「しょおちゃ〜ん」


この世界の他の誰とも違う、甘ったれた声の持ち主は、もはや人の名前とも判別出来ないくらいにぐちゃぐちゃになった呼び掛けを発した。夕飯の買い出しに急ぎ足になっていた足を止めて、渋々彼女が立っているであろう後ろを向く。振り返ってあげるのは、義理であって愛情ではない、はずだ。


「なんだよ…」
「ん〜そんなに急いでどこ行くのかなぁ、って」


にぱ、と音がつきそうな程満面の笑みを浮かべながら、たぶん幼馴染みと呼ぶべきだろう彼女は首を可愛らしく傾けた。もちろん可愛らしく、というのはあくまで仕草の話であって、僕がそれに心揺らいだかと言えば全く別の話だ。僕にそんな機能が備わっているはずも、その資格もない。彼女をちらりと窺う。僕たちと同い年で、同じように成長して、それでもはっきりと浮かび上がる性差。たとえば白くか細い首だったり、顎に添えられた小さな手だったり、どうやって体を支えているのか人体構造の不思議を思い知る棒のような脚だったり。僕たち兄弟と彼女は違う。もちろん、陽毬と彼女も然り。


「よし、当ててみせましょう!しょおちゃんは今から…」
「うん、今から?」
「今から…うーむ…」


彼女は視線を忙しなく動かして、頭のてっぺんから足の爪先まで3周した結果、ようやく僕が右手に提げた鞄に気付いた。何度か思ったことがあるが、この幼馴染みは少々抜けている。こんな感じで本当に高校生としてやっていけているのか、心配性気味な自分じゃなくても考えてしまうだろう。


「お夕飯のお買い物!わたしもついていっていい?」
「ああ、うん、いいよ」
「わぁい!久しぶりにしょおちゃんとお出掛けだね」


嬉しそうに僕の隣に並ぶ彼女に微笑ましい気持ちになりながら、ふと小さな疑問が生まれる。一体いつから、彼女とこんなにも会わなくなったのだろう。昔は四人で出掛けたり、家族でご飯を食べたりしていたような気がする。彼女に大きな変化がないから気付きにくいけれど、前回会ったのもずっと前じゃなかったか。何とも言い様のない寂しさに似た感情が沸き上がってきて、意識がはっきりしたときには既に、僕は「今日うちでご飯食べていきなよ」と口走っていた。彼女は元からくりくりした瞳を更に真ん丸にして、その目をゆっくり細めた後、小さく首を横に振った。


「あ、ごめん。もう高校生だし…他に約束くらい「ちがうよ」


いやにはっきりとした否定に驚いて彼女を再び見つめ直すと、ぼんやりと何処か遠くを見つめる横顔に行き当たった。確かに隣にいるはずなのに、手が届かないほど遥か彼方で呼吸しているような、そんな。しょおちゃんが、最後の糸なの。蚊の鳴くような声で、そう言った気がした。


「わたしは、輪から外れちゃったの。だから、あの家にはもう行けない」
「それって、どういう…」
「ふふふ、なーいしょ。でも、スーパーには一緒に行けるもん。ほら、行こ?」


差し出された小さな掌を夢中で掴んだ。次に会えるのは、もっとずっと先の未来、あるいはもう会えないのかもしれない、ということを本能的に悟りながらも、僕は目の前の幼馴染みを大切にすることだけを必死に考えた。何ヵ月ぶりかに握る手は、小さくて温かくて、あの時の陽毬の温度とは全く異なるそれに、不覚にも涙腺が緩むのを静かに感じていた。覚悟出来なくてごめんね、彼女から出たとは思えないしっかりした声で、僕たちを包む空気が震える。


20110921//
銀河鉄道に乗り損なった



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