「はい、どうぞ」
「ああ…悪いな…」
カチャ…とテーブルに置いたカップには、濃い琥珀色。芳しい紅茶の香りが、湯気と共に立ち上った。
机の上には沢山の書類の山。
几帳面な彼の性格通りに綺麗に整頓されているけれど、次から次へと溜まる一方のそれは形が変わることはない。
カップを置いた時にも、心ここに有らずという返事だった気がする。
やれやれと息を付きつつ笑って、キラも自分の椅子に座り直した。
イザークに仕事を手伝って欲しいと言われてこの部屋に籠ってから早数時間。もう辺りはとっくに陽が暮れ、暗闇に包まれている。
人に助けを求めることなど滅多にないイザークがわざわざ自分に頼みに来た辺りで、余程切羽詰まっていたことが悟れるというもの。キラ自身もデスクワークは好きな方ではないが、イザークたっての頼みなら喜んで手を貸そう。
比較的得意分野であるパソコンを片手に、キラもまた集中力を高めていった。
…ふぅ。
取り敢えず切りのいい処までと、一段落の息を付いてキラはうーんと伸びをした。
すっかり冷めてしまった紅茶を口にする。
向かい側では未だ、眉間に力を入れたイザークが、もの凄い集中力で視線を動かしていた。
「………」
真面目な顔はいつも変化がないけれど…。
こうして真剣な眼差しで机に向かう彼の表情は、実を言えば結構好きだったりする。仕事に全霊を掛けるように、隊長として皆の前に立つ姿は、誰が見ても頼もしい。親しい友人の一人として、自慢したくなる。
カップに口を付けつつ、キラはこっそり対岸を覗き見た。
「…何だ」
「ん?…いや、別に…?」
相手の訝しげな視線が数秒続いたけれど、涼しい笑顔のキラにやがて諦め、作業に戻っていった。
それからまた、時間が流れ。
「はぁ…やっと終わった…」
キラは大きく息を吐く。
イザークもまた書類の束を纏めながら溜め息を付いていた。それは解放されたことへの安堵の息だった。
紅茶はすっかり冷めていて美味しくない。
入れ直そうとキラは立ち上がる。
「こんな時間まで手伝わせて悪かったな」
「大丈夫だよ」
コポコポと熱い湯を注ぎ、カップを暖かい色に満たす。柔らかい香りが広がった。
疲れには甘いもの。少しだけ砂糖を足した。
「予定は入って無かったのか?」
「特にはね。この時間まで残ることは別に珍しくないしさ」
「今度礼はする」
別に平気だよ、と言いながら、改めて入れ直した紅茶をイザークの前に置いた。
今度はちゃんと、すまない、という一言が視線と共に返ってきて、キラは笑った。
紅茶を半分程まで飲んで一息付く。
窓の向こうを、キラはふと見詰めた。
窓から見る景色は既に闇の中。街灯がぽつりぽつりと視界に入るだけで、遠い街並みの光が淡く滲んでいる。不規則な小さな点にしか見えないのが残念だ。
自分の姿が映り込む硝子をぼんやり眺め……そのまま窓枠の前に立ち、微かに視界に入る空を見上げた。
「ね、イザーク」
振り返らずに声を掛けた。
「手伝ったお礼が貰えるって言うのなら…、冬の星座を教えてよ」
窓を開ければ、冷たい風がするりと入り込む。
室内なら分からない紅茶の湯気が、ゆらりと白く立ち上った。
人が近付く気配。
やがて隣へと。
「ああ…いいだろう」
蒼い瞳が薄く笑む。
…ああ、その表情も、真剣な眼と同じくらい好きだな。
澄んだ冬の大気のような空気を持つひと。
寒さに耐えるこの季節。その中でほんの少し暖かさが見えれば、それは貴重な温もりとなる。この季節に感謝したくなる。
だから冬は、嫌いじゃない。
大切な何かに気付ける季節だから。
触れた温もりが確かに感じられるから。
知識の宝庫の大切な友人。
その、美しい世界を活き活きと語るその横顔を、キラはただ幸せそうに見続けた。