男子トイレには化粧台が無い。




<直紀視点>



時を遡って、とある男子トイレにて。


「よし、あとちょっとで完成ナリ」


メイクを始めてから約一時間。
やっと終わりだと思うと、自然と肩の力が抜ける。

最後にマサキくんが、真守さんの化粧ポーチから何かを取り出して見せた。


「仕上げにグロスは」

「つけませんっ!!」


真守さんのグロスはキャップが筆になってるタイプだ。


「お前さん顔真っ赤じゃ」


「わかりやすいのぉ」と笑うマサキ君。全く質が悪い。


「それをつけたら、唇が女性らしくなってしまうでしょうが」

「誤魔化そうとしても無駄じゃ。たかが間接キスじゃ」

「されど間接キスじゃ。って、あ゛あ゛ぁ……っ!!」


口調が移ってしまった。


「(ニャニ)」


頭抱える私がそんなに面白いか!!

……頭を冷やすんだ柳生直紀。
真守さんに対する恋情が彼にバレているのは今更だ。そしてそれをネタに弄ばれるのも今更だ。

落ち着こうと、とりあえず深呼吸。

未だにニヤついている、彼のつり上がった左頬を素早くつねる。


「ひひゃひゃひゃ、おみゃえひゃん、ひんひりゃひかりゃにゅおこにゃいじゃじょ(いたたた、お前さん、紳士らしからぬ行いじゃぞ)」

「紳士でなくて結構」


父がエセ紳士なのはよくわかっています。私だって紳士ではありません。

不意に入口のドアが開く。

ここは公共の場だ。
本来いつ誰が来てもおかしくない。

私たちは反射的に入口を見やる。

入口を見つめ、マサキ君の頬をつねったまま、固まる私たち。


「……何しとるんじゃ、お前さんら」


入って来たのは仁王雅治さん。

彼が真守さんでないことはわかっている。
しかし真守さんは父親似で、雅治さんを前にすると彼女の顔が脳裏にちらつく。

その上、今までの会話から、私は羞恥でどんどん顔に熱が籠る。

私はマサキ君を置いて男子トイレを飛び出した。



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