アスランは、人混みが嫌いだ。
と、思う。
はっきりそう聞いたわけじゃないが、趣味がインドア派な親友は、人波に押されるような場所に行こうとすると途端、眉をしかめる。
今日も、出掛けたいという自分の希望を聞いたから隣を歩いてくれているだけだ。
一言も喋ることなく黙々と歩くアスランに若干の申し訳なさを感じながら、キラは目的地にした店へと向かって足を進める。
…ほんとは、特別欲しいものがあったわけじゃない。ただ一緒の時間が出来ればいいなと…それだけだった。
方法失敗したかなぁなんて思って歩いていた…その人混みの中で、不運は起きた。
前から来た人に小さく押されて足が止まってしまった僅かな間に、近くにいた親友の姿は人の波に飲まれてしまった。
「アスラ…」
平均的な身長しか持たない僕らは、目立つ目印すらないまま人の幕に覆い隠されて、気付いた時にはもう見慣れた背中は消えていた。
声すら雑踏に呑み込まれ、視界は人、人、人。
立ち止まれば不愉快そうな視線で睨まれ、彼らは横を通り抜けていく。この波の中では、その場に留まっていることは邪魔以外の何ものでもない。
道の真ん中では数秒立っていることも出来ず、肩を押されて脇道へと押し出された。
…どうしようかな…。
携帯に連絡を入れようかと溜め息を付いて、手の中に目を落とす。少しも探しもせずにそうすることは、迷子になりましたと告げているようで複雑だ。
少しだけ時間を置いてみようか…。
そう決めて、キラは近くの緑の植え込みの煉瓦段に腰を下ろした。
「………、……人ばっかりだね…」
癖のようにとりとめのない呟きが漏れる。今日はトリィもいない。答える相手はいないから、虚しい一人言だ。
「―――…」
ぼんやりと幕を貼ったような世界で、左、右へと視界を過るもの。
他人の横顔。誰一人知り合うこともなく、目の前を横切るだけの肩。足音。
今日も、幾千幾万の人の群れは流れていく。
寂しさと虚しさに埋もれてそれを見る。
はぐれたら、どちらに行けばいいのか分からなかった―――そんな子供の頃を思い出す。
あの頃みたいに泣きじゃくることはないけど、こんなに沢山人がいるのに自分はたった一人になってしまったように思えて、気持ちが遠ざかる。
ここに、いつか―――、
「キラ…!」
唐突な声に目を丸くしたら、人混みの群れから駆け寄ってきた影があった。
「アスラン、」
何してるんだ!と焦りを隠さず自分を見下ろす緑色。やがて疲労か安堵かの息を付き、
「見つかって良かった」
「………」
「はぐれたならすぐ携帯に…、…どうした?」
…ダメだな。
嬉しい気持ちを隠すことが出来そうにない。
「ごめん、何でもないよ。…ありがと、アスラン」
「…?…礼を言うなら、迷子になんかなるな」
ああやっぱり迷子扱いか。
思わず笑ってしまった。
「うん、ごめんね。気を付ける」
行こ?…と立ち上がり、人波に近付いた。
そのまま波に混ざろうとしたら、横を通り抜けざまアスランが手を取ったのが分かった。
緩く引っ張られ、先導されるように同じ歩幅が二人分動き出す。
苦手な人波の中で感じる手のひらの温もり。
言葉のない寂しさも、今なら苦痛じゃない。
ただ一つの、頼れる力強さ。
そっか…。人の群れの中なら、手を繋いでいても誰も気付かないんだ。
その小さな気付きと、離れていくことのない目の前の背中に、キラは小さく笑った。
照れ臭そうに、子供みたいに笑った。
アスランは、人混みが嫌い。
でも、繋いだ手のひらの先の横顔は、変わらずに優しかった。
2013/08/17 10:06