「自己嫌悪こそしても、アンタを嫌いになんてならない」
「なんじゃそれは。なんでそう言い切れる」
男は目を細めてベッドの縁に腰掛ける。スプリングで少し弾んだ。
こちらを見ず俯く男。横になっている俺からは顔が見えなくなる。
「嫌いになんて、なれんよ」
先ほどまで標準語で話していた男は、馴染み深い独特の訛りで喋りだした。
「腕壊してテニスから逃げようと、リハビリに立ち向かおうと、どちらにせよ俺たちは嫌いになんてならん」
男は顔を上げ、さっき女が出ていった扉に目をやる。
「姉ちゃんも、本当はテニスを続けたかった。けど、やめた。本人は選んだと言うちょるけど、心のどこかでは『アイツだって逃げたんだ』と思うちょると俺は思う」
『アイツ』は自分のことだと、訳もなくそう思えた。
「姉ちゃんはプライドの高い人じゃけん、他人を言い訳にする自分が悔しい。もしアイツが逃げていなければ、アイツが言い訳になることはなかったはずじゃ」
そこまで言って、男はこちらを向く。
僅かばかりの沈黙。ただ真っ直ぐ俺を見ていた。
「じゃけん、せめて、できることなら、アンタの続ける姿が見たかったんじゃろうな」
見たかったのは、お前さんだってそうじゃろうに。
男が俺に向ける瞳は、切望しとるヤツのそれじゃ。
愛の告白の返答を待っとる時の、名も覚えとらん女たちのそれによく似とる。
似とる、だけ。
一人だけ、男と同じ瞳をしとる女がいた。
願いこそしてはいるだろう。しかし返事を求めない瞳。
「お前さん、名前は?」
「……まさき、と呼ばれてる」
標準語に戻った。
しかし「呼ばれてる」とは、引っかかる物言いじゃ。
「呼ばれてる、じゃのうて、実際の名前」
先ほどより長い沈黙。いや、そう感じただけかもしれん。
目の前の男は目尻を下げ、眉を寄せ、困ったように、どこか悲しげに、けれど嬉しそうに、笑った。
「まさあき。……仁王雅明」
男は腕時計を見て立ち上がり「もう、時間のようだ」と言って、消えた。
一人残った部屋の中。
今目の前で起こった、現実には起こりえないはずの現象を「ああ、いなくなってしまった」と、我ながら違和感もなく受け入れてしまった。
におうまさあき。仁王とは自分と同じ名字。雅の字もきっと同じじゃろう。
そこまで考えて、ようやく気づく。
誰かに似てると思ったら、まさあき、アイツに似とったんか。
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