こっちだよ、とやって来た部屋を前にして。
…動力室…?
ここって、一般生徒が出入り出来ないよう入口がロックされてなかったっけ?
首を傾げるシンなど構いもせずに、キラは扉に手を掛けた。…あっさり、扉は開く。
その辺りの教室に入るような感覚で、躊躇せずにキラは中へと入って行った。
ハテナマークが頭に浮かびっぱなしだったが、つられるようにシンも後に続いた。
初めて見る室内は薄暗く、常時可動しているコンピューターの低いモーター音が満ちていた。それらを冷やす為の冷却装置の作用で、ひんやりとした空気が肌に触れてくる。
一番奥の突き当たりでキラは歩みを止めた。
足元にはノートパソコン。
いつからそうなっているのか、パソコンからは幾つかの配線が出て、目の前の開かれた配電盤に繋がっていた。
シンの目の前でキラはしゃがみこみ、パソコンのキーを軽く叩く。
「はい準備完了」
そして立ち上がり、配電盤の上部にある銀色のレバーを指差した。
「このスイッチね、学内の一部の主電源を落とすためのものなんだけど…」
ブレーカーの役目をしているそれは、二重三重のセキュリティがあり、一度落としただけなら予備電源が働く為、特に問題はないという。
…何でそんな話をするんだ?
シンは眉を寄せた。
そもそもそんな大事な主電源のスイッチに、どうしてこの人はこんなにあっさり触れることが出来ているのだろう。
キラは腕にノートパソコンを持ち上げ、何かを打ち込み、背後を振り返って件のレバーに手を掛けた。
「よし。………いくよ?」
…何が?
にっこりと笑って、キラはガコン!とレバーを引き下ろした。
バチンッ!
いっそ気持ちが良いほど潔い音を響かせて、室内の明かりが一斉に消えた。廊下から漏れていた照明も、ふっと暗くなる。
シンは目を見開いた。
だが、本当の驚きはそれからだった。
予備電源が作動したのか、数秒と経たずに辺りのコンピューターには光が灯りだし、再び低いモーター音が唸り始める。
そして、その再稼働のさなかだった。
ビ―――――!!!
突如鳴り響いた警告音。
まるで見えない刃で貫かれたように、大音量が頭を突き抜け、シンは限界まで目を瞠った。
言葉を失うとは正にそれ。
「な、」
「あははははは。これで次のテストのデータは全部ふっとんだね」
絶句したシンの目の前で、キラは眩しいほどの表情で笑っていた。
小悪魔を通り越して、最早悪魔の所業だ。
「なに、して、」
「予備電源の可動に合わせて、データ消去のプログラムを送ったんだ」
そういうのを、ウィルスって言うんだっけ?
軽く首を傾げただけで、悪びれた様子もない。
その行為にか、技術にか、罪悪感の無さにか。
何に突っ込んだら良いか分からず呆然となるシンに、キラはただイタズラが成功した子供のように笑う。
「試験日、これで少しは延びるかな」
「……っ…、…っ!」
「それまでに、勉強を教えてあげようか」
きらり、とその瞳が輝く。
それは、肉食獸…あるいは猛禽類が獲物を定めた時の閃きそのものだった。
「それ以外の楽しいことも、たっくさん教えてあげる。暇だなんて言ってられないぐらいの、とっても濃ーい毎日ってヤツ?」
警告音が鳴り止まない。
頭と耳に木霊するその音を、何処か遠くで聞きながら。シンは逸らすことも出来ない視線を、輝きの増した紫の瞳に向け続ける。
そして、その真っ直ぐな赤い眼を真正面で受け止めて。心底………本当に心から楽しそうに、その人は笑った。
「他じゃあ体験できない日常を君にあげるよ。…―――シン・アスカ君?」
その日。
その瞬間。
シンは、この先輩に捕らわれた自分の未来が見えた気がした。
それは、あらゆる意味を含めてのものだったことに気付くまで、そう時間はかからなかった。
「それからだ。俺の平和な毎日が崩れたのは」
そう溜め息を付いたシンに、ただ「そうか」と返したのはレイである。
最近は、愚痴のようなそれを語れる相手が出来て、シンとしては大変ありがたい。
キラとのこれまでを語り出したらキリがないと自覚してるだけに、同情も慰めも期待しちゃいない。静かに聞いてくれるだけで充分だと思っている。(優しい言葉など掛けてくれる相手ではないと分かってるし)
「キラさんにみつかった時点で、俺もう終わってたのかも」
「『見付かった』…?」
「あの人にはさぁ…多分なんかセンサーがあるんだよ。…いやマジで」
眉を寄せたレイに、シンは真面目な顔をした。
「…どんなセンサーだ」
「退屈キャッチセンサー」
正確には、つまらなさそうにしている人間を見付け出すセンサー。鋭い受信アンテナ。
「そういう、人生諦めましたーみたいな顔してる奴を見ると、どうも気に食わないらしくて」
自分だけではなく、周りの人間にも笑っていることを…ある意味では強要する唯我独尊ぶり。
それに巻き込まれた方は、最初は嫌そうな顔をして彼に付き合うのだけれど。…―――いつの間にか、本当の笑顔に変わるから。
きっと誰も、それを手離そうとは思わない。
そういえば校長も、そんなことを言っていた。
理事長も含め、キラに期待を寄せるような眼差しを、あちこちで見た気がする。
巻き込まれる側の人間にしてみたら、笑って静観ばかりもしてられないんだけど…。
「でも別に、不満はないんだろう?」
「…うん…まぁ…」
確かに、あの日から不思議とテストも嫌いじゃなくなった。…気がする。正しくは、テスト当日を迎えるまでの日数が憂鬱じゃなくなった。
「…なんだかんだと、勉強見て貰えたし…」
からかわれ、馬鹿にされながらも、あれからテストで赤点を取ることはなくなった。
…その時間が、色んな意味で貴重なものなのだと思うようになったのは、いつからだろうか。
そんなシンを見て、レイはぽつりと、
「なら、俺は必要ないみたいだな」
「いや!ちょっと!それはカンベンっ!」
「冗談だ」
「…お前も冗談とか言うんだな…。てか、言うようになったんだな…」
確実に『誰か』の影響を受けているレイの態度に、ある意味ではその人間の偉大さを思わずにはいられない。
しみじみ感心していたら、何処かから着信が入ったのか、レイは自分の携帯を開き電話越しに会話を始めた。
そして、ちらりとこちらを見た。
「分かりました。…シン、お前あてだ」
「は?」
思わず受け取り、携帯電話を耳に当てたら、
『ちょっとなに電源切ってんのさ』
「キラさん!?なんで!?」
『全然出ないからレイに電話を掛けたんだよ』
不機嫌そうな声が聞こえて、シンはあたふたと自分の携帯を取り出した。
ヤバ…充電切れてる…!
「すみませ…っ、電池ないの忘れてて…!」
『ふーん…?…まぁいいけど…とにかく、早く屋上来てよ。おなか減った』
「げ。また俺が買ってくんですか?」
『とーぜん。じゃあよろしく〜』
ぶつりと切れた電話に、シンは「ああもう!」と叫びながら立ち上がった。
レイに携帯を放り投げ、カバンを引っ付かんで飛び出そうとしたら、
「課題はいいのか?」
「あー悪い!また今度教えて!んなのやってる場合じゃなくなった!」
それだけを告げて、バタバタと教室から駆け出した。最早シンの頭の中は、キラ一色になる。
「…本当に、お前の学園生活はヤマト先輩中心だな」
そう呟いて笑っていたレイがいたなんて、俺は知らなかったんだけど。
あの日、人を杓子定規で測る無機質な紙は、風に飛んでいった。
一人の先輩が、くしゃりと丸めて捨てたのだ。
代わりに手に入れたのは、眩しい程の日常だった。その陽射しは賑やかすぎる光を纏いながら、シンの在り来たりな毎日を鮮やかに変えた。
その日は…―――そう。今日みたいに。
柔らかな陽射しの差し込む廊下を走り抜ける。
購買に立ち寄り買った菓子パンを両腕に抱え。
かけ上がった扉の先、屋上の太陽の下。
ぶつぶつ文句を言う先輩に噛み付きながら、騒がしい音を響かせる『いつも』の日常。
そう…―――――確かにその日も。
風が―――自由の香りがする白い風が吹き抜けて…とてもよく晴れた青空が、広がっていた。