海は、懐かしい故郷の風を連れてきた。
白い波間から、身体を揺らす風が吹く。
赤い瞳は遠く、地平線を見つめ続けた。
「…俺は……また、」
誰もいない海岸に、掻き消えた言葉。
潮風に黒い髪が揺れ、目を眇めた。
望む黄昏の光には、まだまだ遠い時間。
立ち止まりそうになってしまうのは、終わりが見えない迷路に迷い込んでしまっているから。
欲しいのは夜明けではなく、鮮やかな天頂の大陽でもない。願うのは、幕を引く夜の気配。
…―――君なら、きっと大丈夫。
聞こえた声に、はっと後ろを振り返った。
……けれど何もない。
少しだけ優しくなった潮風と、柔らかく包むような波間の光だけがある。
「―――…」
シンは、緩やかに笑みをのせた。
そして波間に背を向け歩き出す。
風は冷たく寂しいもの。
けれど背中を押してくれるもの。
羽根を舞い上がらせる力になる。
遮るもののない波風に、躊躇を繰り返す一歩が力強く踏み出される。
風に吹かれて頼りなく羽根を揺らしていた蝶は、強く白い風に背中を押されて飛び立った。
2013/02/17 16:42