幾つもの雨の日も、共に過ごしていきながら。













幼年学校の帰り、玄関から見上げた空は暗く、昼過ぎから降り始めた空は下校しようとするアスランの足を止めた。

「どうしようかな…」

少しの雨宿りでは止みそうになくて、もう濡れる覚悟で走り出そうとした時だった。


スッと静かに差し出された青色の傘。


「え…」

横に立っていたのは、自分と同じくらいの背丈の少年だった。

目を合わせないよう、俯きがちに視線を斜めに落としていた。


「つかって…」


差し出している傘を思わず手にしたら、そのまま背を向け走り出そうとした。

「あっ、まって!」

アスランの一言にぴたりと足を止め、大きな目をぱちぱち瞬いてこちらを見る。

「いっしょに入ってこ?」

少しの間、彼は何かを考えているようだった。
その間にも、屋根に遮れ切れなかった水滴が彼の髪を濡らしていく。

アスランはぱちりと傘を開いて、二人の上に傘をさした。

「かさ、ありがとう。でも君がぬれちゃうのはいやだから」
「………」
「いっしょに帰ろう」
「……………うん」

こくりと頷いてくれたことが何だか嬉しくて、アスランは笑った。



まだ、友達、なんてものになる前の、お互いに何も知らなかった時代。

傘は子供用で小さくて、二人の肩がはみ出ないように手を繋いで帰ったのを覚えている。

内気なのか、俯いたように目を落とすその子の横顔に、これから仲良くなれるような予感を感じた雨の日。



雨の匂いと音が、二人を包んでいた。










「あれ…雨だ」

遊びに行こうとアスランが自宅の玄関を少し出たところで、顔にポツリと落ちてきた感触。
隣でキラもまた顔をあげた。

「うん。ふってきちゃったね…」
「僕、かさ取ってくるよ。ちょっとまってて」

頷いたキラを残して自宅にかけ戻る。



数分もしないで戻ってきたら、

「あれ…」

いない…。

さっきまでの場所に、キラはいなかった。
先に行っちゃった?と辺りをきょろきょろしていたら、その姿はすぐに見付かった。

緑の街路樹の下で、キラは木を見上げていた。

「キラ!…どうしたの?そこにいたらぬれちゃうよ?」

雨は、弱いながらも降り始めていて、枝葉の合間からポツポツと雫が滴ってきていた。

アスランは、持ってきたばかりの傘を広げる。
今回は大人用。
だから二人で入っても肩が濡れたりしない。

「ありがと…アスラン」
「何かあったの?」
「うん。…はっぱ、きれいだなーって…」

倣って、アスランも傘の隙間から上を見上げてみた。

「あ。雨が光ってる」
「ふってくる水って、きれいなんだね…」

新しい発見をしたことにキラは見とれたまま、ほぅ…と息を付いている。
雨は微かに当たってしまっているけれど、アスランはキラの視界を塞いでしまわぬように傘を傾けて、その横顔を見詰めた。

「キラは、雨が好き?」
「んー…すき…なのかなぁ…」

あそべなくなるのはきらいかも。
でも、きれいなのはすき。

「そっか…」


雨がサァサァと二人を取り囲む。

目の前の木が微かに揺れる。
青々とした緑の葉を枝一杯に広げて。



二人は小雨の中、ただ街路樹を見上げていた。










外は雨。
しとしとと灰色の空から降ってくる。

講義中、教室の窓際に座っていたアスランは、外の景色にふと目をやった。


………キラ…?


木の囲いで覆われた中庭には、花壇があった。
そこに見覚えのある茶色い頭を見付けて、アスランは首を傾げる。

時間はまだ授業中。
キラだって同じ筈なのに。

そればかりか、この長雨の中、キラは傘をさしもせずに佇んでいた。
じっと、花壇を見詰めたまま。


……いや、傘をさしてはいた。

…―――自身にではなく、花壇に向かって。


見覚えのある青い傘。
自分が濡れることもいとわずに、そこにある何かに向かって傘を差し出している。

何をしているんだろうと気になったところで、先生から声をかけられ慌てて前を向いた。


問題を解き、自分の席に戻ってもう一度外を見た時には、もうキラの姿は無かった。


…傘だけが、花壇にぽつりと残されて。



講義が終わり、アスランが外に確かめに行ったら。


青い彼の傘の下には、まだ芽を出したばかりの小さな葉があった。










「キラ。これ君のだろ?」
「あ…」

翌日、花壇に置いてあった傘を届けにキラの元に向かった。

外は、相変わらずの雨。
無ければきっと、困るだろう。
…聞きたいこともあったから。

「…ありがと」
「昨日、庭にいたよね。教室から見えたんだけど…」
「………うん。気になって、かだんに行ったんだ。…べんきょう休んで、ごめんなさい…」

親や先生に怒られて項垂れるように、キラは身を縮込まらせてしまう。

「花に、カサをさしてあげようと思ったの?」
「すごくちっちゃい葉っぱだったから、雨があたるといたいかなって…」
「そっか…。…でもさ、キラ」
「…?」
「雨はさ、花にとっては大事なものなんだよ」

キラは、きょとんと瞬きをした。

「水がないと、花はきれいに咲かないんだ」
「そうなの?」

うん、と頷いて答えたら、キラは分かりやすい程にしょげかえってしまう。

しゅんとするキラに、アスランは笑いかけた。

「でも、キラのそういうやさしいところ、僕は好きだな」
「すき…?」
「うん。花が雨にあたらないようにしてあげたんだよね」

自分よりも、ほんの少しだけ低い高さにある頭を、撫でてあげた。

やさしいやさしい友達。

それは、自分に傘を貸してくれようとしたあの時と、きっと同じ気持ちだったに違いない。

「前に…」
「うん」
「アスランがカサをさしてくれたこと、あったでしょ。いっしょにかえろうって」
「え…」
「それが、うれしかったから…」

アスランは目を丸くした。

「ぼくも、おなじことできたらなぁって…」
「うん、そっか…。……ホントにキラは、やさしいんだね」
「…?」
「じゃあ今日も、二人でカサに入って帰ろうか?」
「……いいの?」
「もちろん」

ほっとしたように、微かにキラは笑った。





そうして、帰り道。


一つの傘に、並んで二人。

アスランの手には、自分用の緑の傘。
キラの手には、朝、無くしたと言った自分の傘の代わりに、キラの母が持たせてくれたという薄紅の傘。

一人一本あるけれど、今は、二人で一本だけ。

少し窮屈だけれど、少し濡れてしまうけれど、一緒の傘は何だか嬉しい。



雨はほとんどあがりかけ。

遠い空には光が差し込み始めていた。


すると、キラが何かに気付いたように顔を上げた。


「あ…、にじだ!」


つられて、その先を辿った。


灰色の空と、光が指し始めた白の雲間。

美しい天使の梯子。


それに架かる、雨上がりの虹。



「すごいね!雨ってきれいだね!アスラン!」



雨上がりの空の下。


誰より嬉しそうに振り返って笑う―――――。



アスランはその時、初めてキラの本当の笑顔に出会えた気がした。













「アスラン、もうちょっとだけホース引っ張ってー」

クライン邸の広い庭に、楽しそうな声が響く。

鼻唄を歌いながら、咲き乱れる花達へと、キラは水を巻き始めた。


その後ろ姿を、テラスの椅子からアスランは見守った。

「散々雨で水を吸ってるんだから、わざわざやらなくてもいいんじゃないのか」
「最近は温度が上がって来てるからね。一日でも雨が降らない日があると、すぐに地面が乾燥するんだ」

シャワーのように拡散した水が、庭全体を潤していく。瑞々しい人工の雨。


「見てよ、このアジサイ。今が盛りだよ」

視界に、たわわに実って咲く青い花があった。
四角い花びら、緑の葉に囲まれて。
時折、紫や赤に近い色も交ざって咲いている。

「アジサイは水と土で色が変わるから。たっぷりあげないとね」

風と水を浴びて、紫陽花の花がサワサワとざわめき揺れた。


花には水をあげなきゃ駄目だから。
そう昔キラに教えたことが、今となっては懐かしい話だ。

雨の日のように静かで穏やかだと思っていたキラだが、実際仲良くなって付き合いが長くなるに従って、全部がそうではないことを知った。

穏やかであることに嘘は無いのだろうが、流されるような従順な性格ではなかったので、時々周りを巻き込んで我が道を行くこともしばしばだった。

基本は何も、変わってはいないけどな…。


「見て見て、アスラン。虹ができたよ」

嬉しそうな声に庭を見やれば、水撒き用のシャワーの粒子が、淡い虹を作っていた。

キラが作った、小さな小さな虹。


陽射しは上々。
気温も上がり。

青と紫の紫陽花に、きらきらと水滴が輝く。


「涼しくて気持ちいいね、アスラン」

一斉に水を拡げて、緑と色とりどりの花へと雨を降らせる。

「これで花も喜んでくれるかな」

暑くなり始めた空気の中に、雫が飛んで目映く大気に散っていく。

時折風に運ばれてくるそれらに、気持ちの良い清涼感を感じ、


「もうすぐ夏だな…」


アスランは眩しく目を細めた。


灰色の雨の季節は間もなく終わる。

陽射しは強く、見上げる太陽は眩しい金色だ。


恵みの雨をたっぷり吸った大地に、鮮やかな季節がやってくる。





晩春から初夏へ。

子供から大人へ。


雨の景色を間に挟み、幾つも繰り返し―――。





そしてまた、次の季節が訪れようとしていた。













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