‡St.Days‡
「アスラン、これあげるよ」
「いらない」
「プレゼント」
「いらん」
白い箱を片手に笑顔で差し出すキラと、即刻顔を背けて拒否るアスラン。
テーブルに相席していたイザークとディアッカは、何処かで「あー…」という気持ちになっていた。
休憩ルームにトコトコとやって来ての最初の会話が、そんな親友同士の見えない拮抗。
取り付く暇も無いアスランに、悲しそうな顔をするどころか一層笑顔が深まっていくキラ。
ぱたぱたと、見えない尻尾を無邪気に振っているようにも、期待に満ち満ちた笑顔にも見えなくはないが…。
何となく、このままだとヤバい感じ?…と若干引きつつも、「まぁまぁ座れよ」とディアッカは取り敢えず席を勧めた。
それから、中身は何?と聞いてみる。
「ああ、うん。チョコレートケーキなんだけどね」
素直に、空席だったイザークの隣、アスランの真正面に座り、案外あっさりと箱の中身を見せたキラに、興味深そうな視線が向く。
ディアッカが箱を覗き込んだ。
「ケーキ?」
「そう、ガトーショコラってお菓子」
なるほど、円形の箱に丁度良く、小さくカットされたホールケーキが収まっている。
白いシュガーパウダーが掛けられて、チョコの香りが一瞬で広がる。…焦げているわけでは無さそうだ。焦げ臭くない。
「もしかして、キラの手作り?」
「まぁ、一応ね」
笑った後、キラはそれを真向かいのアスランへとそっと寄せた。
「アスラン」
「いらないと言っている」
「折角作ったのに」
「そうだぜ、勿体無い」
「だから尚更嫌なんだ…」
普通に見たら、普通に美味しそうな普通のケーキ。
それを一瞥しただけで、すぐに目を逸らしてしまうアスランに、ディアッカもイザークも首を捻る。
これは前科があるな…と二人は直感で思う。
今までを顧みると、笑顔で迫らるれことほど、不気味なことはない。
付き合いの長さで他の追随を許さないアスラン・ザラにとっては、特に。引く要素にしかならないらしい。
イザークは聞いてみた。
「キラ、お前また何かやったのか」
「それって濡れ衣だよ、イザーク。アスランもさ。まるで僕が始終おかしなことに巻き込んでるみたいじゃないか」
そ の 通 り だ ろ う 。
三人の思考が一致した。
そのいかにも、な目付きに、キラは少し膨れる。
「失礼な目で見ないでよ。人をハリケーンみたいに…。…そりゃ、ちょっとした報復の為にワザとしたことが無いとは言わないけど」
あるのか。
やっぱり。
言った通りだろう。
ちっとも名誉が回復しない態度に、キラは無理矢理話題を元へと戻した。
「とにかく、アスラン達が考えてるようなことは何も無いって。食べてみてよ。そうすれば分かるから」
「分かるって表現がそもそもおかしい。他意が無いのなら、その理由を言え」
「先に言ったら喜びも半減するじゃないか」
誰の喜びだ。
「これは、僕にしか出来ない味なんだよ?」
「………」
うっさんくさそーな目付きがいや増した。
たった一つのお菓子の試食を巡って、どうしてここまで疑り深くならなきゃならんのか。
これはキラ相手だから思うことなのか。最も信頼の出来る人間の筈なのに。
………いや、キラだからこそ。
「でも何でアスランにだけそんなしつこく勧めるワケ?そんなワンホール、コイツが一人で食べ切れるわけないじゃん」
その通りだと、アスランはディアッカに同意して大きく頷く。やっぱりブツを視界にも入れないで。
そもそも、そんな甘ったるい菓子はアスランの好みじゃない。キラが、親友の味覚を知らないわけが無いのに。
「ディアッカ達も食べる?良かったらどうぞ。…ただこれは、アスランにしか分からないから…」
「ちょっと待て」
益々もって、静止の声が強くなる。
「お前さっきから不穏な言葉ばかり言ってるぞ?分かってるのか?それともワザとか?人の反応見て楽しいのか?」
半ばキレ掛けているアスランに少しも動じることなく、キラは飄々と答える。
「だって、それしか表現のしようがないんだから。勝手に想像して勝手に怒らないでよ」
そこまで露骨にされたら、僕の方こそ怒るよ?
バックにはそんなオーラが見えるようだった。
さしものアスランも、「う」と引く。
「…と、とにかく、俺はもう任務の時間だから先に行くぞ!」
「あ、こら、逃げるな!」
ぎくしゃくと部屋から立ち去るアスランを追い、キラは箱を胸に抱えて追っ掛けて行った。
「まさしく嵐?…一体何だったんだ?」
ぽりぽりと頭を掻くディアッカの正面で一人、難しい顔をしているイザーク。
「惚気られたと思うのは、俺の気のせいか?」
「は?ンだそれ」
「………」
「お〜い」
「………。………」
腕を組んでむっすりとするイザークを溜息で片付けて、ディアッカは当事者二人が去った扉を頬杖で見詰めた。
建物の外。緑と木陰のある、如何にも穏やかに見える風景の中。
しかし二人の纏う雰囲気が正反対に渦を巻いているため、傍目には「何をしてるんだこの二人」だった。
昼下がりの緑の庭。
普通に見れば、昼寝に当てたいほどの爽やかさだというに。
スタスタスタスタと競歩のように追いかけっこを繰り返していた平行線を止めたのは、キラの決定的な一言。
「………実力行使するよ?」
ぴた、と停止線でもあるかのように直立不動したのは云うまでもない。
木陰に座り込み、向かい合う。…あくまで身体、が。目を合わすまいと、アスランの視線は必死に斜めに逸れている。
「じゃ、食べてくれる?」
ずい、と強烈な笑顔も添えて差し出してくる白い箱。
慣れない甘い香り。
にこにこと迫る笑顔。
「………」
「…んもー」
キラは大きく溜息を吐き出した。
「本当に、何もないから。もしアスランが嫌な思いをしたんだったら、それ相応の償いをさせて頂きます」
ちらと見上げたアスランの視線に、キラは「うん」と頷く。
強制執行すると逆らえない笑顔で迫っていた、さっきまではとは打って変わって…寂しくお願いするように。
………弱いんだ。それに俺は。
もうここまで来たら、例え何か不幸な目にあっても構わないんじゃないか、と思えてくるから甘いものだ。
キラのそういう顔を見るぐらいなら、多少騙されるくらい、許してしまおうかと。
アスランは、今の距離からほんの少しだけキラに近付いて、箱の中へと手を伸ばす。
ちょっと身体にダルさが来るぐらいなら我慢しよう、と半ば失礼なことを思いながら一口目を口にしたら、
「………うまい」
意外、とアスランは目を丸くした。
自然と手は動いて、手の中にあった二口目三口目四口目、…最後の一欠片が消えた。
にこ、と小さくキラは笑う。
「…―――――この味…」
「気付いてくれた?」
白い箱を抱え。
腕の中に甘い香りの菓子を抱き。
へたりと足を地面に付けて、微笑む彼。
そこに、確かな答えを得たような気がした。
「だから言ったじゃない。今じゃもう、僕にしか出来ない味だって」
企みに成功して無邪気に笑うみたいに、キラは嬉しそうに笑みを深くした。
「アスランにしか、分からない味だって」
今となっては。
ここにいる、同じものを共有したことのある二人にしか。離れず傍に居て、その『時』を幸福に過ごした二人にしか。
そう。
この甘さに相応しい言葉を与えるならば。
…―――――懐かしい。
「よく…、覚えてたな」
「昔教えて貰ったレシピをね、見付けたからって送って貰ったんだ」
キラは空を仰いだ。
「舌は確かとは言えないけど、同じ作り方と、記憶に残ってる方法とかで作れば、あの時の味がちゃんと作れるかなって思ったんだ」
それを大事そうに抱えながら、キラは静かに樹へと背を預けた。…やっと肩の荷が下りたというように、力を抜いて。
梢から差し込む眩しい日差し。
つられて見上げたアスランの瞳にも、その木漏れ陽が零れ落ちる。
「アスランが美味しいって言ってくれたのなら、結構上手く出来てたんだね」
「お前もホント、器用だな」
ふふ、と目を細めて、キラは笑い返した。
「アスランも覚えててくれて、良かった」
酷く疑われて大変だったけど。…ねぇ?
「……日頃の行いを改めろ」
「少しは謝罪してよ」
「お互い様だ。これでプラスマイナスゼロだろ」
アスランにむっすりと言われ、キラは以前までの行動を少し振り返ってみて…、…取り敢えずちょっとは反省しようと思ったのか、何も言わず再び幹に背を預け直したのだった。
キラもまた、チョコレートの香り漂う欠片を口に入れて、思い出に過ぎる記憶を辿る。
「何だかさ、懐かしいなってさ…。…もう、遠いけど…」
キラの横顔を目にして、アスランもまた遠くを見る。
じわりと馴染んでいく苦さの残る甘さ。
苦手だと敬遠していた味に、工夫だといって作られた菓子。
そこにあったのは、舌に残る味だけでなく、温かな―――――…
「もう一つ、貰うぞ」
ただそれだけを呟いて肩を寄せたアスランに。
キラは笑って、高い空を見上げた。
遠くから子供達の笑い声が聞こえていた。