これの更にあとの話



ぱしゃぱしゃと水を弾く音に、子供達のはしゃぎまわる声が木霊する。太陽の恩恵を一身に受けた金の髪を揺らして、少女は幼子達に混ざり駆け回っていた。

それを視界に入れながら、微笑むままにシンはその場をそっと離れた。…全身、びしょ濡れの姿をしながらも。





「はい、タオル。風邪引くよ」
「あ、すみません。暑いから勝手に乾くかと思ったんですけど」

頭に乗せられた白くふかふかなバスタオルをありがたく受け取って、わしゃわしゃと掻き回した。気温のせいか、さっきまで黒い髪から滴り落ちていた雫も乾き始めている。

「どうする?着替える?」
「いや、またどうせ引っ張りこまれそうなんで」

子供は容赦がない。更には数の力で引っ張られ、庭の噴水池に突き落とされたのはついさっきのことだった。


クライン邸の庭園。
子供達に混じって駆け回る、頭一つ分大きい頭は先頃ここで預かることになった少女だ。

最初は覇気のないような…人の多さに戸惑うような姿で辺りをきょろきょろしていた彼女も、無邪気で純粋な子供達の強引さに救われるように正の感情を取り戻しつつあった。


「子供にとってはどんな場所も遊び場になるからね。羨ましい」

噴水の水瓶は既に彼らで埋め尽くされ、陽気な声に散らされるまま辺りは水浸し。
シンもいつの間にか男の子達のオモチャにされ、さっきまでもみくちゃにされていたのだ。髪がぼっさりなのは水をかぶっただけじゃないだろう。

ステラはその間に他の女の子達に手を引かれ、近くで花輪作りを始めていた。気に入ったのかもくもくと作業をしているが、あまり上手く出来ないせいか時々顔をしかめている。


…多分、これが平和な象徴って奴なのだ。


シンは思う。
テラスの縁に腰をかけ、その景色を眺めやった。覆ったままのタオルの下から、その隙間から、後ろに両手を付いて空を見た。

…ああ……平和だ…。

笑い声が響く。
もう一度、その輪の中にいる柔らかな金色へ視線を落とした。

少女は今、眩しいもの、優しいものに囲まれて笑っている。手にするものは柔らかくて温かいものばかり。ずっとシンが願っていた風景だ。

「平和だね…」

落とされた言葉に顔を向けたら、隣に座るキラが膝に肘を置き、頬杖を付くまま目を細めていた。勿論、視線は子供達へ。

タオルの影の中…シンはゆっくりと口元を緩めた。
この人のそんな顔をすぐ隣で見られる…特別な場所にいる自分もまた幸せだった。
ステラを理由にしてしまうのは気が引けるけど、与えられた恩恵はありがたく教授しよう。他の誰でもなく、自分にはこの人の傍にいられる理由がある。


「なに…にやけてるの…?…シン」


不意討ちの少女の声に、大きく肩が揺れた。
タオルが頭からずり落ちる。

「ス、ステラ…、いつの間に…」
「いま来た」
「いや…うん…、…そう」

そうだよな、と呟いたシンに首を傾げつつも、ステラはそのまま前を通り過ぎ、キラの前に立った。

「ん?」
「あげる」

キラの頭にぽすっと乗った、白爪草の花冠。
それから。

「これも」

花が握られた右手を差し出した。

「また摘んできてくれたんだ。…ありがとう」
「うん」

それから、何かを期待するようにキラを見る。
応えるように、その人はステラの頭を撫でて微笑む。そうして少女ははにかむのだ。


…―――花をあげれば、キラが笑ってくれる。


そう刷り込まれたステラは、気が付くと花を差し出すようになった。

道端、花を見付けるとしゃがみ込む。
庭の片隅に小さな色を見付けると手を伸ばす。
果ては、植木鉢や花壇に咲いている花まで引っこ抜こうとしたからシンは慌てたものだ。
誰かが大切にしている花は取っちゃ駄目だよ、とキラが諭していたシーンがあったこともまだ記憶に新しい。

キラの笑顔は、ステラが大好きなものの一つになっていた。無償の愛情の証が、そこにある。


…―――花を差し出すステラと、それを微笑みながら受け取るキラ。


シンは、それが凄く尊いもののような気がしていた。柄にもなくそう思えてならなかった。
ありふれた光景なのに、一枚の絵のようなそれは。

その姿は、…風景は―――、


「…シンも欲しいの?」

ステラの声に我に帰る。不思議そうにこちらを見る二人に意味もなく慌てた。

「いやいや!別に、」
「ステラ、この花シンにあげてもいい?」
「うん」
「いいですって。…それはキラさんにあげるために摘んできた奴だろ」
「シンが欲しいならシンにもあげる」
「………、……じゃあ、ちょっとだけ…」

ステラが微かに笑ったのが分かった。嬉しい、ということなのだろう。花越しのキラも笑顔だったから、シンもほっこりしながら花を受け取った。…紫色の、花。

「その花はキラと同じなの。わたしの好きな色」

少しずつ感情の幅を広げ始めたステラに見えている、特別な何か。
シンとキラの二人に分けられた花は、細く小さな花びらを広げて揺れている。

「だから、キラもその花もすごく好き」

思った感情を浮かんだ単語に変えて、一見しては表情もあまり変えずただ淡々と紡がれるステラの言葉。

「…なんか…告白されてるみたいだなぁ」
「え」
「愛情表現がまっすぐなのは子供みたいなんだけど、言ってくれてるステラは可愛い女の子だから…なんか照れる」
「まさか本気にはしてないですよね?あくまでも家族愛ですよね!?」
「もしかしてシン、やきもち?」

からっと笑うキラにシンは叫びたかった。あんたの中の想像とは逆ですから、と。「違いますから!」と口に出すことが精一杯だったけど。
ステラだけが一人、首を傾げていた。



早く水に刺してあげないと、と持ってきたコップに花を生けながら、「これ、おもしろい花びらだね」とキラが言う。

「好きじゃない?」
「好きだよ。きれいな花びらだと思う」

不安そうに揺れた眼に笑い返して、キラはもう一度「ありがとう」と告げる。

「いい花を見付けてくれたよ」
「…これ、この前見た花にも似てるから」

どの花のことだ?と首を捻るシンの横で、キラが「もしかして」と空を指差した。

「花火のことを言ってる?」

こくりと頷くステラ。

「確かに見た目は似てる…んですかね?」
「なるほど。ステラにはそう見えたのか」

先日、揃って見上げた暗闇に、広く瞬いた花。
少女が好きな海に上がった、大輪の花。
その一瞬の閃光を、ステラは食い入るように眺めていたことを思い出す。

「夜の海もきれいだった。まっくろじゃなかったから」
「ステラは昼間の海の方が好きだもんな」
「?」
「まぁそっちの方が似合うけど」
「へぇ…」

にやにやした顔のキラに「さすがだね〜」と言われ嫌な予感がした。

「じゃあ次は真昼の海に行こうか。昼間にシンとステラがデートできるように」
「だから!」
「海?いけるの?」
「うん。シンが、連れてってくれるって」

にっこり強調した台詞にステラの目が輝いたのが分かったから、シンは何も言えなくなってしまう。

「絶対キラさんも一緒ですからね!ステラもその方がいいよな?」
「うん」
「ほら!」
「えー…お邪魔虫にならない?」
「もう決めました。言い出しっぺの責任はとって貰います」

こんな小さな水の器じゃなくて、もっと広いその場所へ。三人で行くことに意味があるのだ。

海で出会った少女は、そうして本当の美しさを知るのかもしれない。
その眼に見遥かす程の自由の色を映しながら。
優しい幸福の中で、踊ってくれるだろう。



庭園に張り出したテラスの先。
三人はステラを挟んで座り、冷たいジュースをすすって夏の午後を緩やかに消費する。

その並びは、ステラが二人の間にすとんと入り込んで来たから。当たり前になりつつあるそれは、夏色の景色に眩しく溶け込んでいる。


脇に置かれた透明なグラス。
カランと崩れた氷が軽やかに回り。
滲む水滴が流れ落ちて、陽射しに煌く。

小花に彩られた白詰の花冠の真ん中。

硝子越しの光が、テーブルにいけられた瓶の中の花に優しく降り注いでいた。

2013/08/30 00:33
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