▼ 195度
突然訪れた家族の死を受け入れられる人は
果たしてどれだけいるのだろう。
まだ二人とも若いのに−−
下の子は来年中学校だったんでしょう?−−
これからどうするのかしら−−
「このタビは、ゴシューショーサマでした」
別に親しくもなんともないただの学級委員長で、学校の体面を守るためにやってきたクラスメイトは相も変わらずトサカのような髪型で深々と頭を下げた。涙を堪えて去っていくその姿に頭の端で疑問が残った。
「もう学校来ていいのか?」
話しかけられたのは人気もない屋上だった。秋の風は思ったより冷たい。衣替えが済んだばかりの冬服はどこか湿った空気を孕んでいて、油断したら風邪を引きそうだなと思った。
「……あんま休めないし」
視線は空を見上げたまま答える。
「……そ、っか」
彼が歩み寄ってくる。視界の青が長身のせいで邪魔される。
「なぁ」
「なに?」
「授業でねーの?」
「そういう黒尾君こそ。学級委員長がこんなところでサボってていいの?」
そう訊けば困ったように頭を掻きながら「……じっとしてんの、苦手なんだ」と返ってきて、そういえば彼は率先して祭りごとに参加するタイプだったなと思った。
「ここ、いいか?」
私は初めて彼に視線をやる。彼の表情はなんともいえない顔をしていた。
一度だけ頷く。彼は私と同じように寝そべり、そこから二人で空を眺めた。
それから時々、彼と空を眺めるようになった。私は登校してから下校するまでの大半をここで過ごし、彼は彼のタイミングでここに来て、二人一緒に寝そべり空を眺める。ここだけは私の行動を諫める人も、邪魔をする人もいなかった。天気は私達に関係なく変わり、季節は私達に関係なく進んでいく。時間だけが傷を埋めてくれる。そんな気がどことなくしていた。
「なぁ」
こうして彼と過ごすようになってから一月が経とうとしていた。
「これから、どうするんだ?」
彼の言葉に喉が締めつけられる思いがした。
「ずっと、このままって訳にはいかないだろ」
やめて。
「このままを繰り返したって嫌でもお前は卒業する日がやってきて、ここで過ごした分だけ社会で息苦しい思いをしないといけなくなる」
やめてよ。
「このままじゃいられないんだ」
「やめてッ!」
たった一言叫んだだけなのに息が出来なかった。
「どうして……どうしてそんなこというの……?」
「……」
「どうして………ちがうって、おもってたのにッ」
「……ちがう。俺も昔、家族を失った」
「っ」
それから彼はポツリポツリと昔話を始めた。
幼い頃、自分以外の家族を失ったこと。子宝に恵まれなかった親戚が今の家族であること。何不自由なく暮らせていること。感謝してはいても、幼い自分には常に劣等感があったこと。本当の家族に会いたいと隠れて泣いたこと。それを認めたくないが故に「覚えていない」と嘘をついたこと。
「だから放っておけないんだ。……ごめんな」
そう言って私の髪を撫でる手は体格の良すぎる彼からは想像もつかないくらい優しい手つきで、私は止まりかけの涙を止めることが出来ずに夕焼けを迎えた。
二人して手を繋いで歩く夜道。
下校時間になり学校の敷地を出るも、家に帰る気になれなくて二人して当てもなく歩く。会話しない代わりに放っておけないと言われた言葉が、繋がれた右手から確かに感じられた。
「一緒に暮さないか」
前置きもなく告げられた言葉。
「このままじゃダメだって自分でも分かってんだろ?」
責めるようにではなく、諭すように。
「卒業まであと半年。それまではいろいろ難しいかもしんねーけど」
澄んだ空に響く低音はどこまでも優しい。
「大学入ったら家出て一人暮らし始めんだ。だから」
俺と一緒に暮さないか?
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太陽黄経195度【寒露】露が冷気によって凍りそうになる頃。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀などが鳴き止む頃。(Wikipedia参照)