「やあ。待っていたよ」

入室するなり、想像していたよりもずっと優しそうな風情の人物が、二人を迎えた。失礼無礼な入り方をしたことなど気にした様子もなく。

滑らかな木目の執務机で穏やかに笑う学園校長…―――ギルバート・デュランダル。
纏う空気は日向の柔らかさを持ちながらも、その眼は深く、鋭い光を称えている。

シンは、思わずぴしりと背筋を伸ばしてしまった。


普段見慣れない、棚だらけの部屋。きょろきょろと視線だけを動かしていたら、広い採光窓の正面に座るその人と目が合い、微笑まれてしまった。心臓が跳ね上がる。…てかデジャヴ…?

そんなシンの姿など気にする風もなく、キラは毛足の深い絨毯を踏んで、校長の執務机の前に歩み寄り、

「報告します。校則第九章第八項のルールに則り、自分、キラ・ヤマトがレイ・ザ・バレルの生徒会入りを推薦致します。生徒会長はこれを承認。書類関連は、後日提出される予定です。……では、これで」

「え」と瞬いたのはシンの方だった。
挨拶も前口上もなく、一方的な報告を終えて、キラは無表情のまま背を向けたのだ。

「キラさ、…え…?」
「帰るよ」
「せっかく来たのにそれだけとは、随分とつれないな」

ぴしり、と空気が固まった気がした。

「必要以上に貴方と話したくないんですが何か文句でも?」

身体を九十度だけ捻って告げた言葉…、その声は、絶対零度に冷えきり。シンが見詰めたその横顔からは、一切の感情が抜け落ちていた。

しかしそれを向けられた当人に、変化はない。
暖かい室内と同じ温度の穏やかな笑顔のまま。

「なかなか顔を見せてくれないから、今回君に会えるのを楽しみにしていたのにな」
「…冗談はその黒い腹の中だけにして下さい」
「相変わらずだ。名前だけはよく上がって来ていたがね」
「それはご苦労様です。どうせ無駄なので放っておいて下さい。貴方の手を煩わせるつもりはありません」


……おれ……ちょうばちがいじゃん…。


ザワザワとした黒い霧が渦を巻いているような気がする…。シンは早く逃げ出したかった。
不機嫌モードになるキラは何度も見ているが、これはなんというか…。

シンは顔を上げるのすら憚られて、ただ立ち竦むしかなかった。い…胃がイタイ…。
キラの態度はあまりに素っ気なく、また、ギスギス軋んでいるようだった。…主にキラさんの一方的な不機嫌オーラが発信源だけど。

なんで俺ここにいんの…、と意識が飛びかけていたら、校長その人と再び目が合った。

「君は…シン・アスカ君だね?」
「は、はいっ!」
「噂は色々と聞いているよ。大変な先輩を持ってしまったとか」
「いえ…っ、別にそんなことは…」

うわぁ頭がぐるぐるする…っ。どんな噂だよ?
目の前の校長の言葉にも、横からバシバシと突き刺さる無言の氷点下の視線にも、シンはいっぱいいっぱいになって倒れそうだった。

「共通の知り合いがいるよしみだ。新しく生徒会役員になった彼とも、末長く仲良くしてあげてくれ」
「…?…はい…もちろんです…」

首を傾げそうになりつつも、シンは頷いておいた。なんか…微妙に引っ掛かるような気が…?

そんなシンの姿など気にもせず、ギルバートの視線はキラへと動いていた。

「君のおかげで、レイも自分の力を発揮できる場所に漸く辿り着けたな。そこで人付き合いも学べるだろう。感謝しているよ」
「別に。僕は一生徒としての義務を果たしただけです」

貴方に感謝される謂れはない、とキラは冷ややかな無表情を送る。慣れたものだと、ギルバートの機嫌の良さそうな態度も崩れない。

「君が見出だしたのなら、本物だろう?」
「ただの勘です」
「経験に基づいた勘、かな。君の見る眼は確かだった、ということだ」
「………」

なんなんだよこの二人はもう!
シンは内心、ひー!と叫びたい心境である。
実際、キラの背中にすすす…と隠れ、冷や汗ダラダラ、黒い空気にアてられないよう必死に俯いていた。

二人にとって、シンは最早、空気である。

「どうやらあの子は覚えていないみたいだな」
「どうでもいいです。そんなの関係ないし」
「…そうだな。この学園での思い出が全てだ」

ふ…と、僅かに空気が弛緩した気がした。

ギルバートの声に優しい色が交ざったような。
キラの冷たい背中が、ふっと緩んだような。
少しだけ呼吸が楽になった気がするのは、シンの気のせいだろうか。

「君が巻き起こす騒動事に触れ続けていれば、その多くが些末な問題に過ぎないのだと、いずれ彼も分かってくるだろう。悩むなんて馬鹿らしいことなのだとな」
「…嫌味ですか」
「いや?…君はこれからも、どうか変わらずに自由でいてくれ」

楽しみにしているよ。
この学園の未来の為にも。

明るい昼間の大陽を背に、その人は深い笑みを静かに宿した。





長い長い体感時間を過ごして校長室から出てきたシンは一人、廊下の窓枠に腕を載せ、大きな大きな溜め息を付いた。思わず突っ伏す。

ホント、寿命が縮むかと思った…。

過去、散々キラによって振り回されて来たが、歴代トップに入るぐらいの精神的疲労と消費を経験した。


キラは退出と同時に何処かに行ってしまった。
去り際、「ごめん。ありがと」とだけ呟いて。

滅多にない心からの礼の言葉に戸惑いつつも、その短い一言で報われたような気になるのだから、自分も随分と単純なものである。

新鮮な空気を思いきり吸い込み、何度か深呼吸をし、よし、と伸び上がりながら通常運転に切り替えた。


…途中、窓の向こうに見えた生徒会室。


「………」

ぼんやりと思う。

どんなに問題を起こしても、例え学園に損害を出したとしても、キラがここを叩き出されない理由。それは、理事長が身内だからだとシンは思っていた。

…でも、それ以外にも理由があるとしたら。

きっとあの校長が黙認し、学園を盛り上げてくれる破天荒な子供に期待しているからなんじゃないだろうか。
…てか、あの人も絶対面白がってる…よな?



後日。

その辺りの疑問と共に、何故あんなにもキラが校長を嫌うのか不思議に思い、アスランとイザークに尋ねてみたら。

返って来たのは、異口同音。

『…―――――あれは、同族嫌悪だ』



最後にギルバートが呟いた言葉の意味が、シンにも多少だが、分かった気がした。

『これからも、この学園に明るさを提供してくれることを、私も楽しみにしているよ』

そう言って、誰かにも似た微笑みを貼り付け、


『退屈な日々など、つまらないだろう?』


その瞳に光を称えた、黒い背中の一人の大人。

この学園で何が起こっても、変わらず不動のまま。あの暖かな空気に満たされた部屋の中で、穏やかに笑っていることだろう。
黙したまま、窓からこの学園を見渡しながら。





この学園の全てを遊び場にしているキラ・ヤマトが、唯一にして絶対に近付きたくない場所。

それが―――――校長室である。



2013/01/18 01:00

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