「おはよう、シン。今日もよろしくね」
そう笑って朝の挨拶を貰うけど、結局それ以上は、いつも話をすることなど出来ないまま毎日が過ぎていく。
忙しい人だから。いつも誰かといる人だから。
だから、別の場所で。
ここじゃない何処かで会えたらいいのになと。
ささやかに思うくらい、少しでもいいから一緒の時間が欲しかった。
なんてことをぽつりと幼馴染みの前で呟いたのが運の尽き。
にやりと女性にあるまじき笑みを浮かべた彼女…いや、彼女達に、いい方法があるわよ? と提案されたのが…。
「……何でこんなモン…」
シンは、手の中のそのアイテムを見詰めて困惑していた。
それはシン達同期組の写った一枚の写真だった。
他愛もないじゃれ合いの一場面。これを渡してきた幼馴染み姉妹や、いつもつるんでいる友人も写っている。
「………」
…―――好きな人の写真を枕の下に入れると、その人の夢を見ることが出来る。
…夢見がちなジンクスだ。
絶体にルナ達は面白がっている。シンを応援しようじゃなくて、シンで遊ぼう、だろう。この写真をどうしろと? ヤマト隊長に渡せばいいじゃない、なんて軽く言ってくれる。
しかもこれじゃあ、夢の中に出てくるのは自分の方じゃないか。何かが違う。
こんなのよりキラさんの写真寄越せよ…。
そう思ってハッと気付いて赤面し、ぶんぶんと頭を振った。
「なに馬鹿なこと考えてんだ…」
つい独り言が多くなる。
溜め息を付いて、ふらふらと外まで出てきてしまった。
結局、事前講義はサボりだ。…気分乗んない。
そうして、川辺りを沈んだ気持ちで歩いていたら……ふと足が止まった。
川沿いの土手に、望んでいたその人がいた。
……眠って、いた。
草に包まれ、太陽を浴びて。
一歩近付こうとして、はっとする。
条件反射のように、シンは一瞬我に帰ってきょろきょろと辺りを見渡した。余計な人物達はいない。正真正銘、キラ一人だった。
思わぬ暖かさに暑くなったんだろう、着ていた上着を枕にすうすうと眠っている。随分と気持ち良さそうに。…本当に、幸せそうに眠る人だ。
川面からの風に誤魔化され、近付く足音は響かない。目を覚まさない。キラさん、と小さく呟いてみたって。
「………」
無理に起こす気も起きず、また立ち去る気にもなれず、シンは悩んだ。
考え込んだ結果、近くに…隣に座るのは何だか恐れ多い気がして、少し離れた所にちょこんと座った。
…―――なんか俺、これだけで幸せかも…。
ほわんとした空気に包まれた景色。
あぐらを掻いて、シンは空を見上げた。
暖かい風が雲と鳥を招くように流れている。
顔を合わせたら憎まれ口しか叩けない自分には、これが一番の贅沢なのかもしれなかった。
でも。…少しだけ。
「―――」
幼く眠る憧れの人の寝顔を見て。…夢を見てもいいだろうかと。
起きませんように…と願いながら、そっと近付いて…枕代わりの服の下に写真をカサリと入れてみた。
「………、………」
顔を伺うも目は閉じられたまま。
どきどきと煩い自分の心臓の音を聞きながら、眠る姿を見守る。
その時ふと、閉じたままのキラの睫毛が揺れた。
「……シン…」
鼓動が跳ねた。
寝言…?
まさか、ジンクスは本当だったのだろうか。
自分の夢を、見てくれているのだろうか。
そう思うだけで、顔が赤くなる。
なかなか会うことの出来ない二人が、夢の中で出会う。それは、互いに想い合っているからこそ叶う夢路。
「………」
…でも、これって反則だよな。
気持ち良さそうな顔をして眠っている姿を見たら、罪悪感にも駆られてきた。
人が奥底で思っていることを夢に見るなら、この方法は強制しているようなモンじゃないか。
強制、という言葉が嫌いなシンは、自分で思ってムッとしてしまった。
やっぱり起こして直で話せる方が嬉しいし…、などと一人うんうん悩んでいたら、くすくすと笑う声が聞こえた。
ハッとして振り返ったら。
「どうしたの?百面相?」
「!!」
ばっちりと、目が合ってしまった。
「起きてたんですか!?」
「枕元でごそごそされたら、そりゃあね」
「じゃあすぐに目ぇ開けて下さいよ!!」
ふしゅーと顔が沸騰するのが分かった。
寝言かと思った自分の名前は、本当にこちらへの呼び掛けだったのだ。
恥ずかしさでしねる!と頭を抱えるシンの横で、ふわぁ…と寝起きの大きな伸びをしているキラが、何かに気付いた。
「ん?…これ何?」
「あ!」
「シン達の写真?」
「ななな何でもないっ!」
「ワケないよね。…とと」
「返してくださいよっ。返せー!」
ひょいひょいと動く手と腕に、どうあっても届かない。…涙目になりそうだ。
「で、シン?」
「う」
「ん?」
「うう…」
笑顔で迫る追及。
笑顔だが。…笑顔だが…!
「………、………分かりました…」
シンは肩を落とした。
こうなったら白状するしかない…。
勝てるなんて最初から微塵も思ってないけど。
「えと……ルナ達が騒いでて」
「うん」
「………枕の下に写真を入れたら……その人が夢に出てくるって……」
「………」
「…ホントは、俺の方に出てきて欲しかったけど…」
この際なら…!と本音を混ぜてみるが、呟いた声はぼそぼそと小さかった。これだけで赤面してしまう。
なのに、俯いたシンの頭の上から、キラはぽつりと、
「僕の夢の中にシンが出て来て、シンの方の夢にも僕が出てきて欲しいってこと?」
「直球で言わないで下さい!」
恥ずかしくて色々とはしょったのにド真ん中を抉って来た。
「ふぅん…」
赤っ恥はなはだしい行為をしたと自覚しているシンは、まるで審判を待つ犯罪者の気持ちで肩を丸め、キラの言葉を待った。
キラはひらひらと揺れる手の中の写真をじっと見詰める。
やがて、「ん?ということは?」…と、シンの言葉を漸く咀嚼し終えたキラは、一層きょとんと目を丸くした。
「え。まさか夢の中でまで僕と対戦したいの?」
「……………。……………。……………」
…なんて…答えれば…いいのだろう…。
「そっかそっか。熱心だねー。自学習ってヤツ?」
「………。…ソーデスネ…」
お互いの夢の中にお互いが登場→対戦イメージトレーニング。なんて方向に想像されて、最早シンに出来ることは遠い目しかなかった。
「あ、ならさ」
思い付いた、と言わんばかりにピン!と光を出して、笑う。
「お互いが同じ夢を見なきゃ意味ないんだよね?」
「へ?」
にっこり。
また素敵な表情でこの先輩は、
「おいで。シン」
また爆弾発言をしてくれやがりました。
「は…い…?」
へい、かまーん!と素敵な笑顔で、先輩は自分の膝をぽんぽん叩いている。
「トレーニングに付き合ってあげる。シンの夢にも僕が出てくるように」
「え?」
「あれ。写真じゃなきゃ効果ナシ?」
「いや、それは分かんないけど」
「じゃあモノは試し。さぁどうぞ」
「うわっ」
ぐいっと引っ張られ、草が舞う。気付いたら青空を見上げていた。……視界の端に、穏やかに笑うキラを映しながら。
「………、………、………!?!?」
キラの膝に、自分の頭が乗っている。
「な、な、なん…!?」
「はい、文句は一切受け付けません」
シンの反応に愉快な笑い声をあげるキラ。
「これってイジメですか!?寝てるの俺が邪魔したからって…!」
「そんなわけないよ」
「俺にとっては罰ゲー、」
「夢の中に自分の大切な人が出てきたら、嬉しくないわけないじゃない?」
キラの一言に、シンは動きを止めた。
「シンは違う? 夢の中にまで僕が出てきたら、やっぱり鬱陶しい?」
「………、……そんなワケ…ないじゃん…」
「ふふ。ありがと」
「………」
キラと自分とでは『嬉しい』の意味が違うのだろうけど。
優しく髪を撫でてくる指先と、その穏やかな声が、今は自分の為だけに向けられている。
「シンの髪は柔らかいなぁ。猫みたい」
「まぜないで下さいよっ」
「まぁまぁ」
顔は赤くなるわ心臓は煩いわ、全く落ち着かない。
「寝ていいよー」
寝れるか!
「これで写真の代用になればいいのにね。シンの夢の中にも僕が出てきてくれればいいなぁ」
「―――」
さりげなかったキラの言葉が、シンには胸に詰まった。
…自分と過ごすことを望んでくれているのだと、それを本当に感じて。恥ずかしいではなく純粋に…ただ素直に、嬉しいと思った。
漸く大人しくなった後輩の髪に、キラは優しく触れた。まるで膝で丸くなる猫を愛しく撫でるように。
「シンとこうしてる時間、結構好きだよ」
…うん。最高の時間だ。
心臓は収まることを知らず鼓動を跳ねさせている。でも、心は温かく染まっていく。
…―――この気持ちは、春になる前の小さな季節に似ている。
冬のような寂しい気持ちは終わり、これから優しく温かい何かに変わっていく春の始まりに。
例え寒い日が続いていたって、不意に暖かくなった風に思わず微笑んでしまうように。
毎日会えなくたって、この一瞬があれば幸福なのだと…シンは静かに目を閉じた。
「今度二人でまた、こうしてサボろうか」
「え…、いいんですか?」
「いいんじゃない? 僕もお堅い講義とか嫌いだしね」
「…キラさんと二人で抜け出したら俺が怒られる気がする。いろんな意味で…」
「…?…二人一緒なら、怖くないって」
「………怖い、は…怖いかも……周りからの色々が」
「僕がシンと一緒にいたかったって言い訳するよ」
「!」
いつか春が来ることを、この微睡みの中、切に願うのです。