* WHITEROSEbouquet *
「………」
キラは非常に困っていた。
…というより、唸っていた。
何で自分が? という気持ちである。
時間は業務時間。
場所は議長室前。
手には―――小さな薔薇の花束を抱えて。
軍服に花、という場違いすぎる格好を振り返るたび、溜め息しか出てこない。
しかしこれは他からの頼まれごとであるため、立ち去ることも出来ない。…どうしようか…。
今朝、ラクスから、先日のコンサートのお礼をデュランダル議長に渡して欲しいと頼まれた。
基本、ラクスからの頼みごとには笑顔で応じるキラだが、今回ばかりはぴしりと固まってしまった。
『お願い出来ませんか?』
『………、…何で僕…?』
自分で渡せとは言わないが、せめて誰か別の人に頼んで欲しいと…。
『キラから渡すのが一番早いかと思いまして』
『絶対一番遅いと思うよ』
いろんな意味で一番遅く届くだろう。
主に精神的な距離により。
『キラは議長室に出入り自由ではありませんでしたか?』
『自由っていうか…』
正しくは、呼び出されて入室する回数が多いというか。基本、アポやセキュリティは無いに等しい。
さすがに快諾出来ない事柄に、キラは渋い顔をする。
けれど、いつも優しく…そして絶対な歌姫は、首を傾げて笑みを深めた。
『それに、キラから渡された方が議長も喜ぶでしょう』
一番言われて欲しくない言葉を笑顔付きで口にされ、目眩が起きそうだった。
最近ラクスは、自分と議長の関係を面白がってつついているような気がする。
最初は『心配』という素振りだったのに、今では『観察』にまで移行しているような…。
自分とあの人の場合は、他者からの配慮によって良好に転じるとかそういうレベルではないのだ。自分にはどうしようも出来ない生理的な嫌悪、としか言いようがないことである。
…とは思いながらも。
『お願い致しますわ、キラ』
結局首を振ることなど出来るわけもなかった。
そして、現在。
入るも引くも出来ずに立ち尽くしているというわけである。
個人的には顔を合わせたくない。
秘書課の人に頼んで渡して貰おうか…。
そこまで結論を出しかけた時、
「あら、どうしたの?入らないの?」
「……グラディス艦長」
すっきりとした軍服で歩み寄ってきたタリアにハッとして、花束を後ろに隠してしまった。
タリアの視線がそれを辿り、気付いてパチパチと瞬きをする。そして小さく笑った。
「随分と興味深いものを持っているのね」
「いや…まぁ…、僕のではないのですが…」
頼まれものです、と呟けば、
「議長に用があるのでしょう?私も報告があって来たのよ。一緒に入りましょうか」
「あ…、それなら」
幸いだ。上官にプライベートなお願いをするのは失礼だと思ったが、知らない仲ではないのだし…。
渡して貰えないかと、キラは口を開いた。
……の、だけれど。
先に入室したタリアにおいでおいでと手招きされ、考える間も無く引っ張りこまれ。
挙げ句、用事を済ませた彼女は、キラが何かを言う前に議長室を退出。
気付いたらキラ一人が取り残された。
「………」
去る時の目がラクスに似ていた気がするのは、気のせいではない。
何とも言えない顔で立ち尽くすキラへと改めて向き直った執務室の主は、いつもの表情で微笑んだ。
「それで、何か用かな」
「………」
目を合わせたくなくて視線を逸らしていたが、ここまで来て何でもありませんとはならないだろう。
はぁ、と溜め息を付いて、後ろ手に持っていたソレを前に抱えた。
「クライン嬢からの返礼です」
片手で差し出した、小さな花束。
ラクスが選ぶに似合う、ピンク色の薔薇の花。
「……君から?」
「ラクスからです!」
誤解しないように!と強く主張する。
「…そうか」
「だからラクスからですよ? 分かってます?」
変な意味合いに取ってませんか?
本当、他意とか含みとか全くなく、純粋に単純に、ラクス・クラインからのお返しですよ?
眉間に皺を寄せて相手を見遣る。
すると相手の表情が、ふっと穏やかに和んだ。
「ありがとう」
「………、…とりあえず、渡しておきます」
近付いて、やっぱり目線は合わさないまま花を差し出した。
議長は受け取り、目を細める。
「フェアリーテールか」
「…?」
「この薔薇の名前だよ」
「よく知ってますね」
「以前に、聞いたことがある」
「へぇ…」
知識の元に興味はないが。
続いた言葉に、キラは顔を上げた。
「彼女らしい花だね」
…その言葉は、少しだけ嬉しかった。
身内を褒められたような面映ゆい気持ち。
それに、ラクスからのお礼なのだということがちゃんと伝わっているのなら、それでいい。
「いつも欠かさずありがとうございます、と…ラクスからの言葉です」
「こちらこそ、と伝えておいてくれるかな」
「はい。分かりました」
素直な気持ちで頷いた。
こんな時くらい、殊勝になってもいいだろう。
他ならぬ、ラクスのため、だしね。良かった。
さて、用事も終わったし帰ろうかと視線を外そうとした時。「ん?」…という声が後ろから聞こえて振り返る。
花束を手に議長席に戻ろうとしたその人が、途中、足を止めたようだった。
何ですか? と首を傾げる。議長は「いや…」と否定するも不思議そうな顔で花束を見詰めていた。
「??」
黙り込まれると気持ちが悪い。
何なんですかと口を開きかけたら、
「これを君から渡すように頼んだ時、クライン嬢は何か言っていたかな」
「…?……、………、……いえ…特には」
多分。特別、気になったことは何もない。
複雑そうな顔をしている自分を、楽しそうな笑顔で後押ししていただけだ。
「それならいいんだ。ここにわざわざ花を持ってきたことに、意味があるのかと思ったから」
「…まぁ…確かにそうですね…」
業務中に議長室へ花を届けて欲しいと言ったラクス。ただ二人の関係を楽しく見守る気紛れかと思ったが。
「ここを、何かで飾りたかったのかもしれませんね」
ふと呟けば、「そうかもしれないな」という静かな返事。
「言葉通り、これのおかげで花が出来た」
「この部屋ってあまり色が無いですもんね。必要無いから仕方ないんでしょうけど」
ともすれば不穏な空気に包まれることもあるだろう、この場所に。涼やかな一輪挿しとなった花は、細やかな癒しともなるだろう。その姿は蝶のように羽開き、そして香り付く。
特別な言葉など何も言っていなかったラクスだが、自宅ではなくこの場に花を持っていって欲しいと託したことには、そんな意味があったのかもしれない。
人の心を花のように包む、優しい彼女だから。
「本当、ラクスらしいですよね…」
記憶の中のその笑顔を、ピンクの薔薇の向こうに思い浮かべて、キラはそっと微笑んだ。彼女のその無償の優しさが愛しい。
「…君に頼んだ辺りも、さすがクライン姫と言ったところだな…」
「どういう意味ですか?」
「いや。有り難く飾っておくよ」
「…?…大事にしてくださいね」
すると、議長が笑みを深くした。
そう。キラにとって嫌な予感がする…嫌な予感しかしない類いの笑みを。
「ならば、君が毎日世話をしに来てくれればいいさ」
「……はい…?」
「大事な人からの大事な贈り物だ」
大事に守ってくれるんだろう?
「………」
「沈黙は肯定と取っていいのかな」
は、と我に返った。
思わぬ逃避から。
「な、…にを言ってるんですかまた貴方は…」
「おや。駄目なのか?」
「当たり前でしょうが!」
「それは残念。折角期待していたのに」
かちーん。
「僕じゃなくたって! 議長の花の世話をしたいって人が周りには大勢いるでしょうがっ」
捨て台詞を吐きつつ、鼻息荒く背を向けた。
ああ、もうやっぱり来なければ良かった!
ラクスごめん無理だよイロイロと!
不機嫌全開で、キラは足音も荒く部屋を出る。
そうして、これからはどんな呼び出しも無視してやる! と決意も新たに、そのまま振り返ることなく去っていったのだった。
そして含み笑いの滲むまま議長席に一人戻ったギルバートは、少しだけ穏やかに目を細め、
「さて、私も歌姫の期待に応えるとしようか」
手の中の花束に笑みを深め、通信を繋げた。
数日後―――。
クライン邸は、楽しげな賑やかさに包まれていた。
今日はキラの誕生日。ラクスの提案でパーティーを開くことになり、朝から準備に大忙しだ。
主役はのんびりしてていいと言われたものの、落ち着かない空気に、結局は手伝いを申し出たキラである。
そんな中、来客を知らせる鐘が聞こえた。
キラが玄関に向かうと、ちょうどラクスが何かを受け取っているところだった。
どうやら、配達物が届いたようだ。
「ラクス…、何か…」
歩み寄る先から、ふわりと漂う香り。
近くに来ていたキラに気付き、ラクスはそれごと振り返って……にこりと笑った。
「素敵な贈り物が届きましたわ」
そこには、埋もれる程の薔薇の花束があった。
それも…真っ白の。純白とも呼べる鮮やかな。
白い大輪の薔薇の花束。
風に揺れるレースのように、空気に触れて優しい香りを運ぶ。
ラクスの姿すら隠してしまう程の大きな大きな白と緑の花束に、キラは動きを止めてしまう。
国民的歌姫であるラクスの処に花束が贈られることは、別に珍しいことじゃない。…のだが。
「ふふ。こんなプレゼントを用意して頂けるなんて、さすがですわね」
その言葉に我に帰ったキラは、何か嫌な予感を覚えて徐々にその表情を変えていった。
「………それって…」
「はい。キラ宛の贈り物です」
「…そんな沢山…」
「この量と同じくらいに見合う愛情が、きっとこの花には込められているんでしょう」
「………」
「まぁ、キラ。そんな崩れた顔をしないで下さいな」
「……………」
「こんなに沢山の薔薇の花、…送り主は、」
「いい。それ以上言わなくていいよラクス」
片手で目元を覆い隠し、もう片方の手の掌をラクスに突き付け制止する。言わないで。頼むから。
けれどもラクスには全てお見通しとばかりにくすくすと笑われる。この距離だと掌に隠したい表情も隠しきれるものじゃない。
「恥ずかしがることありませんのに」
「…ラクス…」
「そんなキラの顔、久しぶりに見ましたわ」
……もうホント、勘弁して。
こっちは数本の花しか贈ってないのに、お返しはこの噎せかえる程の花束だ。
平等なお礼返しの量じゃないだろ。
一体何の差だ。込めた嫌みの差か。
ぶつぶつと呟いているキラに、ふわりと花の香りが近付けられた。
「たまには素直に受け取ってみて下さいな」
…―――今日は、特別な日なのですから。
ラクスは花束をキラへと差し出した。
真っ白い花の中で、優しい顔が綺麗に微笑む。
そんなラクスと薔薇の一枚絵は、とても似合っている。自分なんかよりも。ずっと。
「ラクスへの贈り物にした方が、花も絶対喜ぶのに…」
「あら…それは…、キラ」
「なに?」
「こんなにも真っ白な花なのですから…。キラ以外を思って贈ったとは到底思えませんわ」
「………、………」
また崩れてしまってますよ、と囀りのように笑う歌姫に、ああやっぱり二人には敵わない…と深い溜め息を付いてしまうのだった。
「…て、いうか…何であの人、僕の誕生日なんか知ってたんだ…」
まぁ、部下達の個人情報なんか、トップの人間には筒抜けだろうけど。
考えるまでもないか、と完結しようとしたキラの耳に、ラクスのさらっとした言葉が飛び込んできた。
「私が、あのお礼の花束の中にバースデーパーティーの招待状を入れておきましたから」
「………」
…はかられた。
「多忙な方ですから、さすがにあの方自身が来るのは無理だったようですが」
残念です、とラクス宛の何かのカードを読みながら、キラへと笑いかける。
キラが緩慢とした軋むような視線を向ければ、ラクスはにこりと笑って白いメッセージカードを差し出した。花束ごと。
「こちらはキラへの熱烈なラブレターですわ」
バサリ、と寄せられ思わず受け取ってしまった真っ白い薔薇の花束。
瑞々しい、色めき立つような爽やかな香り。
そして。
その鮮やかな花に埋もれた一枚のカード。
几帳面な字体で書かれたメッセージ。
【 HAPPY BIRTHDAY My Dear 】
「……………」
握り潰さなかっただけでも褒めて欲しい。
花にもカードにも罪はない。
しかし、指先のひきつり具合は眉間にまで繋がってしまいそうだ。
「まぁ。やっぱりキラには白い花が似合いますわね」
胸で両手を組んで、心底喜ばしいと言わんばかりに微笑むラクス。
……も、いいや。
彼女が喜んでいるのならいいやもう。
少々の諦めを含んだ笑みを溢しながら、キラは遠い目をして力を抜いた。
視界を埋め尽くすほどの薔薇は、本当に綺麗なのだし…。
「…ん?…あれ…」
もう一枚。
メッセージカードの他に、何かが埋もれているのに気付いた。
「これ…、……葉っぱの押し花…?」
「それは、薔薇の葉ですわね」
「薔薇の…」
「ふふ…。…知ってますか、キラ。言葉に意味があるのは花だけではないんですよ」
調べてみたらいかがですか? と笑うラクスに、
「………。………いや、いい」
とキラは暫し沈黙したあと首を降った。
「キラにしては珍しい。興味ありませんか?」
「嫌な気配がするからいい。墓穴を掘りそうだからホント、いい。知らないままでいい」
ふらふらとした足取りでリビングへと向かう。
白い花束とワンセットで現れたキラを、皆が驚きと、生温く楽しげに緩んだ笑みで迎える。
何処に行っても、鮮やか過ぎる香りは身体から消えなくて、キラは別の意味で苦い笑いをする羽目になるのだった。
そうして、その日一日。
その白い薔薇の花は部屋の真ん中で、もう一つの主役のように存在感を現して咲き誇った。
後日。
キラは議長宛てに一つの贈り物をした。
そう。
既に枯れてしまった、白い一輪の薔薇を。
嫌み返しだと、キラなりのお返しだった。
だが、それが成功したかどうかは分からない。
何故なら、それは、ドライフラワーとなって、今でも議長室の片隅に飾られているからだ。
キラは部屋を訪れるたびに、目に見える嫌がらせだと眉を寄せる。
そんな姿を見て、ギルバートはその度に楽しそうに笑うのだ。
自身で送った、その花の意味に。
少年だけが、気付かないまま。
そう、枯れた白い薔薇には―――…
「君は、何度誕生日を迎えても変わらないままなのだろうな」
「遠回しな嫌味とか止めて貰えません?」
「嫌味ではないよ」
「どう考えても、僕は幾つになっても成長がないとか童顔とか言われてるようにしか思えません」
「おや。君は立派に成長しているよ」
「大人の余裕とか見せられてもムカつくだけです。…あ、また笑いましたね」
「いや、そうではなくて。これからも、変わらずにここにいるのだろうと思ったんだよ」
「………」
「その花のようにな」
「……そういう台詞は外交の時に生かして下さい。無駄に安売りしないで下さい」
そう、その真っ白い一輪の花のように―――。