ぱちん。
携帯を閉じる音が耳に届く。
中庭のベンチで組んだ膝の上にテキストを広げながら、もて余すようにペンを指先で回していたアスランは顔を上げた。
「連絡は繋がったのか?」
「電話は丸無視だったからメール送っといた」
悪びれた様子もなく、キラもまたアスランの横にどさっと座り込む。
「無視…って言ってもまだ授業中だぞ。出られるわけないだろ」
「んー…そうだっけ…?」
チャイム聞こえなかったし…なんて暢気に呟き、だらしなく背もたれに寄り掛かった。頭の後ろで腕を組みながら、「おなか減ったなぁ」とぼやいている。
連絡相手の苦労を想像し、アスランはいつものことながらその相手に同情した。
だからといって特にかばう気も諌める気も、まして止める気もない。キラに付き合って授業をボイコットしてる時点で同罪だし、自分もまた同類だ。
そう、…問題児と呼ばれくくられた人間同士。
アスランはその血筋と親の役職ゆえに周囲からは一歩引かれているし、キラはその能力ゆえに問題を起こしても誰も口を挟んでこない。
どちらかと言えばアスランは社会的に逆らわない方がいいと思われている人間で、キラは精神的に敵に回したくないと囁かれる人間だった。
加えて二人は共に優秀な頭脳の持ち主でもあったから、学園という、成績に重きをおく箱庭においては、大人は誰も文句を言ってはこない。言えない。
今現在も授業真っ最中だというのに…校舎から丸見えの中庭だというのに、誰も注意しに来ることはなかった。
…―――昼休み開始のチャイムが鳴り響く。
それから5分と経たずに走りよって来る影。
腕に紙パックとパンを抱えた姿は、もう随分と見慣れた光景だった。
「遅いよ〜、シンくーん」
息を切らす相手を気遣うどころか見もしないでキラの文句が吐き出される。
「これ以上どうやって急げっつーんですか!」
授業終了と同時に教室を飛び出して来たんだろう。いや、購買に寄ったことを考えるときっとフライングしたに違いない。
「はは、冗談。ごはんありがとね〜」
シンの手から紙パックとパンをひょいひょい取り上げキラは笑う。そのままジュースのストローをぷすと刺し、ちゅーとすすり始めた。
「いいかげん授業中に呼び出すの止めて下さいってば!」
「ん〜…?…先生何か言ってた?」
「携帯鳴った瞬間にらまれましたよ…」
「じゃあ今度言っとくよ。その先生にさ」
キラはにっこりと笑って、シンを硬直させた。
アスランは溜め息を付く。
「何を言う気だお前は…」
「ん? 後輩をあまりいじめるな、ってさ」
お前が言うとシャレにならないんだよ。
キラの無言…いや、笑顔は凄まじいプレッシャーなのだから。
「俺のこと一番いじってんのはアンタだろーが」
「そうかなぁ」
「ったくもう」
それでもシンは、ウワサのセンパイであるキラに対して決して物怖じしなかった。
その言動行動に呆れて怒ってわめきながら、それでも呼び出されるたび律儀に付き合っている。今もこうしてキラに噛み付きながらもこの場を去ろうとしないのがその証拠。…素直じゃないのはいい勝負だろう。
シンの怒鳴り声にキラの笑い声が響くのもワンセット。見慣れた光景だった。
「ごめんごめん。…お詫びにこの指環あげるよ」
中指に付けていた指環を外してシンに向けポイと放る。「わ」と慌てて両手でキャッチした。
「ホンモノのシルバーだよソレ。売ってシンのおこづかいにでもしなよ」
「お前それ、気に入ってたんじゃないのか?」
「飽きちゃった」
また買うからいいよーとシンに笑いかけ、パンの袋をがさごそ開けた。まふっとくわえてご機嫌だ。
手のひらで光るシルバーのシンプルな指環。
きっと高価に違いなく…お使いの駄賃にしては、あまりに高い。それをそんな風にあっさりと投げて寄越す様に、キラの物欲の薄さが分かるというもの。
暫しそれをじっと見詰めていたシンだったが、やがて首を振った。
「…いいです。いらない」
「ん?」
ズイと握った拳をつきだして、返そうとした。
けれどキラは受け取らない。
「気に入らない?」
「そういう意味じゃなくて…!」
「おつかいを頼まれてくれたお礼だよ?」
「別にお礼が欲しくて買ってきたワケじゃないし…」
キラの前では不思議と(比較的)大人しくなるシンだが、本来の性格を思えば我慢している方なんだろう。
でもそれが苦痛でもないのは、いつもキラのすぐ隣にいるアスランにはよく分かっていた。
「ふぅん?」
「な、なんですか…」
「…んー…。………」
キラの沈黙に、シンがだらだらと汗をかく。
「まぁいいや。それはシンにあげたものだし」
「いや、だからいらないって、」
「別にお金に〜…とかは冗談だからさ。誰かにあげようが自分で使おうが好きにしていいよ」
戸惑うシンを放って、キラは立ち上がった
「さ、アスラン。屋上にでも行こうよ。いい加減おなか空いちゃった」
「今食べただろ」
「あれは朝ごはん」
昼休みの時間は刻一刻と減っている。
まぁ昼休みが無くなろうが午後の授業に食い込もうが関係ないのだが。キラがごはんの時間と言えばそうなるし、自由時間!と退屈しのぎをしたくなれば付き合うまで。
ベンチに広げていたノート類を抱え、アスランもまた立ち上がる。
キラと連れ立って歩き出したところで、我に返ったシンの声がかぶさった。
「あ、俺も行きます!」
それにキラは背中越しにひらひらと手を振るだけだ。バイバイなのか、おいでおいでなのかはっきりしなかったが、二人の後を追っ掛けて来る姿にキラは何も言わなかった。
「あ、じゃあちょうどいいからついでにデザートも買ってきてよ。シン」
「それついでじゃないじゃん!」
「俺の飲み物も頼む」
「はぁ!?それこそ意味わかんねーし!!」
多くの人間を巻き込み振り回すキラの日常。
けれど学園生徒の誰もがキラに笑顔を向ける。
手を振り、こちらも振り返す。
真っ直ぐに生きるキラは、何処までも自由だ。
「いい天気ー。昼寝日和だねぇ」
「下校時間には起きろよ」
「陽が暮れる前には起きるって」
「てゆうか、アンタ達何しに学校来てんの?」
呆れたシンの問い掛けに、二人はそれぞれの答えを即答で投げつけた。
「親命令」
「ひまつぶし」
平凡な日常の中の、ささやかな青春物語。