進化。人類は常に進化する動物だ。誕生以来、増殖し、発達し、いくつもの発明を生み、無限の文化を形成し、止まることを知らずに新しいものを創造し続けてきた。だがここで、あたしはその常識とも言える文言に一石を投じたい。これは果たして、進化と言えるだろうか。布で恥部を隠すという発想、いや、羞恥心というものを生まれたときから植え付けられた我々は、進化しているのか。

「オイ、人の下着ガン見して何やってんだ」
「………」
「早く寄越せ、轢くぞ」
「………」
「…なんか好い匂いでもすんのか?」
「別に。ふつーのダウニーの匂い」
「じゃあ何してんだよ」
「パンツについて本気出して考えてた」
「あーそうかいそうかい。いいから渡せ」
「むぅ。はーい」

バスタオルを腰に巻き付けて、豪快に牛乳を一気飲みする清志の方に派手な柄のトランクスを投げると、持ち前の器用さで易々とキャッチした。まだ成長する気かよ、と呆れ気味に睨んでしまったのは致し方ない。191もあるくせに、未だに成長期を信じてるんだとしたら笑える。トランクスを穿いてからタオルを洗濯機に投げ入れて、どかりとあたしの横に座る清志はやはり大きい。立っていないのに威圧感があるのが無性に腹立たしく、ごつんと勢いよく肩にぶつかってみると苛立ち交じりの舌打ちを返された。

「いてぇ」
「痛くしたもん」
「あっそ、アイスかなんかねぇーの?」
「ガリガリくんなら冷蔵庫にあるよ」
「食っていい?」
「いいけど、さっきご飯食べたばっかじゃん」
「暑ぃんだよ。クーラーの温度下げろ」
「一人暮らしの家計を圧迫させないでよ。電気代値上がりしたんだから」
「へーへー」

清志はリモコンを手にしたけれど、温度変更の確認音が鳴ることはなかった。その代わり、横顔は少しふてくされているようにも見えた。あたしがこういう風に、ちょっと大人ぶったことを言うと清志は嫌な顔をする。自分より先に社会に出たつもりでいるのが、気に食わないんだと思う。清志は実家暮らしで、校則の厳しい真面目な高校に通っているのに、あたしは一足先に家を出て、ゆるゆるだけど就職には強い学校に通いつつ一人暮らしをしている。中学までは当たり前に一緒だった。卒業後に別れたあたしたちの未来のせいで、3年目を迎えた今でも、折り合いはついていない。

「髪まだ濡れてるし」
「あー乾かしてねぇ」
「風邪引くよ、スポーツマン。ドライヤー取ってくる」
「いいから、いろよ」

立ち上がろうとした腕を掴まれて、大人しくすとんと元の位置に収まる。清志のボールを掴むための大きな手があたしの身体を引き寄せて、立てた両脚の間に押し込まれた。耳元で聞こえる息遣いにそっと神経を集中させるけれど、特に変化のないそれはあたしの眠気を誘う。点けっぱなしのテレビからはくだらないバラエティー番組が流れていた。「きよしー」返事はない。これは、進化なのか。

「…パンツの趣味変わったね」
「ハァ?んだよ急に」
「昔はそんな派手な柄、選ばなかった」
「そんな派手かこれ」
「派手だよ。前は黒とかグレーで、ドクロとか迷彩だったのに」
「そーだったか」
「そんな、蛍光色なんて、穿いてなかったよ」
「つーかこれお前がくれたやつだけど」
「え」

振り返って、視線を下にやると確かにそれは2年前に友達と夢の国に行ったときにふざけて買った、某キャラクターを象ったものだった。さっきはぼんやりと眺めていたから気付かなかった。二年前の下着を未だに着用してることについては何も触れまい。あたしだって、壊れたりサイズが大きく変わらない限りは使い続けている。そんな昔を振り返りながら清志の下半身を見つめていると、おかしなことにむらむらした気分になってきたので、慌てて顔を戻した。女の子にだって性欲があって然るべきだと思うけれど、あたしからは誘わない。練習で疲れてる清志を尊敬し、尊重しているからだ。いくら名門とはいえあまりにもハードなスケジュールに一度疑問を抱いとき、清志は自主的に練習を増やしていると言った。何でもない表情で、こんなこと当たり前だと言いたげに。恥ずかしながら胸を張って言えるほどがんばった経験のないあたしは、見事に痺れてしまったのだ。清志の整った顔がすき。たくましすぎる二の腕は少しきらいだけど、大きな手は心地いい。そして何より、その高潔な精神がすき。だからあたしは、一切のプライドを投げ出していつも清志の前に平伏している。彼が求めてきたらどんな事情があろうとも全力で応じるし、あたしからの要求は可愛い我侭程度に済ますのだ。これもまた、当たり前。

「あ、次の番組あのこも出るみたいだね」

いつの間にかバラエティーは終わり、次の音楽番組のCМに切り替わっていた。カメラに抜かれる大勢の女の子から、自然に清志の推しメンを目は追ってしまう。揺れるポニーテールに溌剌としたかわいい笑顔、あたしとは全く方向性の違う女の子。アイドルに嫉妬なんてばかみたいだから絶対にしないけれど、それでもこれが清志のタイプなのかと考えるのは彼女として当然のことだろう。多種多様な女の子の中から、何の躊躇いもなしに自分好みを選び、宣言できるこのシステムは、実に男性の嗜好を如実に反映する。あたしはどちらかと言えばダウナー系だし、染色で痛み気味な髪は長くないし、重なる部分なんてひとつもない。それがわかってるからか、清志はあたしと居るときに彼女の話をするのに消極的になる。部屋に飾ってあるらしいうちわも、あたしは一度も目にしたことがない。それなのに何故知っているかと言えば、清志以外の周囲の人がわざわざ教えてくれるからだ。息子の彼女のための小さな努力さえも水泡に帰す、母親と同期の姦しさにいい加減気付くべきだ。

「チャンネル変えるぞ」
「見なくていいの?」
「いーんだよ別に」
「録画してるもんね」
「そーだけど、そういうことじゃねぇし」
「わかってるよ」

「お前といるときは興味ない」そう一言、言葉にしてくれたら天にも昇る心地なのに。でも、これを口に出さないからこそ、清志が清志たるような気もする。こんなことで機嫌を損ねるはずもないのに、頑なにあたしから引き離そうとする清志の努力は天晴だ。あたしもそれに免じて、彼の努力を受け入れる。アイドルだろうが、クラスの女の子だろうが、今更何の障害になろう。清志があたしの選んだパンツを穿いている、この事実以上にあたしの独占欲を満たしてくれることなどないだろうに。それを理解できたのは、やっぱり高校が離れたおかげだと言える。二人の思い出が風化していっても、関係は続く。

「おもしれーテレビないな。もう寝るか」
「うん、ちゃんと服着て」
「…おー」
「着たら髪も乾かしてきてね」
「…おー」

気のない返事をして、あたしが用意しておいたTシャツとスウェットを身に着ける。家に来た時間から予想して、今日はかなりきつめの練習をしてきたはずだ。親の手前、清志があたしの家に泊まるのは週一回がいいところだけど、こんな日に急いて事を致さなくてもいい。学業と部活を両立する清志のがんばりは、あたしが一番よくわかっている。ダブルとまではいかないけれど、大きめなベッドに先に潜り込み、すぐにやって来るだろう清志の到着を待つ。同じ美容院で染めて、シャンプーも共有しているのに、あたしの髪は清志ほど乾きやすくも質が良くもない。いったい何が違うというのか。一束掬い取って、じっくりと吟味してみる。

「なーにやってんだ」
「なんでもない。お腹冷やさないようにこれでも掛けてよ」
「おう」

渡したタオルケットを手なりに置き、清志はあたしの隣に横になった。その際にせっかく穿いたスウェットをずらしたので、目にも鮮やかなライトグリーンのパンツが顔を覗かせる。あたしがそちらに視線を遣ったことに気付いたのか、バターを溶かしたような瞳はやんわりと弧を描いた。ああ、もう。とろけちゃいそう。片肘をついて、余った方の大きな手であたしの頭を押さえつける。思わず目を瞑ると、瞼の裏の残像がちかちかと光った。目を開けても今度はきらきらと輝く金髪が近付いてきて、幾度か唇を奪われる。触れるだけのそれでも、待ち望んでいたあたしにはご褒美そのもので、何も考えたくなくなるくらいの快感に襲われた。しかし、次の瞬間には意識を取り戻し、降り注ぐ流星群の合間を縫って、あたしは首を横に振る。

「いいよ、」

疲れてるなら、甘えていいんだよ。あたしの気持ちなんて、わざわざ汲み取ってくれなくていい。もう6年も一緒にいるのだから。今日ぐらい、ぐっすり寝ちゃってもいいんじゃないかなあ。消灯しながら放ったやる気も愛情も感じられない言葉に、清志は「だからお前って好き」とひそかに呟いた。こんな些細なことで泣きそうになるのは、あたしも清志も、既に進化してしまった証なのだ。


地球のあくび

the Battle Under Clothes提出




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