…―――穏やかな、夜だった。





ギルバートは、テーブルにコトリと置かれたカップに顔を上げた。

薄い湯気の向こうに立つ、金髪の友人。
硬質な仮面で目元は見えないが、顔は窓の向こうへと向けられていた。

「何かが見えるか?」

ありがとう、と礼を言って口を付けたコーヒーに、軽い波紋が浮かぶ。湯気が流れるように揺れた。その先に目を向けると、ラウが窓を開けたのが分かった。

「…いや。ただ寂しいばかりの街灯が見えるだけだな」
「今夜は特別な夜だ。建物の向こう側には、色の付いた光が見えるんじゃないか」

静かで、いっそ空しくなる程の静寂の闇には、立ち枯れた木立がサワサワと身を揺らしているだけである。

「何も見えはしないさ」
「なら、何故そんなに外を気にするんだ?」

ラウは自嘲に口元を歪ませる。

「暗いなら、星ぐらいは見えるかと思ったが…地上からは遠過ぎて、光が届かないようだ」

それとも、地上があまりに煩すぎて霞んでしまっているのかな。皮肉に嘲い、……それでも視線は外れなかった。

「今ぐらい…仮面を外したらどうだ」
「………、……ああ」

そうだな、と呟きながら、眼差しを隠していたそれを外して近くのテーブルに置く。顕になった表情は、やはり予想通り見るもの全てを斜めに見下ろす、冷めた眼をしていた。

「これがあろうとなかろうと、見える景色は変わらない」

多少は広がった、視野と明るさ。
しかしそれでも、彼の期待した風景は映らないらしい。やがて諦めたように笑い、ギルバートのいるテーブルへと戻ってきた。


…―――――その背に、


「仮面を取っても、姿は変わらないんだね」


抑揚のない、澄んだ声。

はっと二人が振り向いたら、窓から身を乗り出している少年がいた。

よいしょと侵入者にあるまじきのんびりとした動きで窓枠に足をかけ、部屋へと入って来る。

薄手の白いシャツが夜の背景にぼんやり映る。

明らかに異常な登場であるのに、本人だけが我関せずの態度でそこに佇んだ。「へー、エラそうな部屋」と呟きつつ、きょろきょろと室内を見回している。

注視するこちらの視線など完全無視の、気紛れな猫のような正体不明の少年。

「君は?」とギルバートが声をかければ、僅かに瞬いたその瞳が面白そうに細められた。

「へぇ。さすがは大人って奴だね。あからさまな警戒心は向けて来ないんだ」

心の余裕ってヤツ?…と、笑う。年齢はまだ若い…幼いとも言える外見に見えるものの、その瞳に宿る光は不思議と冷えきっていた。

しかし、感情を乱さない術を身に付けている立場として、戸惑う表情は一切見せずにギルバートもまた笑い返した。

「いや、驚いてはいるよ?…予想外の来客があったものだとね」
「寄るつもりは無かったんだけどね。ここから欲しい光は見えて来ないから」
「光?」

普段は張り詰めた気配が占める隊長部屋を見回して、少年は呟く。

「最初はただ、暗い部屋にしか見えなかったんだけど…。…なんだろう…不意に見えた金髪が綺麗だと思ったから」

彼の視線は、ラウへと向けられた。
仮面のないその素顔もまた、興味深そうに少年へと向けられる。

「私の髪が綺麗に…か?」
「うん。貴方から光は見えないけど、外見だけはとても眩しくて、輝いて見える。なんかすごくアンバランス」

珍しいものを見付けて立ち寄ってしまったと。奇妙な説明をしながら、彼は眉を寄せた。

「というか、貴方たち二人とも、外見と中身で思考も言動も全然違うでしょ?」

…随分と直球だ。

「正直、あまり長居したくない。…生理的に」
「それは残念だ。私達は君の正体も目的も分からないままだというのに」

楽しそうに、ラウは微笑む。
例え少年の正体がどんなものであっても、彼の表情は変わらないだろう。予想外の…そして不可思議過ぎる客人に、思わぬ興味をそそられいつになく機嫌が良いように見えた。

冬の空気に満ちた夜から、不意に現れた少年。

普通の人間ではないのは、一目見て分かった。
言動も浮世離れしているが、その雰囲気や眼差しもまた、明らかに年齢相応ではなかった。

「教えてはくれないのかな?…君のことは」
「その目…なんか鳥肌たちそうなんだけど…」

やっぱり仮面付けてた方がいいんじゃない?
生理的に受け付けないと宣言した通り、興味を示せば示すほど身体が引かれていく。

その態度はとても子供らしいものだったから、微笑ましいものが混ざってギルバートも思わず笑ってしまう。

少年は、それ以上…精神的に…近寄られる前にと答えを寄越した。


「僕は職業天使。貴方たちの言うところの神様の遣い。ただの仕事人ですけど?」


面倒そうに告げられた正体に、二人は少しだけ目を瞠って視線を交わし合い…そしてギルバートはすぐに微笑み返した。

「それはまた、随分と面白い職業だ」

見た目は十代の少年。服装は白のワイシャツ。
手首に巻かれた腕輪だけが唯一目立つ、何処にでもいそうな線の細い少年だ。

「その天使が、こんな…神様すらも信じていない人間達のところに、何の用かな」

ギルバートは、隣の友人を一瞥してから視線を戻し、微笑みかける。ラウの容姿が気になったから、という理由だけではないだろう?…と。

少年は一瞬きょとんとし、それから不敵に笑った。感心した、と言わんばかりの不遜な態度。

「へぇ…。僕の正体を聞いてすぐに受け入れたのは、貴方たちが初めてだよ」

面白いなぁ。やっぱり成熟した大人だから?
それとも、君らが特殊な人間なのかな?

無邪気に身を乗り出してくるも、その瞳に宿る光はやはり、温かみはない。新しい反応を見せた試験管を興味深そうに覗いて笑う、科学者のような眼差しだった。

…こんな子供だというのに。

見られている、という戸惑いが不意に過る。
じ、と観察するように二人を見ていた少年は、

「うん。…やっぱり、貴方たちは他とは少し違うみたいだね」

目を細め、首を傾げた。自分らには見えない何かが見えているのだろう。
他の人間とは違う…それはどんな意味が込められているのか。ギルバートは問い掛ける。

「どんなふうに、見えているんだ?」
「鈍い光沢があるっていうか…。地上のもので例えると…宝石……黒い真珠みたいな…」

目映い輝きと、光を反射させる史上の硝子細工のような透明な外観を持つ宝石達。
しかしそれらとは違う光彩。
稀なその光に、通り過ぎるつもりの場所へと思わず踏み入ってしまったのだと言う。

天使というものは、存外好奇心旺盛な種族らしい。…彼だけが特別なのかもしれないが。

「職業は理解したよ。では、君の名前は?」
「………、なんか…貴方たちには名乗らない方がいいような気がする…」

警戒しているというよりは、めんどくさいことになるのを避けようとしているようだった。

人間という種に興味があることを隠そうともしないのに、そこには拘るらしい。
種と種の交流を越えて個人と個人の関わり合いになると、彼はその格差に驚くほど人間寄りになる。その外見も、ただの少年となる。

「翼を持たない天使…、か」

ギルバートの呟きに、少年はぴくりと反応した。

「…見たいの?」
「見せてくれるのか?」
「無理だね。ここ狭いし」
「残念だ。君が紛れもなく天使だという証を、この目で見たかったのだが」

今の情報量だけだと、君はただの怪しい侵入者だよ?と笑いかけた。名前を明かさないことへの小さな意趣返しを、戯れ言のように込める。


「…―――証は、この腕輪だよ」


少年は、左手首をそっと押さえた。





 






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