手のひらの中の憂鬱な紙。
白いその紙には無機質な文字が並び、将来にどう役立つが分からない知識の問い掛けが、ひたすらに羅列されていた。
シンは、返却されたばかりのそれを陽の光に透かしながら、屋上に仰向けで寝そべっていた。
丸の数よりも線で跳ねられた数の方が圧倒的に多い回答用紙の価値は、右上の赤文字の数字を見れば一目瞭然だった。
「あー…また補習かよ…」
試験期間が終わる度、毎度のように埋められていく放課後の予定に、シンは面倒そうな深い息を付く。
「テストなんかなけりゃいいのに」
この時期は、決まって放課後は潰される。
…自業自得なんだけどさ…。
遊びに行く約束をしていた友人達は、シンのある意味常連の補習期間に、「またかー?」と笑いながら先に帰っていった。
「つまんね…」
ごろりと横向きになり、目を閉じた。
数日後。
今日も補習を終えてやって来た―――屋上。
指を引っ掛けた鉄柵が、カシャン、と揺れた。
眼下には、部活動に勤しむ生徒達。青春を体現しているような、生き生きとした景色だった。
もうすぐ再試だから、早く勉強をしなければならないと、分かってはいる。でもノらない。
家に帰っても気持ちは落ち込みそうで、その気にならなかった。ちょっと風に当たりたい気分だったのだ。辟易とした溜め息が出る。
「いちいちウルサイっての…」
テストの赤点結果より。放課後の補習より。
何よりシンを落ち込ませるのは、耳タコのようにいつも聞かされる大人達からの言葉。
そんな結果ばかりじゃ、将来も心配になるぞ?
…余計なお世話だっつーの…。
あんたらなんかに測って貰いたくないし。
いつもそんな言葉が喉まで出かかり、結局は飲み込んで終わっていた。
渦を巻くその台詞を口に出来ないまま、もやもやしたものばかりが腹に溜まっていく毎日。
「人生ってつまんねーなぁ…」
こんな紙ぺらの結果だけで、将来を決められ、選択肢が狭まってしまうなんて。
シンは屋上のコンクリートに寝転んだ。
薄いテスト用紙を空に翳せば、透かされた光が顔に落ちる。
小難しい文字の向こうに、白い太陽が見えた。
空は青いのに、何だか気分は晴れない。
友達は多いし、毎日はそこそこに楽しいけど、こんな些細なことで気持ちが曇り出す。
はぁ、と溜め息を付いた、その時だった。
…急に、視界が翳った。
「…―――そんなに、今がつまんないの?」
誰かの人の気配がして、シンは目を見張った。
答案用紙の向こうに人の姿。
慌てて腕を下ろせば、太陽を逆光に、誰かが自分を覗き込んでいた。
その口元が、淡く微笑んでいるのが見えた。
「こんにちは」
小さな挨拶にハッとして上半身を起こせば、その薄い紫の瞳と視線が交わった。
柔らかな笑顔が、シンに向けられる。
「君、最近放課後になると、いつもここにいるコだよね」
「…あんた誰だよ?」
「ああ、ごめん。僕はキラ」
警戒心を隠そうともしないシンにも、優しげな気配を消すことのないままソイツ…キラは微笑み掛けてきた。
「僕もよく屋上にいるんだけど…ああ、あの給水塔の上とかにね。そしたら、君が何かに悩んでるみたいな声が聞こえたから」
「!」
思わず声を掛けてしまったのだとキラは言う。
「〜〜〜っ」
何だよ見られてたのかよ…!
情けない格好も呟きも、もしかしたら全部…!
シンは羞恥とも怒りとも取れる気持ちになって顔を赤くした。偶然とはいえ、見知らぬ他人に知られた恥ずかしさで言葉も出なかった。
「………君、さ」
「…なんだよ…」
キラと名乗った少年は、少しの沈黙を挟み、
「毎日が、退屈なの?」
どちらかというと感情の篭らない静かな声で、ぽつりとこちらに問い掛けてきた。
「…は…?」
「つまらないって、呟いてたから」
「……いや、まぁ…そうだけど」
補習続きの毎日。大人達からの同情。楽しみにしてた予定を潰されることも多くて、確かに少しくさってたけど。別に毎日が退屈というわけでもない。
しかし、何故かそのキラという人間は、今までの空気とは不釣り合いな表情を…笑みを、唐突に浮かべた。
「毎日ヒマでヒマでしょうがないって?」
「いや、そこまでは言ってな」
「それはなんとかしたいよね?」
…人の話聞けよ。
だが妙にその笑顔には迫力があり、口を挟めなかった。なんだろう…その表情には何もかもを思い通りにしてきた絶対者のオーラがあった。
そして、にこりと無邪気に微笑み―――…、
「じゃあそんな君に楽しい日常をあげようか」
…―――風が、吹いた。
全てを拭い去るような…決して掴めぬ白い風。
「…――…―」
シンは一瞬、呼吸を忘れた。
大陽を映して光る淡い色の瞳と、自信に満ちた…強さを引き結んだ口元。
緩んだ白いシャツの襟が、その人の表情の前で風に揺れていた。
キラの唇が緩く弧を描く。瞳が細まる。
シンの鼓動が一つ、脈を打つ。
「君、言ってたよね。テストなんてこの世からなくなればいいのにって」
目を瞬いたシンに、その笑顔は小悪魔のように変化した。今までとは真逆の黒い笑みが滲む。
「さすがにこの世からは無理だけど、この学園からちょっとの間だけ消してあげる」
おいでよ、と軽く手を上げ、キラはさっさと屋上を出て行った。
付き合いきれないと無視すれば良かったのに、何故かシンはそれが出来ず、抗えない何かに背を押されるようにその後を追ってしまった。