Prelude. 彼がテニスをやめた未来より
差し込む夕日で染まる部屋の中。ベッドに横になり、ぼんやりと薄暗い天井を眺める。
思うよう動かない利き腕。これからのことなんて今は考えたくもない。
けれど、もう以前のようなテニスはできないだろうと、考えたくもない考えが頭を巡り続ける。
外から鳥の囀ずりだけが聴こえる。遮るように、ノックもなく扉が開いた。
「……いた。仁王雅治」
「見ればわかるし。まず中を覗いてから開けてくれ。違う人だったらどうするんだ」
声のする方へ目だけ向けた。
扉に手をかけたままの女と女をたしなめる男。
モカブラウンの長い髪が揺れる。
ただでさえそこらの女子より背が高いだろうに、高いヒールのブーツを鳴らしながら女はこちらへ近づいてくる。
女はベッドの脇まできて、俺を見下すように黙って突っ立っとる。
男は黒髪を一括りにしとる頭に手をやって、溜め息吐きつつ扉を閉めて後に続く。
「ねぇ、テニスやめるの」
余りに唐突な問い。
呆気に取られる俺。俺を黙って見下す女。男は女の背を小突いた。
女の声は堅い。問いでなく、まるで断定しているように聞こえた。
何故問いとして受け取ったのかは、恐らく女の瞳が揺れているせいだ。
威圧感を与えていながら、今にも泣き出しそうじゃ。
変な女じゃ。ただそれだけ。
今の俺には、この二人を追い出そうという気が起こらない、実行するだけの気力もない。
問いに答えない俺に女は何か言おうとする様子は伺えるものの、唇が微かに動くだけ。
「姉ちゃん」
男はまた女の背を小突く。女は何の反応もしない。
「言いたいことは山ほどあるだろうけど、一番言いたいことはなんだよ」
女が眉を寄せた。ああ、こりゃ泣くな。
女の唇は震える。言葉にならないまま、沈黙ばかりが過ぎた。
天井を見上げてた時と同じく、俺はぼんやりとその様を眺めていた。
「テニス、やめるなよ」
涙は出てこなかったものの、出てきたのは蚊の鳴くような声。扉を開けた時の第一声とは比較にならないほど小さい。
もしかすると違う言葉だったかもしれん。しかし俺の頭はそう捉えた。
女は目を背け、踵を返す。
きらいだ、と、声もなく唇が動いたように見えた。
テニスをやめたら嫌いになるのか。嫌いだからリハビリして苦しめというのか。
問い返す間もなく、女は駆け出し、男は避ける。
男の背で、扉がけたたましく閉められる音がした。
何なんじゃ、あの女。
「俺は嫌われちょるんか」
「いやそれはないな」
即答で否定された。
じゃあホントに何なんじゃ、あの女。
というかこの男は何故ここに残っている。出ていかないのか。
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