月の大地に芽吹いたその華は、その時も惜しみない姿を散らせていた。

常世のように闇に覆われた夜、鮮やかな色彩を大気に舞い上がらせて、それは歓喜に咲き乱れる。

まるで禁足地のように、誰の人の目に触れることもなかったその林の奥。
きっと毎年、人知れずこの桜は咲き誇ったのだろう。


自分と彼しか知らぬ、…―――この永遠の楽園で。





幾度となく駆けた宇宙の広がりに散る数多の銀星達。それが今日の夜は、いつも以上に輝きを増しているように見える。

ここに月があれば、どんな光景だったのだろうと思えるほどに清廉で静謐な光景。
けれど、煩いほどに大気は辺りの風景を揺るがせている。
風が涼やかな音を立てる度に、源を離れた薄紅の花弁が湖面に幾つもの光の輪を広げた。


目の前にあるのは一本の巨木。

その身には折れんばかりの花弁を纏って。



そして、その枝垂桜の根元で、ただ一人その光景を見詰める青年がいた。



あれからどれくらい時間を経たのか。
考えること自体が切ない程に。


柔らかな陽光の下で見上げた日もあった。
二人でこっそりと抜け出して、今のような宵闇の中で佇んだ日も在った。

満天の星と涼しげな風の薫る湖面の中央に。
飽きずに眺めた桜の木はいつだって、自分達を見守るように静かにそこに存在していた。


今この時も、あの日々と寸分違わぬ姿のように見える。
決して止まることのない時の中で、そこだけ永遠に変わらず在り続けているかのように。



ただ違っていたのは、傍らに誰よりも大切な親友の姿がないこと。


そして、かつてここで過ごした少年は、いつしか大人びた姿の青年へと成長した。





…―――また来年も……という約束は結局、果たされなかった。

片割れの少年が、幼い思い出の地を去らねばならかったからだ。
それは冬の雪解けが終わり、道に植えられた桜達が一斉に咲き始めた頃だった。

二人の秘密の場所の桜を共に見ることも叶わぬまま、二人は別れの道を辿った。

……そう、言葉通り、『別れの道』を。


あの日々のように再び笑みを交わすことのないまま…二人の少年達は青年へと姿を変え、そして……。

戦禍の中心へその身を投じた。
敵同士という悲劇の未来へ。





…いや、今はもう、何も考えるまい。

どんなに今この時までの道程を辿っても、後悔を重ねても、時が戻ることなど在り得ないのだから。



けれど。……それでも。


願っていたかったよ。



泣きそうなほど愛おしそうに目を眇めた瞳に、また一つ、花弁が横切った。

彼の双眸に映る姿は果たして何だったのだろうか。





「…永遠で在りたかった……」



心に残る情景の久遠を願ったわけではない。
ここで過ごす日々が、その幸福な想いが、彼の人と共に永遠に続くものだと思っていた。……信じていた。

神の前で契りを交わす大人達の誓約のように、未来を共に在ることを指と指を絡めて誓ったあの日。
少年達の間に浮かぶものは微笑み。嘘偽りない言葉を交わして笑い声を響かせたこの楽園。

彼の残した言葉も、笑顔も。二人で走り回った空気の震えすらも、自分の立つすぐ近くを擦れ違っていきそうな。

陽炎のように立ち上る情景は、心の中にも現実にも浮かび上がる。
それが残滓となって、この常闇の深さの中に木霊してくるようだった。


桜の肢体を移し込む水面にはらりと落ちた花弁が、その残像を掻き消すように緩やかな波紋を描いた。

そして夢幻に降る桜の雫が、青年を慰めるよう、柔らかく彼を包み込む。

俯いたまま風に揺られる髪に触れては、留まることを知らずに地に落ちて。
強い風が時折吹く度、それは再び空へと舞い上がっていった。………永遠に繰り返される環のように。



佳人薄命、いつかは散るものだから美しい…と、幼い頃に語り合ったその華は、言葉に違わない儚さで栄枯への標を辿り、咲き誇る。


「それは、君のことだったのかも…しれないね…」


その時には思いもしなかった美しいゆえの儚さが、彼の人に重なり過ぎて怖くなる。
今更な考えだ…とも思う。



だってもう、傍に君はいない…。



必ず二人でもう一度、と誓った場所なのに、ここには自分一人しか立っていない。

巡る四季の中で変わり始めた現実に飲み込まれ、いつしかそれが二人を分かつ哀しい未来となった。
夢を追い続けた過去は過去にしかならず、それが二人の道を再び交わらせる絆になりはしなかった…。


それでも、思い出を支えにしていたのは違いなく。その頼りの思いが強かったのは、果たしてどちらだったか。


ここで過ごした子供時代の記憶が永遠であるように、ここで見詰めた桜の記憶もまた、あの在りし日の残像となり今の風景と重なっていくというのに。


同じままではいられなかった。…自分も彼も。

そして輝くばかりの幸福な世界も。



だったらせめて、永遠を感じていた日々の思い出だけは。

君との幼い頃の誓いだけは、せめて一つでも。



「約束は…守るよ」



必ずまた来年、と言った言葉も。
必ず二人一緒に、と交わした言葉も。

叶わなかった誓いも多くあるけれど。



それでも。



「君との約束は…必ず果たしたいから」





思い描く彼の人が、ここに来ることはないと分かっていた。

哀しいぐらいに分かりきっていることなのに、それでももしかしたら、という希望は消えてはくれなかった。


もしかしたら、君はすぐにでもあの林の影から姿を表すかもしれないだろう?

遅れてごめん、といつもの微笑みで。

そう思ったら、例えどんな現実であってもここに来て、遠い日の約束を果たしたくなった。





待ち人は来ない。

それでも自分は、ここにいよう。



ここに座って、未来を夢見よう。



せめて今日という日が終わるまでは。















やがて、林の向こうから朝日の木漏れ陽が姿を表す。


哀しくて、いつしか閉じていた瞳に、その陽光が眩しく移りこんだ。





「だから早く…」



闇に染まっていた若者の、大地の色をした瞳に、光が灯る。










「早く…帰って来て…?…―――――キラ」







聞くもののいない呟きを残して、青年は楽園を後にする。



未だ終わりのない、無限の華を散らせるその場所を背に、歩き出す。





誰よりも愛しい友の眠るその傍らへ―――…


























『ねぇ、アスラン。楽園て、どんな場所だと思う?』





『楽園?…うーん…、何にでも恵まれた綺麗な所…かな?』





『じゃあ、そこにいたらどんな風に過ごせると思う?』





『悲しいこととか、辛いことが全部なくなる…とか』





『そっかぁ』





『キラは?君はどんな場所だと思ってる?』





『僕は…そうだなぁ……』





『うん』





『…―――僕は、…永遠が在る場所だと思う』





『……永遠?』





『そう。色々な意味の【永遠】』





『どういう意味?』





『んー…、…アスランが言ったように、綺麗な場所が永遠に広がっている、とか』





『他には?』





『思い出とか魂とかが永遠になる場所とか。……あとは、幸せが永遠に在る場所…』





『そっか…』





『…ふふ。だからね…?』





『……ん…?』





『だからね、アスラン。……僕にとって…』





























…―――――僕にとっての永遠の楽園は…












... fin ...










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