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奇跡
誰もが魅せられるその華麗なステップ。完璧なダンスと心が揺さぶられる情熱的な歌唱。
何よりも、全てのこの世の不興を吹き飛ばしてしまえるような、老若男女問わずどんな者でさえも癒されてしまうその笑顔。
会場は彼への期待感と熱気で包まれる。
真っ暗なそこから不意にドォン、と音楽が流れ出すと、そこにいた全ての人がこう叫んだ。
「オールマイトオオオーーーーー!!」
「みんな、おまたせ。...私がぁあ、」
「「「「来たぁぁぁぁあああ!!!!!!!!」」」」
それは、かの今では超絶有名アイドルオールマイトが、一人でその時日本で一番大きかった会場を満員御礼にした、伝説のコンサートのライブ動画であった。
当時4歳の緑谷出久は、その動画を何回もリピート再生し、その素晴らしさに感嘆の声を漏らす。
「すごいなぁ、すごいなぁ!!!一人でこんな大きな会場埋めちゃうんだもん!歌もダンスも、全部すごいんだよ!!こんなに大勢の人を、みんな笑顔にしちゃうんだよ!!」
緑谷出久。齢4歳。
将来の夢は、オールマイトのような、みんなを笑顔にできるアイドル。
「本当にすごい!、すごい...っ、ねえ、お母さん。...僕も、僕もこんな風に、すごいアイドルに、」
まだ若い少年の目にはこぼれんばかりの涙が溜まっている。その姿を見た母は自分のことのように悲痛な顔をして、出久に抱きついた。
「なれるよね...???」
「出久、ごめんね、ごめんねぇ....!!」
違うんだお母さん。
僕が言って欲しかった言葉は、ごめんじゃない。出久ならなれるよ、って言って欲しかったんだ。
緑谷出久。齢4歳。昨日退院。
背中には、若い少年と思えない30針で塗った15センチくらいに渡る大きな傷。
人生で一生を連れ添うことになったその傷を持ちながら、さわやかで美しいアイドルになることは、どう考えても、不可能であった。
中学三年生。折寺中学。
オールマイトの作り上げた様々な伝説によって、この世はアイドル至上主義社会になっていた。
アイドルに憧れる子供多数。社会に生きている者のほぼ全員が「推しアイドル」を持っている。
もう中学生の頃からデビューしている者も多くいて、芸能科の高校も数多く存在している。
「えー、お前らも三年ということで、本格的に将来を考えていく時期だ。今から進路希望のプリントを配るが______みんな、大体アイドル科志望だよね!」
ぶわりと投げられたプリント。いやいや重要なプリントをそんな乱雑に浮かしていいのか。
みんなが先生の言葉に反応して「イェーイ」と手をあげる。
アイドル科。芸能科の中でも更に細分化された、アイドルを目指す者だけが入学出来る科だ。その科を目指す者は多いが、まだアイドル科自体は多くなく、難関が多い。
「せんせー、みんなとか一緒くたにすんなよ。俺はこんな没才能供と仲良く底辺なんざ、いかねえよ」
机を足置きにした金髪がだるそうな姿勢で言う。口角が上がっているが、それはアイドル志望とは言えない、爽やかの真逆と言っていいほどのゲス笑顔だった。
クラスメートがブーブーと文句を垂れるが「モブがモブらしくうっせぇ!」と馬鹿にする態度は変わらない。
「あーたしか爆豪は雄英高だったな」
先生がそういうとみんなは批判をやめ、「雄英って国立の?」「今年偏差値79だぞ」とまさにモブさながらざわざわしていた。
雄英高校。日本で一番偏差値の高い高校であり、卒業したら出世コースが約束されていると名高いアイドル科は倍率300倍。アイドルになりたい者はもれなく全員が憧れる高校であろう。
僕はクラスメイトの声や勝己のドヤ顔を見ながら頭を抱えた。ほんと、もうこの話題はよさないか。
「そーいやあ、緑谷も雄英志望だったな」
みんなが先生の言葉を聞いた途端、しんと静まってからブッと吹き出す。
無理だ無理だと笑われる。わかっていた、こんなことを言われるのは。ただ、そんなに笑わなくてもいいんじゃあないか。
そのあとは散々だった。
勝己に雄英はやめろと脅されたり、今日の朝見かけたゲリラアイドルライブで登場した新生アイドルの分析を詳しく書いたアイドル分析ノートNo.13を鯉の池に落とされたり。
びしょびしょになったノートを手に持ってとぼとぼと帰る。落とされた後に言われた「ワンチャンダイブ」も、この気分ではどうせ出来ないくせにやってやろうかと思ってしまう。自殺教唆の罪で、彼をどん底に突き落としてしまおうか、なんて自分らしくもない考えも、ちょっとは考えてしまうのは仕方のないことだった。
まあどうせしないけど、ちょっと見てみるだけ。傷心に浸るだけ。そう言って、屋上立ち入り可能なビルにゆっくりと登っていく。
6階くらい登ると息が荒くなってきた。
こんなひょろっちいくせに、よくスタミナのいるアイドルになろうとしたもんだよ。階段を登るだけでこんなになってしまうのに。
スタミナのあるかっちゃんなら、同じスタートを切ったとして、もう屋上までついているだろう。
こんな中3になって、最高峰のアイドル科を目指している癖にこのありさまだ。笑われるのも仕方がない。
それでも、それでもなりたかったのだ。みんなを笑顔にできるアイドルに。みんなを元気付けることができる、アイドルに。
ようやくたどり着いた屋上で、強い風に吹かれながらフェンスに手をかける。やはり高い。ここから飛び降りれる人は、本当にすごいなと他人事に思った。自分にはその勇気がない。
ビュオビュオと耳の横で大きく暴れる音が、出久の傷んだ心を殴った。
今はとことん傷つきたかった。自分も他人も責めて、一気に解消させたかった。
屋上の真ん中に体育座りをして、隙間に顔をうずめる。
クラスメートが出久を嘲笑う理由。
体育の着替えの度にじろじろ見られる背中の傷だけではないだろう。クラスメートに公開で歌わされる音楽のテストだけでも震えて、少しも声が出ないあがり症のせいでもある、と自覚している。
出久にはアイドルには致命的な、「目立ちたい」という欲がなかった。いや逆に、目立ちたくなかったのだ。
出久は目立つ時といえば背中の傷を見られた時のみ。幼少期から向けられたその視線は、出久の心の中に深い、深い傷を残した。もう目立ちたくない、とさえ思わせた。
それでもアイドルは諦められなかった。傷が出来る前からずーっとずっと、物心がついてからずっと憧れていたからだ。
どうせ諦められないならば、あがり症で目立ちたくないというこの状態ではいけない、とわかっている。
出久はゆっくりと立ち上がった。まだ耳にはビュオビュオと強い風の音が鼓膜を殴打する。
__観客がいないなら、大丈夫だ。
ゆっくりと吸って、吐いて、風の音に負けないように、歌う。
オールマイトのデビュー曲。僕が、一番大好きな曲だ。
途中今より強い風が吹いてきて、負けずにさらに声を出して歌う。目を強くつむって、口を大きく開けて。
いつのまにか風は止んでいた。でも声を小さくしようとは思わなかった。心の叫びを歌に込めて、とにかく叫んでいた。
最後まで歌い終えると、肩で息をする。さっきよりはだいぶん心は晴れた。
全力で歌ったとはいえ、一曲だけで息切れを起こす。やっぱり無理なのかもな、と自笑したその時だった。
ぱちぱちぱち、と乾いたいい音で手を叩いているのが、出入り口から聞こえた。
聞かれた。ぶわっと顔が熱くなって、ロボットの燃料が切れたみたいにギギギギギ、と後ろを振り向く。
「いやぁ、素晴らしかったよ、少年。名前はなんと言うのかな?」
「お、オール、マイト...??」
そこにいたのは、全盛期よりちょっと老けた、でもやはり爽やかな顔立ちに変わりない美しき八頭身イケメン、オールマイトが立っていた。
「って、えええええええええ〜〜〜〜〜?!?!?!」
そこに、憧れていたオールマイトが、いる。そこにいる。そして、自身のデビュー曲を熱唱していた少年の方を向いて、いる。
さっきよりもっと恥ずかしくなった。あれだ。モノマネ芸人が後ろに本物がいることを知らずに芸をするのと一緒だ。
ごめんなさい僕なんかがごめんなさいごめんなさいと小さくボソボソと言いその場を立ち去ろうと出入り口に向かって走り出そうとするが、そこに向かうと必然的に本人の近くに移動することになる。本人は、出入り口の前に立っているのだから。
「私に負けず劣らずの歌唱力だったよ。多分、声のタイプが私に似ているんじゃないだろうか。で、どこの事務所に所属しているんだい?」
「いやいやいやいやそんな、僕なんてそんな、事務所とか、そんなすごいところに入れないですよほんと、本人の前で本人の歌とか、汚してごめんなさいっていうか生きててごめんなさいっていうかほんとほんとごめんなさい!!!!!」
キョドッてわやわや手を振りながら顔面蒼白になる出久を見て、オールマイトは目を見開いた。驚き、という表情だ。
「そ、そうなのか。しかしそうか、無所属...少年、一応聞くが、アイドルは目指しているんだよね?」
「ぅあ、は、はい!そのつもり、です...みんなには、無理だと言われてるんですけど、どうしても、諦められなくて」
「どうして諦める必要があるんだい?肩で息をしているところを見るとスタミナは少ないのだろうけど、歌唱力は十二分にあるし、目は大きくて容姿も悪くない。そばかすはあるが隠せるしいっそチャームポイントに出来るしね。見たところ中学生ならこれから身長は伸びるだろう。」
「いえ、そそそそんな!!オールマイトにそこまでいわれる程じゃないです!!!...諦める必要っていうのは、僕、あがり症だし、それに...背中に大きな傷が、あるんです」
これ、といって制服の上を脱ぐ。白いカッターシャツからうっすらと見えるのは、背中の真ん中あたりにある傷。今では出来た頃よりかは目立たないようにはなっているけど、やはりあるとないとではおおきな違いがある。縫い目も見えて痛々しい、アイドルにはふさわしくない傷だった。
オールマイトはしばらくそれを見つめた後、少し考えてから口を開けた。
「少年。つかぬことを聞くが、君は何故アイドルになろうと思ったのかい?」
オールマイトに突拍子もなくそれを聞かれ少し驚くが、すぐに真剣な、決意を持った顔をして叫ぶ。
「それは、オールマイトみたいに。オールマイトみたいに、みんなを笑顔にできる存在になりたいから!僕もみんなを、笑顔にして、救ってみたいと思ったからです!!」
「そうか。それなら、いいじゃないか。傷があったって、その思いがあればみんな君の本質に触れてくれるさ。あがり症もこれから治していけばいい。君みたいな強い意志を持った才能を失うのは、私は見過ごせないな。」
オールマイトは近づいてきて、僕の肩に手を置いた。感極まって泣いてしまいそうだった。いや、もう涙が目頭に溜まっている。
「それじゃあ、僕でも...僕でもアイドルに、なれますか...!!あなたみたいなアイドルに、なれますか!!」
「ああ、なれるさ。きっとなれる。君は、アイドルになれる。」
涙が溢れて止まらなくなっていた。オールマイトに会えた。そして、こんな風に誰も言ってくれなかった「アイドルになれる」という言葉を投げかけてくれた。それだけで、奇跡だと思った。これまで散々だった分奇跡が返ってきた。僕ははもう、それだけでこれから頑張れると思った。たとえアイドルになれなくても。夢に届かなくても、最後まで頑張ってみよう、と思ったのだ。
だから、この奇跡が序章なんて一つも考えてなかった。
「実はね、少年。そろそろ私は引退しようと思っているところなんだ。そして小さな芸能事務所を開こうかなと思っている。どうかな?私の事務所のアイドル一人目という道は」
「えっ」
言い忘れていたけど、これは僕が最高のアイドルになるまでの物語だ。
さらに言うと、かっちゃんと轟くんに求婚され、しまいには片方と海外で挙式しちゃうまでの物語だ。