隠れ家 「ツナさん!疲れませんか?そろそろ休憩にしましょう!」 「…って、お前なぁ…。まぁいいけどさ」 木枠にガラスを嵌め込んだレトロを感じさせる扉の横に置いてある黒板には、ケーキやドリンクの写真が貼られ商品の説明が色とりどりのチョークで書き込まれていた。 腰を曲げて鼻先を近づけて、それら一つひとつを熟読していた三浦ハルに「取り敢えず中に入ってから決めよう」と、笑いながら沢田綱吉は声をかける。 疲れただなんてハルの言い訳で、きっとあそこに書かれたケーキが食べたかったに違いない。彼女は昔から大のケーキ好きだったから。 高架下にあるカフェテリアはまるで隠れ家のようにシンプルな造りだった。なんの飾りもない一面オフホワイトの壁には、ダークベージュの木枠で縁取った窓がひとつと、ひと一人が通れるドアのみ。 目立つ看板はなく、先ほどハルが覗いていたメニュー表代わりの黒板がなんとかこの場所がカフェテリアであると訴えていた。 中に足を踏み入れると正面すぐにレジがあり、店内は左右に広がりテーブルやソファがいくつか並んでいる。 高架下の狭いスペースなのに息苦しさを感じさせないのは、かなり高い天井と、室内の上半分に外壁と同じオフホワイトのペンキで彩られ明るく見せているからだろう。 打ちっぱなしのコンクリート壁の内装は、店構えと同じようにシンプルな印象を受ける。 暑い日射しのなか歩き回っていた綱吉は、じっとりにじみ出た汗を手の甲で拭った。コンクリートの冷たい空気が今は心地いい。 「ツナさん、ツナさん。先に注文するんですって。なんにしますか?」 「あー、俺はアイスコーヒーでいいや」 「えぇ!!デザート食べないんですか!?」 「ハルは頼めばいいよ。俺はいいから」 「こんなに美味しそうなケーキがあるのに食べないなんて、もったいなさすぎです!」 あれもこれも食べたくて迷っているハルがあんまり必死に訴えてくるものだから、しょうがないな、とツナは彼女の頭をよしよしと撫でる。 「じゃあ、ハルが俺の分を食べて?」 「うっ……!さ、さすがに2つも食べるとですね、乙女としてはカロリーが気になるといいますかっ…!」 「余ったら俺が食うから、好きなのを頼めばいいよ」 「いいんですかっ!」 「うん、ほら早く決めちゃいな。俺は先に席座っとくからな」 「わーいっ!ツナさん大好きです〜」 「ゲンキンなやつ」と笑いながら、何だかんだで結局ハルが望むような願いをいつも叶えてくれる綱吉に、ハルはぱぁっと花が咲き乱れるように頬を紅潮させて笑いかけた。 綱吉は後ろポケットから財布を取り出して、ハルに手渡す。これで支払えということらしい。 然り気無くて大人っぽい仕草にハルは胸がキュンとした。 (今のハルたちは、店の人から恋人同士に見えちゃったりするんでしょうか) レジ横にある紙コップに2人分の水を汲んで、奥の席へ移動する綱吉の後ろ姿をそっと眺める。 連なったソファの一番はしっこには2人用の机が置かれ、ソファの反対側には店の雰囲気にマッチしたノスタルジックなチェアが置かれており、綱吉はそちらに腰を落ち着かせている。 ハルにソファを譲るためだろう。 そんな些細な気遣いに彼の優しさが滲み出ていた。 きゅっと綱吉の財布を握り締めて俯くと、ハルは先ほど迷っていたケーキとドリンクをオーダーした。 (…いいんです、ツナさんにとってハルは妹みたいな存在だって分かってますから) 今日は並盛の仲間と出掛けていた。 大人になっても年に1、2回はこうして皆で集まって食事をしたり、街へ出てウィンドウショッピングをするのが常だ。 女子の提案で雑貨が並ぶ街へ訪れたものの、可愛いアイテムに夢中になっていたハルはいつの間にか一人だけはぐれてしまった。 雑誌を片手にやってきた初めての街で、不安なまま右も左も分からずオロオロと迷っていると綱吉が彼女を探しに来てくれた。 小走りに近寄ってきて、優しく微笑みながら「どこ行ってんだよ」と大きな手のひらでハルの頭を撫でる綱吉はとてもカッコよくて、顔をみたらホッとして、また恋に落ちていく。 ――まるで、王子様みたい。 さっきまでの不安が嘘のように消え去って、ハルは嬉しくて綱吉に抱きついた。 「ったく、みんな心配してたんだぞ」 「すいません!その…行きたいお店があるんです!ツナさん、一緒に行ってくれませんか。この辺りだと思うんですけど」 「だったら一回みんなと合流して…」 「サプライズプレゼントしたいんです!京子ちゃんたち女子メンバーに!だから、二人で行きませんかツナさんっ」 だって、綱吉と二人きりになれるなんて千載一遇のチャンスだったから。 みんなと一緒にいるのも凄く楽しいけれど、偶然とはいえ綱吉はハルを見つけてくれた。 だから、ずっと好きだった綱吉と少しでも長く二人で過ごしたいなんて欲が溢れてしまって。 綱吉は困った顔をしていたけれど、携帯を取り出して30分後に合流するから、と誰かに連絡してくれてハルは飛び上がって喜んだ。 いつも仲間の中心にいるほんのひとときでも、綱吉を独占できる。 それがホントに嬉しくて。 そして二人で並んで歩いてるときに、カフェを発見したのだった。 ケーキが美味しそうだったから、というのももちろんだけれど、ちょっとくらいデート気分を味わいたいと思ったから。 無意識なのか分かってるのか、綱吉がハルの買い物に付き合ってくれるのをいいことに連れ出したのだが、ハルはこんな思い出の一つがあって許されると思う。 綱吉には恋人がいたから。 綱吉の恋人はハルもよく知っていた。仲良しだなぁとは思っていたけれど、まさか二人が付き合ってるなんて青天の霹靂だ。 その事実は綱吉本人から聞いていた。ハルはいつも綱吉に好きだ好きだと言ってたけれど、ある日、「…ごめん」と綱吉から切り出され、全部教えてくれたから。 それでも、今さら綱吉を諦めるなんて出来ないのだけれど。 もう何年も恋しているのにハイ、ソーデスカと心がすんなり納得してくれるはずもなくて。 綱吉もその恋人も、ハルにとって大切な仲間だから、嫌いになんてなれないし。 (だから、完全に諦められるまで好きでいさせてください) ハルは小さく祈った。 いつか必ず諦めるから、あと少しだけ、今のままで。 綱吉の長財布を開いたときに、カードやお札を入れているポケットから少しはみ出たそれをハルは見逃さなかった。 会計をすませ、ドリンクだけを乗せたトレイを綱吉が座る席まで持っていくと、ハルに気づいた彼は携帯をポケットに収めた。 「お待たせです、ツナさん!ごちそうになっちゃいますね」 「うん。あれ、ケーキ買わなかったのか?」 「後で持ってきてもらえるみたいですぅ」 綱吉の財布を渡して、トレイからアイスコーヒーと紅茶を机に移動した。 「隠れ家みたいですねー」 「ホントだね…って、何だよハル。にやにやして」 「へへー。嬉しいなって思って。あとツナさんの財布にお写真入ってるのこっそり見ちゃいました!」 「んなっ!ちょ、あれは…!」 慌てる綱吉が面白くて、ハルは両手で頬杖をつきくるくる変わる綱吉の表情をニコニコと見る。 照れる彼の仕草が好きだ。 幸せいっぱいの顔も好き。 こんな表情をさせる恋人がいる綱吉を好きになったのだから、少しだけ寂しいけれど、ハルは今のままで充分幸せだなと思う。 「大切にしてるんですねー。ハル、ちょっとだけジェラシーです」 「うっ…。まぁ、大事だし」 「いいじゃないですか!ハルは獄寺さんを大事にするツナさんが大好きなんですもん」 10年前から綱吉の隣にいた、とてもとても綺麗な人だった。 想いの強さは負けないと思っているけれど、綱吉は獄寺を選んだ。 (ツナさんが、あんまり幸せそうだから納得するしかないんですよね) 色鮮やかなケーキがテーブルに運ばれ、ハルは寂しい気持ちを振り払うように歓喜の声を上げた。 密かなデートは少し切なかったけれど、おいしい苺とクリームの味の甘さに溺れる。 「おいしいです!ツナさんも食べてみてください。はい、アーン」 「…ん、ホントだ旨いね」 「でしょでしょ!?」 フォークで掬ったケーキを差し出すと綱吉はそれを頬張ってくれた。 昔から小さな子供の面倒を見ていた彼は、こういうことに抵抗がないのだろう。 なんだか本当の恋人みたいでハルは嬉しくなった。 隠れ家はハルの秘めた想いを包んでくれて、短い時間だけれど小さな店内には彼女の幸せが溢れていた。 |