1-DH 「はぁ、はぁ…」 走っても走っても、闇はどこまでも続いていた。 漆黒の闇が足元を喰らうように全てを包み込むのは、誰もが足を踏み込まない暗黒街――鉄壁の絆を誇った世界最強の地下組織マフィアが幅を利かせている、イタリア南部に位置するシチリア半島。 かつては商業が栄え人の出入りが多かったこの町も今ではすっかり寂れ、鉄壁の組織力を誇り、麻薬取引、暗殺、密輸、密造といったものが横行している。 闇が姿を消すのと同時に危険や死などの犯罪が常に潜む中、男はようやく足を止めた。 今まで自分を追っていた複数の足音は次第に消え去り、今では微かにも残らなくなった。どうやら完全に撒いたようだ。ようやく安堵の息をつき、胸元の異物感を確認する。 隠し持っている複数に小分けされている白い粉は一見麻薬のようだが、そんな小物ではない。これさえあれば――生涯豪遊出来るほどの大金が舞い込んでくるのだ。そのためにはもう一仕事しなければならないが、ここまで来ればもう後戻りは出来ない。 男は手帳を手にすると、そこに記されている二つの名を頭に叩き込み、手にしていたライターで文字ごと焼き消した。 足元に落ちたそれは墨と化し、依頼人の名前と共に消え去る。これで自分と依頼人を繋ぐものは全て無に消えた。 そして頭に残っている名前を何度も繰り返す。 「ヴァリアー」 ボスではなく、その周りに位置する守護者。属性は――嵐と雲。その守護者にただこれを飲ませるだけで良いのだから、残りの報酬も難なく手に出来るはずだ。 そう思うと笑いが止まらず、口元が緩んだところをきゅ、と慌てて引き締める。何せ相手はマフィアだ。甘く見て下手をすれば返り討ちに遭うだろう。 「まずは…雲からいくか」 所在地は既に調べ上げている。 男は辺りを注意深く見やりながら、静かに夜の闇に姿を消した。 * 確かに変だと思うことが多々あった。 あの日は珍しく校内を見回っていても群れに遭遇することはなかったし、久しぶりにやってきた跳ね馬が連れて行ってくれた寿司屋は竹寿司とおなじくらい美味しかった。ロールやヒバードのために特別メニューも出してくれて、終始ご機嫌だった雲雀は今日くらいは、と彼のホテルで一夜を明かした。 だからたまたま同じホテルの同じ階にヴァリアーの連中がいてもそれほど苛立たずにいたし、ブランチはホテル側からの好意で豪華な和食を食べることが出来たし――今日も良い1日になりそうだと思った矢先。 「…なに、これ」 ディーノがシャワーを浴びている間に学校へ行く準備を済ませようとした雲雀が違和感を感じ服を脱ごうとした時、思わず目を見開くほどの信じられない光景がそこにあった。 あるはずのないもの。生態的に女性にしかつかないもの――いわゆる大きなふくらみを持った胸が雲雀の身体についていて、その代わりにあるはずのものが消失していた。 「……」 並大抵のものなら、一通りは対処出来るように幼い頃から訓練されているし、些細なことで動揺したり惑うことはない。 だが、さすがに自分の身に起きてしまうと多少は動揺せざるを得ない。 「ヒバリ、ヒバリ」 今まで肩にいたヒバードがいつもの雲雀と違うと気づいたのか、ぱたぱたと飛んできた。そして、そのふくらみに気づき、小さな尖がった嘴でつついてくる。 「こ、こら!」 慌ててヒバードを両手でつかむと、拍子にシャツがずれ落ち、ほぼ半裸の姿が目の前の鏡に映し出される。そこに映った自分の姿に雲雀は愕然とした。 これが、自分。群れを咬み殺し最恐の不良と恐れられている雲雀恭弥の姿。 「キュ?」 足元ではロールも不思議そうに見上げてくる。それほど、動揺していた。 まさか、自分が女の子になってしまうとは―― その時、バスルームから音がして、慌てて衣類を身につける。 案の定、ディーノが塗らした髪とバスタオルを腰に巻いた状態で出てくる。 知られてはいけないと瞬時に思った。 ディーノにだけは、絶対。それは仄かに抱いている彼への気持ちを隠しているのと同じくらい、本能でそうしなければと感じたことだった。 「ん?どうした」 「…べつに」 出来る限り平静を装っていたはずだが、ディーノは意外に敏感だ。気を抜けば直ぐに何かあったと見破られるだろう。 だから、彼といる時は神経を張り詰めておかねばいけない。 雲雀はディーノにも懐いているヒバードとロールに目配せをした。 (良いね?跳ね馬には内緒だよ) (…ナイショナイショ!) (キュ!) 大丈夫。元々肌をさらすような服装はしていないし、体育やプールなどの面倒くさい授業は端から受けてはいない。日常生活には何も問題がないし、身体が変わったところで支障はないはずだ。 ほんの少し腕力や筋力が落ちた気もするが、草食動物に比べれば些細な問題だ。 こんな事に心揺るがされるような自分ではない。 そう思い込み、雲雀は支度を終えたディーノとホテルを後にした。 そしてそれが自分だけではないことなど、この時は知る由もなかったのである。 |