::: 向日葵讃歌 :::
太陽の名を冠した、サンフラワー。
大地を焦がす、一面のイエローの海。
人の姿をすっぽり隠してしまうほどの身の丈、強く真っ直ぐ伸びた花の群衆の中。
「あれ…?」
ふと気付くと、シンの側から連れの姿が消えていた。
ヒマワリが凄いから、見に行ってみようか。
夏の思い出作りに。
そんなきっかけで訪れた、このひまわり畑。
どこまで続くんだろうね、なんて呟く人の背中を眺めながら、花の合間に出来た道を二人、歩いていたら。
シンは、遠い声を聞いた気がして足を止めた。
ジワジワと木霊する虫の声と、まるで音を発して生き物を焼いているような太陽の陽射しの中。それは、誰かの笑い声のようだった。
他に人がいてもおかしくはないひまわり畑だから、その声は別の家族か何かのはしゃぎ声だったのかもしれない。…でも。
懐かしい―――記憶の少女の声にも似た。
思い出の中に、家族でひまわり畑を訪れた記憶はない。けれど、花屋でひまわりを見付けては「もうすぐ夏だね」と語り合った面影が微かに蘇る。
夏の象徴―――向日葵の鮮やかなサンバーストイエロー。
「………」
こんなにも賑やかな色の渦の中にいるのに、音は何処か遠くて不思議な寂しさが滲んだ。
過った姿に、その名前を呼ぼうと口を開きかけるが………どうせこの黄色の波の中じゃ届きはしないだろうと、結局は口を閉ざすに終わる。
…まぁいいや。そのうち戻ってくるだろ。
はぐれた相手を探すことも、声を出して呼び掛ける気力も湧かなくて、シンは土の地面へと座り込んだ。
そして、弱くなった太陽の陽射しを見上げる。
…この高さからだと、太陽もヒマワリの花も、よく見えないんだな。
丈の高いひまわりの群れの中に埋もれると、まるで世界は縮こまる。やかましく騒いでいた虫の音も、肌をじりじりと焼く熱も、遠い場所。
このままここにいれば、あの人は探してくれるかな…。
ぼんやりと天を仰いで、欠片のようにまばらに落ちてくる陽射しを見ながら思う。
いつも追いかけてばかりだから。たまには、向こうが見付けてくれればいいのに。
それとも、人波のようなこのヒマワリの群衆の中じゃ、見付けることは愚か、探す気も起きないだろうか。
大型の鳥が、太陽を横切って飛んでいく。
なんとも平和そうな鳴き声を響かせて。
あー…平和だなー…。
涼しいなぁ…。
日陰にそよぐ風と土の冷たさに、一瞬意識が遠ざかり。
……あれ?
通り過ぎると思っていた影が、ぐるぐると頭上で旋回しているのに気付いた。そして、それはかなり近い位置で回っているようにも見え…、
「は…?」
その小さな影は急降下。まるで落ちてくるように真っ逆さま、シン目掛けて降ってきた。
「いた!シン!」
自分の頭すれすれに突っ込んできたその凶器に呆然と固まっていたシンは、走りよってくる声に我に帰った。
座り込んでいるというよりは、思わぬ攻撃に尻餅を付いてしまったような間抜けな格好で、相手を見上げる。
「きら…さん?」
「良かったぁ。やっと見付けた」
安堵の息を付いたキラは、ひまわりの間から、ちょんと顔を出した鳥型ロボットに向かい、笑いかける。
「ありがとうね、トリィ」
礼を言われ、トリィもまた満足そうだ。
…おい。何か。おかしくない?
「いや、待ってくださいよ。俺ソイツに殺されかけたんですけど」
「トリィはシンを見付けてくれたんだよ?」
「いやいやいや」
「だってシン、いつの間にかいなくなっちゃってたから。探そうにもヒマワリが高すぎてまるで見えなかったし」
だったら、ヒマワリよりも高い場所から探すしかないよね?
至極当然の選択に、シンは言葉もない。
「そもそも何ではぐれたの?…ずっと後ろを歩いてると思ってたのに」
「う」
「こんな一本道の中で、どうやったらはぐれるんだよ」
「うう」
キラは少し不機嫌そうな顔をして、シンに詰め寄った。腰に片手を当て、こちらを見下ろす。
確かにあの時、立ち止まって自分から迷子もどきになったのはシン自身だ。…でもなんか悔しい気がして…ぷいっと顔を逸らした。
「だからってトリィを使うなんて卑怯ですっ」
「なんだって〜?」
あ。ヤバい。火に油を注いでしまった。
振り返ったキラの目が、すうっと細められる。
「人を心配させといてそんな口聞くのかな君はエラそうに!」
「って!いたいですいたいです!つつくの止めろバカトリ!」
「もっとやっていいよトリィ」
了解したように、鳥型ロボットの羽ばたきは止まらない。主の意向を受けて、存分に刃を向けてくる。
シンが涙目になったところで、漸く攻撃の手は止んだ。もはや、髪も服もぼろぼろだ。
うー…、なんて唸って未だ立ち上がれない。
「それで、何でトリィを使うのが卑怯なのさ」
「…いや…、それは」
「なに?」
訝しむキラから決まり悪そうに目を逸らすけれど、ちくちくと感じる視線に耐えきれずに思いきって顔を上げた。
…自分を見付けてくれるのは、この人であって欲しかった―――と。
紫の瞳を、じっと見返した。
その視線に何かを感じたのか、むっとしたままだったキラの目が、不思議そうな眼差しに変わる。膝を折ってしゃがみ込み、地べたに座るシンに、少しだけ目線の高さを合わせて来た。
「ホント、どうしたの?」
「…キラさん、俺のこと探してくれてたんですよね?」
「…?…当たり前じゃない。置いていくとでも思ったの?」
「いつ…、気付いたんですか?…俺がいないこと…」
脈絡のない問いかけに疑問符を浮かべるも、キラは答えてくれた。「すぐ、ってわけじゃないけど」と前置きし、
「後ろにシンの気配がない気がして…何となく振り返ったら、もう姿はなかったよ」
「そうですか…」
「シンが後ろにいる感覚はいつも感じてるから分かるし」
「!」
キラにとっては、何気ない…ただの事実を口にしただけなんだろう。…でも。それはとても。
とても―――。
「さて、立って」
トリィを肩に乗せ直し、
「行くよ。まだ全部、見てないんだから」
「はい」
頷いて、シンは元気良く立ち上がった。
それに満足したのか、キラも笑って歩き出す。
やっぱり目にするのは白い背中で、自分の定位置はこの人の後ろなのだけど。
振り返って、後ろの気配にも気付いてくれて、探しにも来てくれた。
ひまわりとはぐれた日があったなら。
ひまわりが連れてきた夏があってもいい。
一直線に。真っ直ぐ。地平線へと伸びた道。
人一人がやっと通れるだけのそこを歩くなら、自然、前を歩く人間と後ろを付いていく人間に分かれる道の中。
二人は、太陽へと歩き出す。
向日葵が残した、一面の夏景色の中を。
...227280...