「ちょっと場所借ります」
既にお伺いですらなく、来客用のソファーを陣取った少年は、そうして遠慮もなく横になって眠ってしまった。
執務室に入ってきたと思ったら、許可を与えるどころかこちらの言葉すら待たないで。
そしてまた、数日後。
「失礼します」
今度はしっかりとブランケットまで持参しての再来訪だ。小さくあくびをこぼしながら、既にごそごそとソファーの上で眠りの体制に入っている。
まぁ今更咎める相手でもないので注意するつもりもないのだが。堂々と議長室を仮眠室代わりにしている少年に、表情が緩むのを押さえきれない。
「君はこの部屋に、眠りに来ているのか?」
「ここには必要最低限の人間しか来ないので、仮眠を取るには最適なんです」
最近は何処にいても捕まってしまうので。
そう言いながら疲れを押し出すよう溜め息を吐いている。そしてそのままブランケットに潜り込んでしまった。
今日も彼はやってきた。
コンコンと軽いノックが聞こえたと思ったら、眠る準備を万端にした格好の少年が入り込む。ギルバートは笑う。
「完全に、君専用の仮眠室だな」
「駄目でしたか? 来客の予定がないことはチェックしたつもりですが」
数日目にして初めてのお伺いに苦笑いがこぼれる。
「いいや。使えるものはどうぞ使ってくれ」
「どうもです」
彼専用になりつつあるソファーにうずくまる姿は、最早見慣れてしまった定位置だ。
「私がここを留守にしている時は、医務室にでも眠りに行っているのか?」
ふと、聞いてみる。
主のいない部屋は当然誰の入室も出来ないようセキュリティで守られる。執務で自分がいる時なら良いが、視察で数週間ここを留守にする時だってある。そんな場合は別の部屋が彼の安息場になるのだろうか。
その答えを、キラはさらりと口にした。
「議長が不在の時もここを使わせて貰ってますよ?」
「…ロックは」
「それを僕に聞くんですか?」
固辞も皮肉もなく、無表情で答えてタオルにくるまった頭。…色々と思うところはあるが…彼だけに出来る特技だと思えばまぁ問題はないだろうな。
全身をソファの上に丸めて静かに寝息たて始めた少年に、小さな溜め息を送った。
そして、ある日。
その日は珍しく、彼愛用のノートパソコンも持参してキラは議長室にやってきた。
ソファーに座るも眠る体制ではなく、そのまま作業に入り出す。カタカタとパソコンを打ちならす音が聞こえ始めた。
その内容には、微かに心当たりがあった。
「その案件は先日の?」
「それもありますし、その他にも色々と」
「そうか。面倒を掛けてしまっているようだ」
「いえ」
「今度、お礼をしよう」
「別にお礼なんかいりません」
「後が怖いし…」というぼやきに笑う。
自分と彼の二人が、二人だけしかいない同じ空間でそれぞれの穏やかな時間を過ごしていることは、実はとても貴重なのかもしれない。とても安らいだもの。
そんな一日も悪くないか、と。
風を取り込むために窓を開けた。
一段落を付けたキラの指が止まり、ふぅ、と溜め息を付くのが聞こえた。
「複雑な仕事を頼んでしまって悪かったね」
「確かに今回は少し、疲れました…」
「何か持ってこさせようか?」
いいえとキラは首を振り、背凭れに沈んだ。
「いつもみたいに場所を貸して貰えればそれで…。…だから……少しだけ、ここで…」
すぅ…と深くなる呼吸。閉じてしまった瞼。
ソファーに寄り掛かったまま…キラはすぐに眠に落ちていった。
立ち上がり、窓を少しだけ閉じる。
そしてキラの傍へと近付き、彼の忘れ物として議長室に置きっぱなしになっていたブランケットを掛けてやった。
その時にこれを忘れて行ったいつかの日のことを思い出し微かに笑った。はっと跳ね起きては、とても慌てて部屋を駆け出して行ったものだ。
窓からの風に、薄い色の髪が揺れている。
「君は、こんな場所でも夢を見られるのかな」
人に未来を示すのが議長たる者の仕事。夢、なんて崇高なものではなくても、未来くらいは作らなければならないのが自分の役目。
だが彼の役目は自分とは違うのだろう。
そして、その存在も、その行動も、先が読めずにとても目が離せないのだ。
こんな場所で眠ろうと思うところも他から見れば常識外れ。現実、こうして眠れるのだから不思議なものだ。
自分などの、傍で。
彼がいる時、穏やかな静寂に変わる議長室。
………ゆっくり、眠ればいい。
人に…私に夢を見せてくれるのはきっと、君というただ一人の人間なのだから。
そうして今日も、小さなノックの音が部屋に響く。
そのささやかな楽しみに、変わらない一日が過ぎていく。