「貴女はほんとうに不器用ですね」

と、出会った頃の彼は言った。好意も悪意も含まない、冷蔵庫で固めたゼリーの表面のように平坦な響きだったと思い出す。寂しさを埋めてくれる人も、分かち合ってくれる人も欲しくはなかった。わたしが望んでいたのは、ただ幸福とか享楽だとか、そういった胸の内に込み上げる正の感情を隣で肯定してくれる人だった。共感も同調も要らない。わたしの世界は、わたしで始まりわたしで終わる。わたしの中で起こる事象に、気安く干渉してほしくなかった。だから、彼を選んだと云うのに。

「テツヤくん。わたしが何を考えてるか当ててみて」
「さぁ。お腹が空いたとかですか」
「はずれ。もう一回」
「今夜は冷えますね」
「ぶっぶー。次がラストチャンスだよ」

わたしがクッションを抱え込んで謎掛けしている間も、彼の視線は動かない。ビー玉みたいな虚ろな瞳が古びた本の上を左から右に滑る。わたしは彼が持つ本のタイトルすら読めない。それでも本棚もベッドも埋め尽くす独特の匂いは、少しだけ知的な気分にさせてくれる。国語の教科書以外で、ろくに文章など読んだことがないというのにおかしな話だ。彼は頭に入れた知識を決して覗かせてくれたりはしない。彼を分かりたいのなら、わたしが行動を起こすしかないのだ。それでもいつまで経っても、部屋の彼方此方に版違いで三冊も存在する彼のお気に入りの本の名前すら、わたしは知らない。浴槽にお湯が溜まったことを教えてくれる電子音を合図に、わたしは重たい腰を上げた。どうせテツヤくんは梃子でも動かないし、蛇口の栓を捻るなんてひどく人間的な営みに巻き込みたくはなかった。暫く座り込んでいたせいで痺れた足をぶらぶら揺らしながら、テツヤくんに背を向ける。わたしが振り返った瞬間を気配だけで読み取って、彼の素っ気ない声が背中に届いた。

「どうせ、ボクのことが好きだとか考えていたんでしょう」

反論することも、首肯することも叶わない。テツヤくんの顔が見えなくてよかった。こんな言葉を吐きながら何の感情も浮かべない彼を視界に入れたら、溢れ出してしまうだろう。沈黙が呼吸を塗り潰す部屋からバスルームに逃げ込んで、大きく息を吐く。洗濯機の横の籠から乱暴に小さな塊を取り出して、ぎゅっと握り締めた。何もかも見透かされているのに、素直になれないわたしは、やっぱり不器用なのだろうか。彼の瞳によく似た潮の香りを、四角く切り取った無味無臭の海に、そっと溶かし込んだ。

pour toi




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