電飾に溢れた中心街の空気からぽつりと離れた郊外。
月だけが煌々と暗い夜に掛かり、星はひっそりと身を隠している。

そんな遅くなってしまった帰り道で、キラは空を見上げながら一つ息を付いた。
気温は少しだけ、寒い。今の地球ならきっと吐く息も白くなっている頃だろう。

…早く帰ろう…。

夜の空から視線を下ろしたその時、足元の石畳から続く道の先に教会があることに気付いた。
深く暗い色の中にぼんやりと浮かぶ白い壁。
普段は何を思うでもなく通り過ぎるその建物。

「………」

少しだけ入ってみようかと、心が騒いだ。


…きっと今日が、特別な夜だから。





万人に開かれている扉をカチャリと開けて中に入ると、そこには淡い光に包まれた空間があった。

橙色の柔らかな明かり。
ミサの名残なのか、訪れる人をいつも受け入れるという教えそのままに、燭台に灯った蝋燭が静かに揺れていた。仄かな温かい光が、教会という空間を一層静謐に見せている。


祭壇に近付いていけば、無人だと思った空間に人影がある。
最前列の長椅子に座る色。
祈りを捧げているのか思想に耽っているのか、一人動かず壇上に顔を向けていた。

足音と気配に、その人も顔を上げてこちらを振り返った。

「議長…」

驚いたのはお互いさまらしい。
顔を合わせて一瞬の間、それから相手は薄く笑った。

「珍しいところで会ったな」
「一人ですか?」

ああ、という頷きに、珍しいはこちらの台詞だと思った。護衛も付けずに何をしているんだと。
ギルバートはただ木造りの長椅子に足を組んで座り、いつも通りの落ち着いた佇まいのまま微笑んでいる。

「今夜はクライン嬢のお供をしてきたのかな」
「はい。ラクスはまだ相手先の自宅に残ってて…、議長も今日はパーティー巡りですか」
「ああ」
「それがどうしてここに一人でいるんですか?…送り迎えは」
「途中で下ろしてもらったんだよ。近くを偶然通りかかって…ここを見付けて少し寄り道してみたくなったから。…なに、歩いて戻れない距離じゃない」

こんな日でもまだ戻らなければならないとは大変な立場であるものだ。
ギルバートの視線がふと前に動き、キラはそれを辿って祭壇へと顔を向けた。

色の薄い卓上。閉じられた聖書。
優しい微笑みの聖母。
鎮まった空間の中、人の気配はとうにない。
長い間、この人はここにいたのだろうか。

彩飾が目映いステンドグラスの光が揺れた。
ここは美しく荘厳な空気に満ちている。


…―――けれど何処か寂しい。


平和と幸福を祈り、神に讃歌を送る場所。
しかし感じる気配は寂寥があった。
座るギルバートの姿を視界の隅に写し、相応しくないようでいて似合いそうな人だな、とぼんやり思った。

万人に開かれた場所でひとり、この人は何を思っていたのか。断罪か。贖罪か。光在れ、と謳われる空間で黒く佇む影。
見る人が見れば感じる背徳の雰囲気を漂わせ、その審判が下るのを待っている。それでも自身の行いを正すことはなく―――正しいも過ちも全て知ってなお、変わらないまま。
それが、デュランダル議長という人。

何を感じてこの場所に寄り道しようと思ったのかは分からないが。いつも人々の中心に存在している姿と、今こうして誰もいない特別な場所に一人佇む姿。…やはり重なるようで重ならない。

キラは溜め息を付いた。
その仕草に気付いて、ギルバートがこちらへ視線を寄越して来たのが分かった。
自分に言えるのはたった一言。


「こんな処にいたって貴方は何も変わらないですよ。……もう、帰りましょう」


大分冷えてきた。
ここには灯はあっても温もりはない。
促したこちらの横顔を、ギルバートは少しの間だけ見詰めていたようだったけれど。

静かなままの空間に、そうだな、という言葉だけが響いた。





教会の外に出た時、暗い筈の風景に何かが過った。視界にふわりと舞い降りるもの。

それは、白い……、


「…雪…?」


どうして…。この星にはある筈のない真っ白の羽根が降ってくる。細い息を吐き出しながら、キラはその先を辿った。

開いた掌に下りた真綿。
冷たさを感じることのない幻の雪。


「クリスマスプレゼントだよ」


キラの隣に並んで、ギルバートもまた空を見上げた。
深淵の黒い空。
しんしんと、音もなく舞い降りてくる幻の白。
この星の為に贈ったプレゼント。

人工惑星にも、地球と同じ季節が巡る。
賑やかな喧騒の中では、美しいイルミネーションにより一層の彩りを添える装飾品。
澄んだ夜空には、月と星を静かに輝かせる無彩色の調和品。
この夜には一番の贈り物となるだろう。


「さて、もう行こうか」
「…この後の予定は?」
「残念ながら、仕事でね」

世間の祝い事に乗れなくて残念だ、と笑う。
やっぱりそうなのかとキラは思って…何となく、もう一度空を仰いだ。

「………」
「君には帰りを待っている人達がいるんだろう?…早く帰った方がいい」

折角の夜なのだから。

「日付が変われば、この雪も終わる」
「…そうですね」
「時間を潰してしまって悪かったな。残り短い時間だが、良い夜を」

いつもと変わらない、穏やかな笑顔。
一見すれば、星の指導者にはまだ若いと見られるその姿。
じ…と。キラは不思議そうな顔をされても構うことなくギルバートを見詰めた。

ふっと背景の雪を見て、それから、…決めた。


「貴方に付き合いますよ。僕も」


何を呟いたか聞き取れなかったと顔に出したかのような。ギルバートはそんな珍しい表情でこちらを見た。そんな『大人』に、キラは笑いかけた。

「お返しです。お礼も込めて。…このプレゼント、きっと皆は喜んでるだろうから」

もっと、ここよりも光のある温かな部屋で、笑顔が溢れている窓辺があるだろう。その賑やかさに綺麗な白を添えてくれた。…悪くないプレゼントだ。キラが大切に想う人達も、きっと喜んでいるはず。


「だから、付き合います。今日が終わるまで」


貴方が家に帰るまで。

キラはそうして微笑い、


「帰りましょう」


告げて、教会から一歩を踏み出す。

すぐに背を向けてしまったから、相手がその時どんな表情をしていたのかは分からなかったけれど。
寒い筈の空気に柔らかな気配が満ちた気がしたから…きっと、悪くない、と思ってくれたのだろう。

大切な人達への贈り物に。
同じ価値くらいのお礼となれば、それでいい。


月は冷たく耀き。
空気は冴えて透き通る。

暗い夜道、互いの役目の終わりの時間、二人横に並んで歩く。


そんな、ただ埋もれていくだけの聖夜があってもいい、と。

キラは夜の街に静けさを降ろす純白の雪越しに、遠い夜空を見上げた。



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