました」

答えのような、そうじゃないような。
曖昧な返答に、しかしキラは「…そっか」と静かに呟くだけだった。

その眼差しは、すいと窓の外に向けられる。

「じゃあレイには、冬の星座を教えてあげる」

立ち上がって窓を開け、ふわりと冬の大気を呼び込む。微かに肌寒さを覚えたが、適温に保つ部屋の空調にその空気は混ざりあい、すぐに気にならなくなった。

椅子に座り直したキラと、そのキラの動きを目で追っていたレイの視界に、闇色の夜空が広がった。

「あれが有名なオリオン座。なんだか宇宙に浮かぶ砂時計みたいだね」

指を差して、キラは語った。

「オリオン座の左上の星からまっすぐひいたあれがこいぬ座のプロキオン。それから正三角形を描いたその下が…」
「あえて説明してくれなくても、知ってます。貴方が言っているのは、代表的な冬の星座でしょう」

先を制して付け足せば、

「…かわいくない」

むくれたような呟きが聞こえた。
自分にシンと同じだけの態度と反応を求められても困る。彼は今、すぴすぴと気持ち良さそうな寝息をたてて夢の中だ。


「じゃあ、冬の妖精の話をしてあげる」


キラは、夜空を見上げながら、そう呟いた。

ふわ…と白いレースカーテンが揺れた。









昔々、決して雪解けの来ない深い森の湖に、一匹の妖精が棲んでいた。

水色の薄氷が凍り付く湖面の袂で、妖精はただ一匹だけの存在だった。仲間もいない。話し相手もいない。

しんしんと眠るような静けさの中で、木々の梢やうっすらと積もった霜と同化するように生きていた。

太陽の光は鈍く、大気の温度はいつだって凍えたままの閉ざされた世界。


…妖精は、寂しかった。


友達が、欲しかった。自分と笑いながら喋ってくれる誰かがいてくれないかと、願った。

この森を出れば、それは手に入るのかもしれない。けれど、出られはしないと知っていた。
外に出れば、ここよりも強い陽射しが降り注ぐ。冬の妖精は、強い日の光に弱かった。きっと溶けて消えてしまう。

だから、神様に祈った。


…―――――友達を下さい。


ここで待つしか出来ない自分を、この寂しさからどうか、救って下さい―――と。

柔らかく、薄水色の陽光が差し込む天へ向け、妖精は毎日毎日、祈り続けた。





その日は、突然訪れた。

森深い湖の元に、一人の人間の子供が迷い込んだのだ。


妖精が初めて見る人間の姿は、とても弱々しくつたないものに見えた。この自然の厳しさの中にいるだけで、儚くうずくまってしまうような。

凍える寒さを凌ぐ為に目一杯着込んだ格好で、不安そうに辺りを見回すその子供に、妖精は勇気を出して声を掛けた。


『…道に、迷ったの?』


びくりと、子供の肩が揺れた。
大きな眼を、更に大きく丸くして、ぱちぱちとこちらを凝視する。

しかし、目の前に現れたのが自分と同じくらいの少年だったせいか、すぐに胸を撫で下ろしたのが分かった。…妖精は、自分が目の前の人間の子供と似た姿に変わっていることに驚いた。
じ…っと、子供―――人間の少年を見詰める。

すると、少年は気恥ずかしそうに俯いた。

『父さんたちが帰ってこないから、さがしに来たんだけど…』

……まよっちゃった…。
言いにくそうにもごもごと呟いて、ちら、とこちらを伺う。

『…君は?』
『え…』
『どうしてここにいるの?』

逆に問い掛けられて、戸惑った。

『え…と…、僕は…湖に遊びに来てて…』
『そんな薄着で?』

確かに、目の前の少年よりも余程軽装だった。
冬の森と湖にやって来るには、人間の感覚だと少しおかしな格好なのかもしれない。

どうしよう…なんて答えたらいいのかな…そう内心慌てていたら、

『すごく寒そう。僕のマフラーかしてあげる』

ふわりと、白いマフラーが首元を覆った。

『あったかいでしょ?』
『……うん…』

少年が、にこりと笑った。

…―――お日さまみたいな、その笑顔に。

マフラーよりもとても温かい気持ちになった。


『ねぇ、君はこの森の出口とか、知ってる?』
『………うん』
『ホント!?』

少年の目が輝いた。

『じゃあ、そこまでつれてって。お願い!』

躊躇は、一瞬。

けれど。
…あの笑顔がもう一度見たい。


こくりと、妖精は頷いた。





道すがら、妖精は少年のことを幾つか知った。

森の外れに館を構える領主の息子。
両親は仕事で家を空けることが多く、よく一人で遊んでいるということ。

探検出来る場所は沢山あるし動物達もいっぱいいるから、遊ぶことに不自由はしない。
一人は寂しいと思うけれど、飽きることはないのだと、少年は語った。

お気に入りは屋根から眺める辺り一面の風景。
特に、一際高い木に上って見える銀色の湖。

……少年は、屈託なく無邪気に笑う。

一人じゃない安心感があるのか、少年は色んな話を口にした。
そのどれもが、森の外の世界を知らない妖精にとってはきらきらした世界に思えた。

あの湖に、一度でいいから行ってみたかったんだと少年は呟く。しかし、子供では迷い道にしかならない森の深さに、一人で来ることは禁じられていたのだという。

今回、なかなか帰って来ない両親を迎えに、麓まで近道となる森を通り抜けようとしたら、予想通り迷ってしまったということだった。


…もっと、話を聞いていたい。


自分以外の誰かが語る、幻の世界。
満面の笑顔で駆け回る少年の世界は、きっと何より輝いているんだろう。

しかし、時は過ぎる。

『あ!出口だ!』

少年が指差した先。
林の切れ目に、柔らかな光が差していた。


…―――そこは、森の外に通じる道。


喜び駆け出す少年とは正反対に、妖精は足を竦ませ立ち止まった。…大陽の下には行けない。

少年は不思議そうに振り返った。

『どうしたの?』
『……僕は…行けない…』
『なんで?…森から出たくないの?』

温もり。眩しい色。太陽の光。


外の世界―――…。


『…―――…、…出たい…よ』


叶うなら…、


『なら、行こうよ!』
『あ…!』

強く腕を引っ張られ、一歩二歩と光へと近付いていく。…足は止まらなかった。


そして、林から身体が抜ける。



…ぎゅっと、妖精は強く眼を閉じた。








 






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