::: 片影木立 :::






宿舎の敷地に、一本の木が立っていた。
見覚えのある葉のようにも思えたが、レイはその木の名前を知らなかった。



ある日の朝。
宿舎を出ようとしたら、その木の根本に一匹の子猫がいた。日向の草むらの上にゴロンと四肢を投げだし、随分とくつろいでいる。

レイが一歩足を踏み出せば、ぴくりと子猫は顔を上げ、じっとこちらを見詰めてくる。
その木の前を通らなければ、仕事場にも行けない。もう一歩、近付く。

子猫は跳ね起き、何処かへと走り去った。



子猫はどうやらその辺りを寝床にしているらしく、宿舎から出る度にその木の周りで寝そべっているの見掛けた。

野良であるのか、人の気配がすればすぐに逃げ出してしまうけれど、気付けば同じ場所に戻ってきていた。





そんなある日。
レイが外出しようと宿舎から出たら、その木の根本には子猫と、…もう一人。

しゃがみ込んだ影が、猫の頭を撫でているシーンに出くわした。

やけに懐いている。野良だと思っていたのは違ったのか。喉をくすぐられ、随分と気持ち良さそうだ。

「あ、レイ。これから出かけるの?」
「…その猫、ヤマト隊長の飼い猫ですか?」
「いや、違うよ。一度エサをあげたら、寄って来るようになっただけ」

それまでは逃げられてばっかりだった、と語る姿に、やはり猫はエサをくれる人間に擦り寄るイキモノなんだなと思った。





その日も、木の根本で子猫は微睡んでいる。

木…というには緑が多く生い茂っている植物の下は、柔らかい土もあってとても快適らしい。
レイが近付けば草むらに逃げ込むことに変わりはないが、その場所から離れようという気はないようだった。





その日は、宿舎への帰り道だった。

木陰に座り込む人影。
その傍らには、昼寝真っ最中の猫。
だがやはり、レイが近付けば跳ね起きて走り去っていった。

「おかえり、レイ」

よいしょ、と服に付いた草を払いながら、キラは立ち上がる。

「何してるんですか」
「夕涼み。あのコのお気に入りなだけあって、ここは風通しがいいね」

快適を望むなら自宅に帰ればいいのにと、ふと思い。思わず懐いた猫と遊ぶためにここに来たのだろうかと想像する。

「さすがに陽射しもキツくなってきたし…。あの猫も、涼しさが欲しくてここにいたのかな」

日向でゴロゴロする姿をいつも見ていたが、そう言えば最近はよく木陰に入っていたように思う。

陽射しを遮るように顔へと手を当てて、キラは木を見上げる。

「そらをしのぐ花、だね」

自分らの屋根となっていてくれたそれは、太陽の光を浴びて随分と成長したように見えた。

「花?」
「これはノウゼンカズラの花だよ」

聞き覚えのない名前だ。

「夏には咲く花なんだけど、まだ咲かないね」

木だと思っていたぐらいなのだ。
どんな花が咲くか検討も付かなかった。





いつもの通り道。
いつものように通り掛かれば、猫の鳴き声。

だが、その声の数がいつもより多い気がして、立ち止まった。

あの猫の姿は見えない。けれど聞こえる声。
近くの植木の影を、そっと覗いてみた。


にゃあにゃあと、小さな子猫達がじゃれ合っていた。


ここを住処にしていた猫は、その子達のすぐ隣にいた。子供達を舌で毛繕いしながら、寝転んでいる。その野良は、親猫になっていた。

ふとこちらに気付き、じっと見上げてきた。

だがすぐに興味を無くした様子で眼を逸らし、あくびをして丸まった。
子猫達は変わらずにゃあにゃあ騒がしい。
土と草にまみれてころころ転がっていた。

確かにこの緑の影はひんやりと涼しく、太陽が入り込む隙間はない。
自分達にとって居心地の良い場所を見付けて、何とも呑気に居着いてしまっていた。





気温が、暖かいから暑いに変わり始めた頃。

子猫達は自由に辺りを探り始めたのか、好奇心の赴くままあちらこちらでその姿を見掛けるようになった。

母猫だけは相変わらずまったりと草むらの上で寝そべっていて、こちらを見ても耳をぴくりと立てるだけで、身体を起こすことはなかった。

その背中を、キラはゆっくりと撫でている。

「子猫達ももう、自分達でエサを取れるようになったみたいだね」

野良に生きるものは逞しい。
子猫達はもう、母猫に付いて回らなくても、充分生きていく為の術を身に付けたようだった。
母もまた、子供達の姿が見えなくても、探し回るどころか、鳴き声を上げることもしない。

「エサ、あげてたんですか?」
「いいや。野良猫にはあまりエサをあげない方がいいみたいだから。このコに最初何回かあげただけ」

それでもここに居着いたということは、場所もまた快適だと分かったのだろう。
ここは、陽射しさえなければ格好の隠れ家だ。
すくすくと育った子猫達を見れば、すぐに分かる。

「お前ももう、立派に役目を果たしたね」

ねぎらいを込めて頭を撫でれば、嬉しそうに目を細めて鳴き声を上げた。





そして、太陽が輝きを増した盛夏の頃。

猫達はいつの間にかその姿を消していた。

もう、この花が作る木陰程度じゃ、夏の暑さは凌げなくなってしまったのかもしれない。


「寂しい?」
「…いえ」

そう、とだけキラは呟き、傍らでその花を見上げた。





鮮やかなオレンジ色の花が、青空の中、静かに風に揺れていた。





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