甘えん坊 ぶぉん、と熱風を含んだ耳障りな機械音がぷつりと途切れた。 「おし!髪、乾いたぜー恭弥」 「ふぅん」 「お前は構わなすぎだ。せっかくこんなに綺麗な黒髪なんだから、もうちょっと気を使えよ」 「なに?指図する気?」 熱い抱擁を交わした後、共に湯船に浸かってついでにもう1プレイを楽しんでから上がると、ディーノはいつも雲雀の身体を丹念にバスタオルで拭きドライヤーで髪を乾かしてやっていた。 なのにこの言い種である。 少しくらい人の意見を聞いてもいいんじゃないか、とチラと思ったけれど、我が道を行く雲雀には馬耳東風だということをディーノは思いだし、「しょうがないやつだな」と笑顔に変えた。 「そんなつもりねぇよ。まぁ、俺が傍にいればその分俺が恭弥の世話をすればいいもんな」 「…貴方、前から思ってたんだけど」 「ん?なんだ?」 さっぱり綺麗になったディーノの恋人は、彼を振り向くと至極真面目な視線を向ける。 「そんなに僕に構ってなにが楽しいの?」 「楽しいぜー。恭弥の身体にさわり放題だしな!」 爽やかな好青年は見た目に反比例して飲み屋のおっさんみたいなことをのたまう。 「恭弥?」 呆れた雲雀は自分を緩く抱いていた腕から離れて、それはそれはゲスを見るような冷たい目で言い放った。 「…やっぱり貴方は種馬だね」 余りの怒気に、すっと立ち上がり障子の向こう側へ消えた雲雀を追いかけられなかったディーノは、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。 世界に名だたるマフィア・ボンゴレのアジトの最上階。その中で景観が最も美しい場所にツナの執務室があった。 今日は一日出かけることもなく書類整理に追われていたツナは、昔からデスクワークが大の苦手で、イタリア語が並ぶ決算書や報告書を見るだけで眠気が押し寄せてきた。 「もうイヤだ…」 とはいえ、山積みの書類を整理しなければ明日の休みはお預けだ。 それにあまりだらだらしていたら、ただでさえ多忙を極める右腕に迷惑をかけてしまう。 ツナの右腕は有能だ。戦闘能力も去ることながら、全体の取りまとめ、資金面の運用、ボスのスケジュール管理から雑用まで何でもそつなく素早くこなしてしまう。 しかも彼はツナの言うことには絶対服従で、普段は切れ者のすぐに怒鳴る怖い守護者であるが、敬愛するボスのためなら自分の体を省みず無茶をする傾向が強い。 それを思うと、右腕に負担は絶対かけられない。 以前に比べれば自分も作業効率は上がってきているはずだと、ツナは気合いを入れ直してペンを握る。 しかしものの10分で「もうイヤだ…」と挫け、振り出しに戻る。 こんなことを繰り返しちびちび書類を片付けているとき、部屋にノックが響いた。 「わり、ツナ今忙しいか?」 「ディーノさん!久しぶりですね、どうしたんですか」 「ちょっと近くまで寄ったからさ」 嘘だ。 と、ツナは瞬時に思った。ディーノになにかあったのだ。 超直感がなくても分かる。この人はしょっちゅう「近くまで寄って」いるのだから。 ボンゴレのアジトと隣接して建てられた雲雀の基地にディーノはよく訪れていた。 誰も口にはしなくても、ディーノと雲雀が恋人関係であるのは周知の事実だ。 そしてディーノは雲雀とケンカをするたびにツナの元を訪れる。最近は顔を見なかったから、上手くやっているんだろうと思っていたのに。 「で?今回の原因は何なんです」 「…単刀直入だなぁ」 「いい加減、慣れますよ」 クスクス笑われ、ディーノはそれもそうかと頭を掻く。 同じ家庭教師から師事を受けた二人は性格も温和でどこか似ている。ディーノはツナを弟分として可愛がり、ツナも兄貴分と彼を慕っていた。 口煩いツナの右腕がいないことをいいことに、ディーノは応接間の黒革の豪奢なソファにどかっと座り込んだ。 「今日はスモーキンボムはいないのか?」 「今は会議中なんです。もうすぐ戻ると思いますよ」 そういうと、大マフィアのドンが自らディーノにコーヒーを淹れてそれを差し出す。 どうせ捗らない仕事だった。右腕が戻るまで、少し休憩してからやったほうが能率も上がるだろうと自分に言い訳をして、ツナはディーノの向かいへ移動した。 ディーノにいつものような快活さがない。どこか悲哀が混じった表情にツナは心配になった。 はぁ、と深いため息がディーノから零れる。世の女性が見たら「いつもの彼も素敵だけど、愁いをたたえた眼差しも魅力的!」と絶賛するだろうな、とツナはぼんやり思った。 なにせこの兄貴分は常に花を背負ってるようなキラキラしたオーラが凄いのだ。フェロモンがだだもれしていると言っても過言ではない。 なにを間違えてあのボンゴレ最強雲の守護者である雲雀と付き合うようになったか定かではないが、とにかくディーノの雲雀に対する溺愛っぷりは半端じゃない。 自分と違ってカッコよくてモテるディーノに女性の浮いた話がでないのは、そういう理由だ。 ディーノは何故かツナには恋愛相談というか愚痴というか、雲雀の話を持ち掛けてくる。彼は吐き出せばすっきりして再び恋人の元へ戻るのを分かっているから、ツナはディーノから上手く話を誘導して聞き役に回るのがいつものパターンだった。 だってディーノは心底、雲雀に溺れている。離れることなんて出来ないんだから、ケンカをしても無意味だといつになれば気づくんだろうとツナは時々不思議に思う。 (まぁ、雲雀さんのほうはどうかしらないけど) 仕事以外の付き合いが滅多となく、あったとしても咬み殺された記憶しかない雲雀は、ツナにとって恐怖の対象でしかないのだが。 「なぁ、ツナ。俺ってウザい?」 (……雲雀さんに関しては) と、言いそうになって、ツナは慌てて口に手を当てた。 いま正にそれで悩む彼に、真実を告げられるはずもない。 同情の表情を作って、ツナは柔らかくディーノに微笑んだ。 「何したんですか、ディーノさん」 「何にもしてない…と、思うんだよ。“なんでそんなに構うのか”って言われて、でも愛してたら触れたいって思うのは普通だろ?」 この辺に、日本人とイタリア人の隔たりを感じるなぁといつも思う。ディーノは人前でも「愛」だの「アモーレ」だの平気で言ってのけてしまって、こちらが恥ずかしくなるツナだった。 「そしたらまた種馬って言われた…。なんかさぁ、俺ってそんなに恭弥の身体目当てに見えるか!?身体も気持ちもあってこそのモンだろ!」 「そうですねー」 「傍にいたら抱き締めたくなるし、アイツはあんまり飯を食わないから食べさせてやったり、自分に気を使わないから風呂に入れて頭とか身体を洗ってやったり髪乾かしてやったり、ユカタの着付けだって覚えたんだぜ!?」 (何してるんだろう、ディーノさん…) 「それも全部、恭弥があんまり可愛いからしてやりたなって思っただけなのに、好きだから大事にしたいって考えてるのに、アイツの身体だけが目的なんてあるはずないのに…!恭弥のバカヤロー!」 ――つまり。 過剰な構いたがりとそうでない者の温度差にディーノは苛立っているようだ。 雲雀を可愛いと思ったことのないツナには理解し難い感覚ではあったけれど、誰かを想う気持ちは頷けるものがあった。 「恭弥は俺のこと、それほど愛してないのか?ただの家庭教師と生徒の関係なのか…?」 いやあ、ただの師弟関係で行くとこまで行っちゃうのは異常だと思いますよ。 …と、突っ込みをいれたい気持ちをグッと堪え、要は愛されている自信がなくなってショックを受けたらしいディーノに、ツナは優しく語りかける。 「それって、ディーノさんだからできるんじゃないですか?」 弟分の言うことに、ディーノは端正な眉を潜める。 「だって雲雀さんは群れるの嫌うでしょ。あの草壁さんでさえ雲雀さんとの距離を保ってるのに、傍で世話を焼いても咬み殺さないのはディーノさんが好きだからですよ」 「ツナ…」 「雲雀さんは嫌なら絶対、他人に甘えさせたりしません。それだけディーノさんに気を許してる証拠です」 …そうかもしれない。 確かに雲雀は他人に自分ほど触れさせたりはしないのだ。 「ツナーー!」 「うわぁ!」 叫びながらツナを抱き締めたディーノの腕力は、喜びで加減ができずぎゅうぎゅうとツナの胸を圧迫する。 「だよな!俺、恭弥に愛されてるよな!!」 「ちょ…、く、くるしっ…!」 男にベアハッグを受ける形になったツナは息苦しさを訴えたが、天に昇ったディーノには聞こえなかったようだ。 「今から恭弥を甘やかしてくる!アイツが甘やかせてくれるの、俺だけだしな!」 「げほっ、あぁ。そーですねー…」 足早に執務室を去るディーノを見送って、ツナはやれやれと乱れた衣服を正した。 甘やかしたり構いたがるのは自分が甘えたい証拠だ、と、ツナは思う。自分もディーノと似たようなものだから。 ふと、最愛の恋人がツナの頭を過った。 彼も素直に甘えるのが苦手なタイプだからこそ、己の腕の中に包んで同じように愛を返して欲しくなる。 ――もっともっと甘えてほしい、頼ってほしい、触ってほしい。 それと同じだけ甘えたくて、頼りたくて、触りたい。 (…雲雀さんがそんなことするなんて想像できないけど。まぁ、獄寺くんも似たようなもんか) きっと恋人にしか見せない表情で、分かりにくくてもディーノに甘えているんだろうとツナは思う。 いま、すごく、大好きで大切な右腕に会いたい。毎日傍にいるはずなのに、どうしてこんなに会いたくなるんだろう。 (ディーノさんに充てられたかな?) 口の端を少し上げて、ツナは最愛の恋人が執務室へ戻るのを待ちわびていた。 |